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集団の生存率を最大化するための犠牲と選択

もしも日本人を対象とした非道な無差別虐殺が起き、その時あなたには4人の子供がいます。1人は1歳、他の3人は4才5才6才です、その子どたちを連れて30人の市民とともに地下へ身を隠していたとします。 ​追手がすぐ近くを捜索しており、一同が息を殺してやり過ごそうとしている最中、1歳の子どもが突然泣き始めてしまいました。あやしても一向に泣き止まず、このままでは泣き声で居場所が特定され、全員が見つかって無残に殺害されてしまいます。 ​ここで、状況は2つの選択肢に絞られます。 ​子どもを殺害(静音化)する: 子ども1人の命は失われますが、残る30人+子供3人の命は確実に助かります。 ​子どもをそのままにする: 子ども達と30人全員が確実に発見され、命を落とします。 ​この状況において、以下の点についてどう考えますか? ​私ならどのような決断を下すか ​「全体を助けるために子どもを黙らせろ(殺せ)」と要求する周囲の人々をどう思うか ​もし自分が子どもを持つ親ではなく、周囲の避難者の立場だったらどう思うか ※泣く子供を殺して自分も後追いすると残された子供達はどうなるか、、この状況下で子供達の面倒見てくれるような大人はいない
見習い

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本来「可能性」であるはずの「泣き声によって発見される」「発見されれば全員が命を落とす」「子どもをこ◯せば残りは助かる」まで「確実」と設定されているのが、かなりゲーム的なところですね。

●私ならどのような決断を下すか。
まず、その2択で終わりません。子を生かし、子供達と隠れ家から出ていきます。
理由は、仮に我が子に手をかけたとしても、それを容認した集団に、今後生き残れる可能性を見いだせないからです。
また、外に出たところで、残虐で非道な者達に見つかるとは限りません。
見つかったとしても、子どもを連れた親が堂々と出てきたことで、相手にも「なぜ出てきたのか」「何か意図や罠はないか」と考える余地が生まれます。
利用価値や交渉対象として認識される可能性や、私たちを危険視せず、近くに隠れている者達を優先して探す可能性もあります。
つまり、選択肢を増やすこと自体が、生存の可能性を増やすと考えます。

●「全体を助けるために子どもを黙らせろ(こ◯せ)」と要求する周囲の人々をどう思うか。
それを要求・容認・黙認する集団は、同じような状況で誰かを切り捨てる判断を正当化しやすくなると思います。
一度「集団の生存のためなら誰かを犠牲にしてよい」という原則を認めれば、次に犠牲にされるのが誰なのか分からなくなる。全員が疑心暗鬼になり、信頼関係も失われます。
赤子をこ◯した時点で、その集団は崩壊への一歩を踏み出している可能性が高く、長期的な生存率という意味でも、私はそこに未来を見いだせません。

●もし自分が子どもを持つ親ではなく、周囲の避難者の立場だったらどう思うか。
その子どもをどうにか泣き止ませたり、鳴き声が響かないよう布を集めたり、自身も壁になったりして、全員で生き残る方法を模索し続けます。
もし「こ◯せ」という圧力が強ければ、「では、あなた達は赤子の次に、どんな弱者を作って切り捨てるのですか」と問います。
私自身の心情としては、「ここで赤ん坊を捨てるなら、それは人間としての〝死〟と同義だ」と思うでしょうね。

もちろん想像に過ぎないので、実際にその状況になったらどうするかは分かりません。
ただ、現実なら今回「確実」とされた部分の多くは「可能性」になります。
だからこそ、最初から与えられた2択だけを見るのではなく、選択肢を増やすことが生き残る可能性を増やすと考えます。
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