相手に笑ってほしいと言う感情はどのように生まれますか?
自分はよく嘘をつきます。人と話す時に、咄嗟に嘘や誇張したエピソードを作り上げ、相手を笑わせて来た事がこれまでに何度もありました。
先日、それをある友達に見抜かれてしまいました。君は嘘つきだと。
確かにそれはそうです。自分は嘘つきで、なんなら嘘で人を笑わせられる自分に才能を感じてしまった事すらあります。
しかし、人に笑ってほしい・少しでも幸せな気分になって欲しいと言うのは、幼い頃からずっと抱き続けて来た本音です。人と話す度に、「この人はどんな話をしたら笑ってくれるのだろう」・「相手がしたくない話題は避けよう」等を常に考えて生きてきました。けれどこの本音も、「僕が行う事で」が前提にあるように思えます。こう考えた時に、結局自分は、人に幸せになって欲しいと言う純粋で綺麗な気持ちはなく、ただ自分が気持ち良くなりたいだけの人間だと思えてきました。
質問ですが、皆さんは相手に笑ってほしいと言う感情はどこから生まれますか?また、そこに利己はどれだけありますか?

まさたか†
相手から大切に思われていれば、向こうから笑顔を向けてくれますよ
その分、相手を大切に思っている事を言動にしないと疎外感を相手に抱かせてしまうと思います

おもち
自分の感じた事思った事を言っただけなのですが、私のさっぱり訳わからん言い方のせいで、恐らく相手は「ウケを狙っている」と思った可能性が高いんですね。つまり、恐らく私の発言に対して「つまらない」と言っていたのに、私の方が誤解をしてしまい、「(私という人格が)つまらない」と受けとって深く傷付いたんです。まあ、面白くしたつもりがないのにつまらないと言われたら、誰だって誤解はすると思います。
そこで気付いたのですが、どうやら私は面白い人間であろうとしていた様なんですよね。そうでなければ、「つまらない」と言われただけでそんな訳わからん誤解をして傷付く筈がないですからね。この「面白い人間であろう」という事も因を辿れば、泣くよりもずっと笑う方が楽しいだろうという気持ちが子供の頃からあった様に思います。
誰かの為にと思う事が、得てして自分を利己的にしてしまうという事は、私は誰にでもあるんじゃないかなぁと思っています。
嘘吐きになったとしても、誰かを笑わせたいという事も純粋である様に私は思います。ただ、嘘をつく問題点は、嘘を吐いた側の人間性が見えて来ないという所でしょうか。人によってはかえって傷つくか、不信感を覚えるでしょう。
誰かを笑わせる為には自分が面白くあらねばならず、面白くあろうと執着して利己的になってしまう。
僕個人の意見というかほぼ妄想みたいな所があるでしょうけれど、そんな感じかなぁと思いますね。

o

Kazuっち
楽しく笑ってくれたら自分も幸せな気分になれますもの

うに
自分に関係ある部分で生じる笑いなら「笑わしてやった」という達成感、今後の相手との安定して続けられる関係の保証、みたいな互いに生まれるメリットを“利他的”と称しやすい利己的判断だと思います。
創作物とか失恋後の感覚にありがちな「笑って(いて)ほしい」は、自分への慰め、過去に生じた関係性の価値に意味を与えて薄れさせないため、自分を悪人にさせないため…みたいなわりと退廃的に近い感覚だと考えます。
あと、「感情」ってわりとその時生じた感覚と後から「こういう感情だった」って言った時のモノとで全く同じものではなくて、前者をかなり都合よく解釈して磨かれたものを「感情」だったと言っていることが多いので、ここできれいに文章にまとめた時点で多分正直な「笑ってほしいという感情」は書き切れてないと思います

貴

愛川 うらら
自分自身が安心したいという気持ち

わい
自分も10倍くらいオーバーリアクションして友達が笑ってくれると嬉しくなるよ!

まりるん
生まれます

まりるん
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