私たちは言葉を読んでいるのか、それとも解釈を読んでいるのか
言葉の単純さは、必ずしも思考の浅さを意味しない。
深く分解された末の圧縮なのか、未展開の省略なのかは、外形だけでは判別できない。ただし、攻撃性や整合性、防衛の混入といった要素には傾向として差がにじむことがある。さらに重要なのは、受け手は言葉そのものよりも「そこにどんな意図や思考があるか」を推測し、意味を補完しているという点である。
このように考えると、私たちが反応しているのは言葉そのものというより、自分の内部で生成された意味かもしれない。
そこで少し聞いてみたいのですが、皆さんは自分の思考がどのような前提の上で動いているかを意識したことはありますか。自分の中で意味がどのように形成され、採用されているのかを観察したことはありますか。
私たちは言葉を読んでいるのか、それとも自分の解釈を読んでいるのでしょうか。

GALVON
その厚みを判断しますので、
解釈を読んでいると思います
体験のない自分がミスリードするのは、
その為だと思います

憂い顔の騎士
思考し、行動している

夏休みの最終日

サト
言葉を読んで解釈を組んでるのだと思った

K
読んでいて面白いなと思ったのは、皆さんが見ている場所がそれぞれ違うことです。
最終的な人生基準から考える方、二項対立そのものを疑う方、言葉の幅を指摘する方、自分の価値観を読むという視点。
同じ問いでも、焦点がこんなに分かれるのが興味深いです。
もしかすると私たちは言葉を読んでいるというより、自分の回路を通して再構成しているのかもしれませんね。

K
回答を待っているよ!

リラリラ

こみみ
って返ってくるだけじゃないのが言葉の難しい所だけど
言葉の持つ意味や意図って、言葉に対する造詣が深い人ほど深読みするだろうし
発信する時は他の意図くっつけて読まれないように苦心するだろうし
まぁつまり、基本は解釈読んでると思う
特に感情が乗った言葉や物語は特に
そうじゃない場合だと事務的な言葉は
解釈も何もない…はずなんだけどね
やっぱり無駄な解釈見ちゃうんですよね~[冷や汗]
造詣深いっていうより臆病なのか、言葉に対する信頼があついのかなんだかはわからぬ
デミ

ゆぬ
言葉には表す幅があるから
もっとみる 


