あなたが寄付をしない理由を教えて下さい
とある国際支援団体への寄付をお願いする仕事を過去にしていました 参考にさせていただきます
見習い
理由は、人助けとはできるだけ「一次」で行うものだと考えているからです。
自分の手が届く範囲で誰かを助け、その人がまた別の誰かを助ける。
そうやって輪が広がっていくほうが、長期的には健全だと思っています。
砂漠全体に水を撒こうとするより、まず自分の足元に草を生やす。
草が根付き、土が水を蓄え、やがて隣へ広がっていく。私が理想とする人助けは、そういうものです。
もう一つ、私は「感謝」というものも大切だと思っています。
「感謝されたいわけではない」という考え方は美徳として語られがちですが、助ける側が感謝を求めないことだけでなく、助けられた側が「感謝できる」ことも大切と考えています。
もちろん、寄付を受けた人も現地で直接支援してくれたスタッフには感謝できるでしょう。
ただ、私にはそれだけでは少し足りないと感じます。特にその循環構造ですね。
その支援を可能にした、顔も名前も知らない遠くの寄付者に対して、直接「ありがとう」と伝えることはできない。
まして、その恩を今度は自分が誰かに返していくという関係も作りにくい。
私は、人助けを単なる一方通行の「与える・与えられる」にしたくありません。
今日は自分が助ける側でも、明日は誰かに助けられるかもしれない。そして、受け取ったものを別の誰かへ渡していく。
寄付が悪いと言いたいわけではありません。災害など、遠くからの支援が必要な場面も当然あります。
ただ私は、恒常的に「与える側」と「与えられる側」に分かれてしまう関係よりも、互いに助け、感謝し、その恩を次へ渡していける関係のほうを健全だと考えています。
重要なのは、一方的に誰かを救い続けることではなく、助けられた人もまた誰かを助けられるようになること。
その循環が広がっていくことこそ、砂漠を緑に変えていくことなのだと思っています。
この考え方は、聖書で語られる「隣人を愛しなさい」という言葉にも通じるものだと思っています。
遠くの誰かを救おうとする前に、まず自分の隣にいる人を愛し、助ける。
そして、その人がまた別の誰かの隣人になる。
私は、そうした循環こそが「隣人を愛する」ということの一つの形なのではないかと思っています。
ルルゥ
大抵のケースが寄付しても私服に肥やして肝心の支援者にそのお金がこないからです
海外でも某国とかは自分の為に使い肝心の国民にはお金が来ない無駄な使い道などありましたからね
ここ最近だと24時間とか

