人間は意味で動いているのか、回路で動いているのか(詳細あり)
言語化できない記憶は「記憶」と呼べるのか?トラウマに見られる無意識的な身体反応は、記憶か単なる条件づけか?

正宗(ろー)
人間は、
希望があるが未知<辛いけど予測可能
安全っぽいが未知<安全ではないが予測可能
という回路があるので、こういった思考特性や認知仕様は、思考、行動選択、行動決定、実際の行動における『制約』になり、ここに状態空間探索と、環境制約という動的構造からアトラクターが生じていると考えられ、このアトラクターは不可知になると考えられます。
したがって、不可知の制約空間を探索するのが思考であって、その思考を生むのが回路であって、実際に動く部分はアトラクターが関わると考えられます。
例えば、1人ではサーフィンに行けずとも、Gravityでたまたま仲良くなって、近くに住んでる人が、布教用の呼びサーフ道具一式を持ってて、車で運んでくれるといった環境が揃ったら、このアトラクターは変わると考えられます。
人間の思考は、その個体においては重要なものに位置付けられ、主体的に自己決定権を知覚するため、行動選択や行動決定には自分の思考が深く関わると認識しがちですが、実際には周囲の多次元的な要素と相互作用で成り立っていると考えられ、この複雑な相互作用を処理・運用するために人間の前頭連合野は発達したのではないでしょうか。
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言語化できない記憶について
記憶は当時の記憶のスナップショットではなく、再構成されて作られると考えられ、しかし、主体においてはこれを知覚できないと考えられます。
言語化できない記憶というのは、再構成化される前の記憶でしょうから、未分節ともいえますし、より原体験に近い『感覚』になるかもしれません。
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トラウマに関しては、再演奏で説明できると思います。
特定の匂いを嗅ぐと懐かしい思い出と紐付けされるように、記憶は何らかのトリガーで再演奏される仕様があると思います。
それが温かい思い出なのか、辛い思い出になるのかは主体的に選択できませんが、この場合はトリガーを分化・精緻化することで、紐付けそのものは解体できなくても、ある程度制御することは可能だと考えられます。
ここは発達障害と社会適応力の関係とも似ており、特性そのものは変えられずとも、ノウハウ的に制御や対処を獲得することで、事実上の克服や適応達成が実現可能だと考えます。
人間は、自己が納得しやすい帰属理由を持ってくるので、

〆さば
反射にも多分脊髄反射と条件反射があって、後者は記憶に紐づいているのではないでしょうか。

