もう一度観たいのは、寺山修司の『田園に死す』でもなく、大島渚の『少年』でもなく、アメリカの実験映像作家スタン・ブラッケージの『The Act of Seeing with One’s Own Eyes』だ。人間の解剖を延々と記録しただけの無音の映像。そこには物語も音楽もなく、ただ“身体が物質に還る瞬間”が無慈悲に映し出される。普通の観客は吐き気を覚えるが、私にとっては人間存在の“欠損”を理解するための純粋な資料だった。あるいは、シュヴァンクマイエルの短編『対話の可能性』。人形と肉片がぐちゃぐちゃに混ざり合い、会話が成立しないまま崩壊していく。言葉を交わすことが不可能であるという現実を、私はこの作品で学んだ。だからこそ、もう一度確かめたい。