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「自己認識と他者認識が食い違った場合、どのような証拠や基準を用いて、どちらの認識が現実により近いと判断すべきか?」

〆さば

〆さば

関係性の問題として解く。
①相手が正しいと仮定して全体を点検。
②違和感のある部分を抽出保存(違和感A)
③自分が正しいと仮定して全体を点検。
④違和感のある部分を抽出保存(違和感B)
⑤違和感A,Bを比較し事実ベースでスコアリング
⑥どちらかに重みがつくなら「某はこの部分についてこのような考えからこう思ったんだけど汝は如何に」と確認。
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すーへー

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大切と思った人が感謝してるなら、これで大丈夫だったかなって思う
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ひっぽ

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記録や実際の行動など客観的に確認できる事実を証拠とし、その事実とどちらの認識がより整合するかを基準にして判断する。
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ヤマトラ

ヤマトラ

世の中の様々な事象について、自己と他者にそれぞれの認識と理解度に差が在るため、一般に普遍的とされる考え方に近いとされる方を取るのが現実的では?
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サト

サト

長文失礼します

初対面の他者認識<自己認識<親しい他者認識
なんじゃないかなとは思う

初対面に「あなたはこういう人」と言われても
「いやいや、そんなことはないよ」になる
大抵が本心も出さないし

対して
親しい人からの「こういう人だよね」だと
自分の無意識にも気付かされることもある

それに
職場で見せる顔、家での顔、恋人の前での顔
当然変わる
それは「そう見せたい」という
意識と無意識の現れで
偽の顔と言いきれない
偽の顔だとしても
それも自分と言っていいと思ってる

さらに
学生時代の友人に数年ぶりに会えば
「あなたはこうだよね」だと
会ってないうちに変わってる可能性あるけど
「あの時こうだったよね」だと
過去の事実としての信憑性は上がる

ということなんじゃないかなと思う

なんだけど、個人的には
そこに食い違いがあったところで
「ああ、そう見えてるんだね」というだけで
あまり気にしないのがほとんどですね
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はかり

はかり

1、互いの認識から生じる行動が直接的に自己本位ではないかを確認する。
2、その行動が認められる範囲を確認し合う。
3、どちらの範囲のルールに従うべきかをすり合わせる。
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みゆき

みゆき

他者認識
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Dr.ポランコ

Dr.ポランコ

他者認識を尊重する際には、10人前後の意見を基準にすると良いかと思います!n=1の意見は基準や証拠にはならないと思っておりますよ。しかし!10人の回答をいちいち集めてらんないので、結局は自己認識を信じて、自己認識が尊重される環境に身を置いて楽に生きるのが1番だと思う自己中野郎が僕です!笑自己中に生きようぜ日本人!!!
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akuma

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当然、他者認識に決まってるじゃん
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