子ともの自分と未来の自分を諦めた、子どもの自分が成人の自分を憧れていたが成人になった今はほんとに理想の自分になったかそもそも憧れていた自分はどんな存在さえも忘れたかも、そして社会人になった今は未来を諦めた、学生時代ずっとやりたいことを探していたが結局才能も金もない私にはただの贅沢かな、今は会社の為に自分を捧げているがこれもただ現実から逃げているかな、自分を機械の様に往復運動して無能、無意味という現実から逃げている。同時に私も”会社”という機械に同化されている、”機械”になった私はただ他人に弄られる玩具過ぎない。