一昨年は、おじいちゃん去年は、おばあちゃん今年はすでに、お父さんとお兄ちゃんが亡くなって、警察と保険会社から目つけられとんのや2、3年じっとしとこあんたは、それからやps 嘘でも、書いていい事と、悪い事がある 自分こわ、悪魔に魂う売っとる 何か事件がおきません様に
キリスト教的な考えですが、もしかしたら本当に地獄に落ちるかもしれないから。少なくとも今のなんらかの苦しい現状から逃れる為に死を選んだはずなのに、待っていたのが永久の苦しみでしたとかシャレにならないでしょう?
使命を持って生まれて来るからです。生きることは辛いことも多い、それは神様からの試練です。それを乗り越えて亡くなった時に極楽浄土に行けるのです。安らかな世界にね。それまで楽しく生きて行きましょうね。\(^o^)/
詩ぬことが良いか悪いかは人間(文明)上の価値観。自然の中で言えばどちらも等価。それは例えば地面に立てた棒がその後も立つか寝るかだけの違い。ただ、生きている限り生きるか詩ぬかの選択はいつでも出来るが詩んだ瞬間に自分では2度と選べなくなる。宗教論を抜いて言えば詩後は本人の意識は無になるが、残された人の意識の中には残像が残り続ける。この残像こそが生きる理由。自分がコントロールできない残像が汚れたまま固定されるか、輝いて固定されるかの違い。悲しまれるのが避ける理由ではなく、自分の尊厳が貶められたまま永遠に固定されないように、生きる。価値は、長い短いではなく、ベクトルをどっちに向けて終わらせるか。下向けたままでは、わたしは終われない。