植松聖死刑囚は正しかったと思う?

リボンちゃん
植松聖さんはその多数派の価値観に素直に従った真面目な人。
もし、「植松聖さんは間違っている!」というなら現代日本の大衆にはびこる「金を稼げない人間は生きる価値がない!」という価値観が間違っているということだと思うの。
見習い
彼の考えには「社会的・経済的な利益が善である」「人間の価値を外部から判定できる」「その判定によって生死を決められる」という、いくつもの飛躍があります。
「家族が悲しむから」という反論も、それだけでは足りない。
彼が社会全体の利益を上位に置くなら、悲しみより利益を優先すると返せてしまうからです。
そして現代社会は、そうした価値判断に対する、より根本的で共有可能な反論を十分に持ち得ていないようにも思えます。
昔であれば、その役割は「宗教」が担っていたのではないかと考えられますけどね。
なので、もっと根本から考えてみます。
そもそも死とは、解決になることはなく「破綻」そのものなのではないか。
そもそも人の認識の正しさを、人が証明するのは困難です。
世界における絶対的価値、他者の存在意義、将来の可能性予測。
それらを人間が確証をもって判断することは、まず無理でしょう。
考え続けることで、その確証に近づくのが精一杯なのだと思います。
そして植松死刑囚は、その思考を放棄し、破綻させることを選んだわけです。
表面的には解決のつもりでも、これは明確な「破綻」です。
そして本来、そんな判断を下せるのは、神のような万能者のみでしょうね。
つまりこれは彼の「傲り」です。
そして仮に彼の基準を採用するならば、対象は人類全てへ容易に飛躍します。
これを正面から否定できない社会もまた、破綻の道を歩んでいるのかもしれませんが、
彼の理論はそれ以上に破綻し、正しいとは到底言えない位置にあると考えます。

