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なぜ人間は、相手を敵か味方かで判断しがちだと思いますか?(本文参照)

最近、「傷つけられた」と言われたことがあり、全く違う場面で「傷ついた」と思ったこともあります。それでふと思いました。家庭•職場•恋愛などにおいて、そのような場面が多く見受けられると思います。勘違い、思い込み、解釈の異なり方によるボタンのかけ違いなどがほとんどではないでしょうか。戦争、政治的•経済摩擦も含めます。自分のAIからの回答を添付しますが、AIからの回答も人によって異なると思います。AI以外のご自身の考えによる回答も歓迎致します。添付画像への感想、ご意見でも構いません。
並行次元

並行次元

人間はリーダーがいると大抵の場合、自分の能力を使わずに楽をしようとします。何故ならその方がリソースを節約できるからです。しかし、そのリーダーが居なくなって、他にリーダーに匹敵する能力がいないと分かると同じ集団の中からその能力に匹敵する次点のリーダーが選別されます。これはどの集団でもほぼ似たようなことが起こります。よく言われている262の法則がこれに当たります。ただこの法則も誰かが言ったものです。本来なら独自に自分から発見すべきものです。人はリソースを節約したほうが楽なことを知っているので、それを安易に選んでいますが、これと同じ挙動はAIにも見られます。もしあなたが独自性を発揮しない場合には、それ相当の回答しか得られないのはその為です。
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コーユー

コーユー

私は、そもそも「人は相手を敵か味方で判断しがち」という前提には少し疑問があります。

もちろん好き嫌いや、傷ついた・嬉しいといった感情はあります。でも私は、その感情をそのまま相手に貼り付けて「敵だ」「味方だ」と考えることはあまりありません。

むしろ本文や他の方の回答を見て感じたのは、人は自分の快・不快の原因を相手に結び付けやすいのではないか、ということです。

もし「この人が悪い」「この人のせいで傷ついた」と決めつけるのではなく、状況やタイミング、認識のズレにも目を向けられれば、敵・味方ではなく状況に応じて解釈できるようになります。

その結果、勘違いやすれ違いも少し減るのではないでしょうか。
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akuma

akuma

人間とはそういう生き物だと思います。競争心、嫉妬、面子、矜持、ブライド、などが複雑に絡み合ってるのが、人じゃないかな
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まくすうぇる

まくすうぇる

傷ついたとか傷つけられたという感覚には、特に傷つけられたの方には
「相手が傷つけようと思っている」という予測が多少の差はあれど付随していて、
この予測が当たっていない場合も結構多いので質問本文に書かれているボタンのかけ違いというのはホントその通りだなぁと思う

この予測が当たっていれば、相手は敵であるといえる。
が、これはあくまで予測なので「敵であると考えられる」これは自身の判断である
質問の敵か味方かで判断しがちなのかというのは、おそらく、なぜ敵or味方の二元論になるのかってことだよね

これは「相手が自分を傷つけようと思っているだろう」という予測を
その予測が当たっている確率で考えたときに
グラデーションのようになだらかに判断するのではなく、どこかの段階でぐっと確信するものだからではないか

イメージ像を出すとするなら天気予報の降水確率かな
0%から100%まで段階的にあるけれど体感30%くらいでもう降るだろうって思うじゃん

それと同じように全然傷つけようとしていない0%から傷つけていると相手が言った(言質)100%まで相手の言動には段階があっても、自分の判断としてはどこかの段階でこれは傷つけようとしていると確信めいた判断をする特定の段階があるのだと思う


ではなぜ、どこかの段階でぐっと確信めいた判断があるのか(二元論になるのか)となると
まぁ気分とか疲れ、余裕や状況によってかなり左右されるだろうけど

ひとつ提示するとするなら、自分の対応に選択肢が少ないからかな
受け入れor拒否とか信じるor信じないみたいに対応できる手が2つしかなかったりすると
判断ポイントを増やす意味がないからね
傘を持って行くか持たないで行くのかの2択しかなければ、判断も降るか降らないかしかないみたいに

なので自分の取れる対応を複数持つことができれば、判断ポイントも増えていって二元論的判断から離れられるような気もしますね
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ひっぽ

ひっぽ

生存競争のなかでは、確実に安全と証明されたごく一部のものだけを味方とし、未知のものは一旦敵とみなすのが最も生き残りやすい。何故なら、敵と見なしていたものが実は味方だった方が、味方と見なしていたものが実は敵だったよりもリスクが小さいから。
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サト

サト

敵かどうかの判断は
自分にとって害かどうか

味方かどうかの判断は
困った時に助けてくれるかどうか

その上で
世の中のほとんどの人は
敵でも味方でもない人達
だと思う
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ミサキ

ミサキ

久々のリクエスト回答です!😆

敵か味方か生存本能!
たしかにその通りだと思います。
自分が生き抜くためには必要な能力です。

ただ人間は想像力が非常に強い生き物です。
イメージの力です。

生存本能➕イメージ

これによって敵か味方かの判断を
誤認しがちになるのも人間なのです。

傷付け傷付けられる
ここにおいても同じ理屈ですね。

真に傷付けているのは
“自分自身”なのです。🤭

真理とは己の中にあるものです。

自分の中にある想像に囚われるから
人は傷付くものなのです。

そのイメージからかけ離れた時に
傷は開くものなのです。

イメージに囚われず
イメージをただの可能性と見た時
その可能性が外れても
傷付く事はないのです。

自分を傷付けているのは
自分自身のイメージなのです。

この人怖そうだな…
このイメージの元に少し怒られたとしましょう。

するとどうでしょう?
本来の感覚よりもより恐怖を感じます。
それがイメージの力なのです。笑

逆もまた然り
優しそうな人が急に怒るとどうですか?
これもまた怖いと感じるものです。

すべてはイメージが創り出した幻想なのです。

イメージゼロの行き当たりばったり
これが一番傷付かない方法ですね。笑
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見習い

見習い

人が敵と味方に分類しがちなのは、結論を出すことで判断の負担を減らせるからだと思います。

「まだ判断できない」という状態は、情報を集め続け、考え続ける必要があります。
一方で、「敵」「味方」と結論づけてしまえば、その後の判断は楽になります。
そのため、人間は無意識のうちに早く分類しようとする傾向があると考えられます。

ただ、その分類は本来、限られた情報から立てた暫定的な仮説に過ぎません。
それを〝確定した事実〟として扱ってしまうことが、偏見や対立を生む一因なのだと思います。

私は「敵か味方か」と分類すること自体が悪いとは思いません。
問題は、その分類を更新しなくなることです。
新しい情報が得られたら仮説を見直し、必要なら評価を修正する。
その姿勢を持つことで、思い込みに振り回されにくくなり、相手をより正確に理解できると考えています。
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よん

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#グラちゃんねる で質問したよ!
回答を待っているよ!
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