「人生の勝ち組」は条件なしには実存しません。「人生の勝ち組」を考えてみましょう。勝敗はお互いに同意した上でのルールのあるゲームで成り立ちます。相手の同意もないのに勝ちだと宣言するのは、単なる自己満足でしかありません。それでは人生の勝ち組とは誰に対しての宣言でしょうか?人は不確かな事を嫌い確かなものにすがります。たとえそれが根拠のない虚構であったとしても。人生の勝ち負けの根拠となる基準は何でしょうか?そこには人生はこうあるべきだと思い込んだ価値観による定義が存在します。大抵は親から或いはマスコミから与えられた価値観と思い込みです。例を挙げれば「高給な職につき、結婚し子供を作り、家を建て車を持ち、老後は子供に看てもらう」と言うものがあったとして、これに当てはまれば人生の勝ちとしましょう。しかし、勝ちを名乗るには負けが必要になります。そこで、勝ちの条件を満たす者以外の全ての者は負けと決めましょう。この例が正しいか否かは別にして。さて、同意した者とではゲームとして成り立ちますが、同意していない者とではゲーム自体が成立しません。勝ちと言う者の他者へのマウント行為に過ぎなくなります。人生の勝ち組ではなくマウントで相手を従わせる事になり、人生の勝ち組としての勝敗は成立しません。ただマウントを取って勝手に勝ったとの思い込みだけです。よって、人生の勝ち組は実在しない事になります。勝ち負けを決めたいなら相手と合意する事。不特定多数の者とは合意は得られません。