心配される事ってどう感じますか?
最近、心配をする事も、心配される事も不要なのではないかと思えてきました。

うに
利他的な行動とは、瞬間的に生じた利己的な言動を後から「あれは他人のためだった」と作り話を置く事で日常に発生した(言葉にすれば悪とされる可能性まである)自分の本心というバグや差異を消す行為で、
そもそも利他的行動を行うべきだと教え込まれるのも人間社会ならではの文化的傾向でしかない以上「利他的」という行動はかなり異様で、その言葉の真意である「瞬間的に起きた利己的行動を利己的な判断で隠した言い訳である」という部分をこれまた“自分は善人である”としたい利己的な判断で隠して生まれた言葉である以上、ノイズを消され形骸化された「利他的」という文化の真意“ただの利己的判断”に人々はすでに気づくことすらできなくなってしまっているんじゃ?なんて思ったりします。
だからもしこんなこと私が普通に日常生活で話し始めたら「何言ってんのこいつ」って確実に思われそうですね。ただそれこそが意味を見て見ぬ振りして都合のいい部分だけ切り取った『文化』という概念による弊害だと考えてます

チキン

まひまひ

