感情のために論理はある。感情が主で、論理は従。だって論理的思考って、何故から始まる。何故りんごは木から落ちる?何故人には心がある?何故今俺は怒っている?全部後付け。でも感情は違う。理由もなく怒りが湧き立つし、誰かを愛するためのロジックを予め組み立てたりはしない。だからと言ってそこに優劣がないのが人間の面白い所で。論理はエンジンで、感情はガソリン。エンジンだけだと鉄の塊で、ガソリンだけだと危険な爆発物でしょ。感情は人の願望そのものだけど、それを正しく動かし、他人に伝えるためには論理がいる。どっちも大事だけど、どっちかを選ぶなら感情じゃない?問題なのは感情が大切派の人はこんな長文読まないよなぁ、というだけでw
論理は損得の話で、感情は好き嫌いの話。得と嫌いがぶつかることもあれば、好きと損がぶつかることもある。大切とはどちらを優先すべきか、という話だと思うけど、正直状況によって優先すべき物は変わるし一概にどちらが大切とも言えない。
感情の先に論理があると思っています。じゃないとそれこそ機械みたいな人間になってしまいますよ。感情から湧き上がる想い、そこから論理が立ち上がって来るのかな?そういう風に思います。だって…興味が無ければ論理も何もあったものではないですよね?笑
論理もまた感情を隠した別スタイルの「感情に流される個人」に過ぎなくて、例えるなら外見(論理)と中身(感情)って感じかなとは最近思いますね。最近よく聞くルッキズムなんて言葉も正味外見にだけ価値を置いているんじゃなくて今の環境の中で作り上げられた精神的な美の観点のわかりやすい置き所を外見だとしているにすぎない気もします。つまり論理とは逃げ場で、感情こそ現実なのかなという感じですね。