悟りというものは開こうと思って開けるものではありません。悟りを開きたいと思った時点で、それは既に煩悩なのです。しかしながら、願望を抱かない人間には、それを叶える事も難しいでしょう。逆に外部からそっと与えられた僥倖に、果たして人生の価値など見出だせるでしょうか。艱難辛苦という言葉は、単なる労苦の事を言うのではなくーー(以下略)