人はなぜ優しくするのか
優しさは自己満であり、利己的な目的を持った行為だと思います。
優しさを無条件であげることに自分にとっての利益ってないですよね。だって優しくする理由なんて、優しくした事に対して見返りが欲しいから、優しくしてる自分の像を周りに見て欲しいから、とかで。実際には、期待した結果は得られないことが多いですよね。優しさというものは、自分が良い気になりたいという自己満足や、何らかの自己利益を伴ったものにすぎないのではないかと思っています。だから結局、優しさは自分が良い気になりたいだけの偽善としか思えません。
そう思うと優しさを持ちたい、優しくありたい、という考え自体が却って滑稽であるように思えます。
私は以前優しさについてここで質問を投げました。返答では「優しさを意味やメリットという観点で考えている時点でそれは優しさではなく、恩着せがましい演技である。恩返しが来ないという考え方をしている時点で心が醜く貧しい。」と貰いました。ですが、恩着せがましい演技かそうでないかなど本人以外知る由もないのに、目の前の優しさが本物だと信じているのでしょうか。そもそも真偽の境界線もはっきりしていないのに、自分だけがすり減っていく優しさを美徳だと信じている方が私は理解できません。
長々と話しましたが、結局私が聞きたいのは人はなぜ優しくするのかということです。自分を犠牲にしてまで追い求めるほどの意味があるのでしょうか。

なおさん
言ってる事はよ〜く分かるんだけど😮
それを踏まえて敢えて言おう😮
愛が欠落してないか?😮

ねね

ひかるそら146
私も、他者にそのような幸福を与える事ができたらいいなとも思います。自分をすり減らすのとは違います。心からこの人のために何かしたい、幸せになってほしいと思った時に現れる行動が優しさではないでしょうか?それは、恋かもしれないし、友情かもしれないし、母性かもしれないし、これらのどれにも当てはまらなくても、見返りとは別に存在する感情のように思います。

Ryan
「優しさは自己満…」は同意します。情けは人のためならず、と言われるように自分自身に返ってくると思っている節があると思ってます。
「優しくありたいという考え方が滑稽…」は同意出来ません。自分自身が満足できる状況になるための手段として、優しさを利用する事は別に普通です。利己的な側面は人間らしさと言えるでしょう。
「自分だけがすり減っていく優しさを美徳だと信じて…」はよく分かりませんでした。利己的な考え方で何で自分がすり減るのでしょう?
「自分を犠牲にしてまで…」
多分、質問者さんは何かをすり減らしてまで優しく在ろうとしているのでしょうか?得られる自己満に対して、消費するものが見合わないなら止めるべきです。自己満はその名の通り満足できなかったら無価値ですよ!
最後に「人はなぜ優しくするのか」ですが、私の場合はその優しさがいつか自分に返ってくると思っているからです。利己的ですが、何も気にしてませんし、自己完結なのですり減る事もありません。当然、自分を犠牲にしてまで優しくする事はありません。
もっと肩の力を抜いていいと思いますよ。
yue
でもその時、見返りある前提でやったことじゃないのに、それで腹が立つのは私が偽善者で残念な奴だからだ。と悩んだ時期がありました。
あと、私は鬱になって思ったのは、人に優しくできる人は自分の心に余裕がある人!です。
今だから思える事ですが、それで悩むのって変に真面目さがあるからなんですよね。
結構周りの人って、「あ、落とした、拾ってあげよ」くらいなんでしょうね。
で、その後に「優しいことしたわー」って思うんじゃないでしょうか?優しくなろうとして人に優しくするのって限界があると思います。
誰かのために行動が取れる心の余裕で動いた、結果、それが「人に優しくした」になった、だけかなと思います。
たとえ家族でも恋人でも親友でも、自分を擦り減らしてまでする優しさはいずれ限界がくるので追い求める必要はないし、しない方がいいですよね。崩壊した時に「私はこんなにして“あげた”のに!」って言っちゃうから。

もも

たけじろう
コウ
Taka
更に言えば優しくされたいから

pophat
過去に自分が味わった辛かった苦しかった状況に似た光景を見掛けた時に、結局はあの頃を思い出し追体験してしまう。
その状況に今の自分が手を差し伸べられれば、過去の自分も含め心の痛みから救われる。
ついでに時々お礼を言われたり恩を感じてくれたりもする。
それだけで良い気もしています。
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