まず「日本人は知らない他人が自分の顔を見ていると思い込んでいる」という単純な話ではないでしょうね。「顔を見られている」というより、「他人からどう見られるか」「周囲から浮かないか」「悪くも良くも目立ってはいないか」を意識している、と考えたほうが近いと思います。要は、集団の一部として溶け込もうとしているような感じですかね。日本社会には周囲との協調を重視する傾向があるので、それが身なりや行動にも表れることはあるでしょう。「相互監視」というのも、文字通り互いを監視しているというより、周囲と足並みを揃えるという同調行動を指しているのであれば、そうした側面はあると思います。ただ、「日本人は皆そうだ」とするには主語が大きすぎます。 また、マスクには外見を隠すという側面もありますが、感染対策や他人への飛沫を減らすという側面も大きいです。「自分は対策しています」と周囲に示しやすいアイテムでもあり、「感染対策をしていない」と見られるぐらいなら、なるべく付けておいたほうがいい、という心理もあるでしょう。一方で、マスクを嫌う側にも、表情や口元を重視するコミュニケーションなど、別の理由があります。だから、マスクをする人としない人を、それぞれ「自意識過剰」「自己表現重視」と単純に分類できるものでもありません。ただし、何事も度が過ぎれば話は別です。「他人の目が気になって何が何でもマスクを外せない」という状態も、「どんな状況でも何が何でもマスクを着けない」という状態も、極端になれば病的に見えます。結局のところ、問題なのはマスクをするかどうかではなく、状況に応じて自分で選択できるかどうかだと考えられます。そして質問の最後の問い「面倒くさくないのか」という点について言えば、〝頑なにマスクを着ける〟のも、〝頑なにマスクを着けない〟のも、どちらも面倒くさいと私自身は思いますよ。ただ、問題はその根拠や理由が何なのかでしょうね。自分なりに筋の通った理由があって、その判断に納得しているのであれば、本人にとっては「面倒」ではなくなるのかもしれません。人間の行動には複数の要因がありますから、「日本人は自意識過剰だからマスクを手放せない」と一つの理由だけで説明するほど、単純な話ではないですね。
まず「日本人は知らない他人が自分の顔を見ていると思い込んでいる」という単純な話ではないでしょうね。「顔を見られている」というより、「他人からどう見られるか」「周囲から浮かないか」「悪くも良くも目立ってはいないか」を意識している、と考えたほうが近いと思います。要は、集団の一部として溶け込もうとしているような感じですかね。日本社会には周囲との協調を重視する傾向があるので、それが身なりや行動にも表れることはあるでしょう。「相互監視」というのも、文字通り互いを監視しているというより、周囲と足並みを揃えるという同調行動を指しているのであれば、そうした側面はあると思います。ただ、「日本人は皆そうだ」とするには主語が大きすぎます。 また、マスクには外見を隠すという側面もありますが、感染対策や他人への飛沫を減らすという側面も大きいです。「自分は対策しています」と周囲に示しやすいアイテムでもあり、「感染対策をしていない」と見られるぐらいなら、なるべく付けておいたほうがいい、という心理もあるでしょう。一方で、マスクを嫌う側にも、表情や口元を重視するコミュニケーションなど、別の理由があります。だから、マスクをする人としない人を、それぞれ「自意識過剰」「自己表現重視」と単純に分類できるものでもありません。ただし、何事も度が過ぎれば話は別です。「他人の目が気になって何が何でもマスクを外せない」という状態も、「どんな状況でも何が何でもマスクを着けない」という状態も、極端になれば病的に見えます。結局のところ、問題なのはマスクをするかどうかではなく、状況に応じて自分で選択できるかどうかだと考えられます。そして質問の最後の問い「面倒くさくないのか」という点について言えば、〝頑なにマスクを着ける〟のも、〝頑なにマスクを着けない〟のも、どちらも面倒くさいと私自身は思いますよ。ただ、問題はその根拠や理由が何なのかでしょうね。自分なりに筋の通った理由があって、その判断に納得しているのであれば、本人にとっては「面倒」ではなくなるのかもしれません。人間の行動には複数の要因がありますから、「日本人は自意識過剰だからマスクを手放せない」と一つの理由だけで説明するほど、単純な話ではないですね。