あなたの考え方をあなた自身が考えた事がありますか?それはどんな事ですか?
例えば、他人が書いた文章の繋ぎに使われる「は」「なら」「と」などの使い方が気になる。「気持ち悪くて嫌だなぁ」「この人の文章苦手だなぁ」みたいな感覚になる。そして実際、自分が書いた文章は周りから「あなたの文章は読みやすい」と褒められる。
そこから「自分はこんなふうに周りの情報を捉えて読み取っている」事を知り、自分の考え方を知った。
じゃあ、どうやって周りと接していく事で、自分の考え方を使い、周りを不快にさせず、力になる事ができるのかな。そしてその為に気をつけている事はありますか?
教えてください。

流動的モンスター
そうして、私の考えをどのくらい精度が高く相手に届く言葉は何か、文章という媒体に落とし込んだ時に脳内のものと客観的に文章だけで見てズレがないかを意識しています。
そしてそれは直接会って話してても電話のみでも変わらない。
言葉で人を助けることは無理です。でも、過去の私へ今の私へ向けて投稿していると2次的に誰かの心の支えとなってる時はあると実感しています。
言葉が鋭利物ということを忘れなければ、何を発していても私はいいと思う。
伝わったかな

とも
以前と違い殆ど思考が浮かばなくなったから!

コパ🔍
あなたの考え方はあなた自身が考えた事ですか?
その考え方とはどんな考え方ですか?
俺ならこう書くな質問の意図が捉えにくい
意図がズレると期待した答えと変わるで?
俺は情報からではなく
言葉の意味から読み取る考え方やね
ということは
この質問の本当の意図は
あなたは自身の思考構造について考えたことがありますか?また、それはどんな思考構造でしようか?
というのが正しい問いかな?
君の悩みは
その思考を理解した上で
どうすれば周囲の環境に溶け込めるか?
この一点と認識している
違うかな?
だとすればそのままでええと思うよ
素の自分をそのまま表現すればええ
それで合わない環境なら
自分を変えるよりも
環境を変えることを勧める
あくまでも勧めるだけやで?
選択するのは自分自身
俺は選択の責任は負わない
あくまでも方向を示したのみ
このスタンスも大切やね
他者の責任を負わなくていい
自分の責任のみを追求するべき
そこを混同すると自分が濁る澱む
あるがままの自分を楽しもう

あっくん
ちゃいこ
盲目の方がアーケード(屋根)がなくなった時に
雨が体に当たって驚いてその後
方向が分からなくなているのを見た時
声をかけて手を繋いで
その方の目的地まで一緒に行ったことがある。
盲目の方への声の掛け方も分からないながら
驚かせないように声をかけたのを覚えてます。

めいち
