それを題材にした映画があったよタイトルは忘れちゃったけど救助ヘリで2名しか乗せられない若者は何人かいたけど、その中で『未来のある若者がこのヘリに乗るべきだ!!』って、デカい声をあげたそいつと友人が乗ろうとした。「それなら、この女性を乗せるべきだ。彼女は妊娠している。君らじゃない」じゃあって、妊婦さんのお腹を蹴ろうとしたんだよ、その若者は。そうなると、年齢だけじゃ推し量れないものがあると思う。
命の価値には差があるとすれば、誰が誰の命の価値を評価するかによって異なると考えます。すなわち、評価する主体(=誰が)と評価される客体(=誰の命)との関係性や、主体の信念体系、主体のおかれている立場などによって変わりうるものだと考えます。たしかに、高齢の老人と幼児の二択を緊急判断によって救助する場合は、幼児を優先することが望ましいことが多いと思います。しかし、そこで評価されているのは年齢だけではなく、社会や人類に有益なものを生み出す可能性だといえます。その物差しで考えると、私は物理学や医学分野のノーベル賞を取った学者(あるいは同等の研究成果を出している学者)は、Fラン大学理学部に通う学生よりも命の価値が高いと考えます。
要救助者ならトリアージ順でしょうね。状況とその場にいる人の判断でしかない。老人と赤子で天秤にかけるのも、妻や彼女と自分の母親どちらを助けますか?で天秤にかけるのも価値は同じ。それに判断した人と救命された人が価値を決めるもの。
その手の友人が多いもので。実際に命の価値は存在します。例えば救命の現場において10歳の子供、90歳の老人が同時に同程度の緊急度で搬送されたとして。人手がどうしても足りずどちらかしか助けられない。その時には子供を優先するだろう。との事。戦地は分からないが何処の病院にもマニュアルには勿論そんな事は書かれないですし、そもそも選ぶ事は許されないのですがその様な判断が迫られた時には「俺ならそうする」と先輩の先輩から脈々と受け継がれている認識のようですよ。決して望ましいかどうか。では無いです。そうせざるを得ないならばその時には。という感覚でしょう。