私の中で考えている「大人」とは、寛大な心を持てる人のことです。年齢が若くても、寛大さを持っている人を見ると、「この人は大人だな」と感じてしまいます。寛大な心を持ち、人の気持ちに寄り添える人は、きっと自分自身もつらい経験を重ねてきた人なのではないでしょうか。山あり谷ありの、遠回りをした人生を経験してきたからこそ、あのような行動や言動が自然にできるのだと思います。心が「大」きい「人」。それが、私が考える大人の姿です[ほっとする]
むかしむかし尊敬出来る大人だったのは"私の立場になって寄り添ってくれる"優しい人だった。叱る時は叱ってくれる理想の母親のような人だった。寝ても醒めても死ぬことしか考えられなかった幼い頃の私は、その人に初めて頼った。相談したい。そう思った。相談をしてみた。その人は静かに聞いて、私の為に泣いてくれた。けれどそのあと、その人は心を病んでしまった。受け取ったのは、"これ以上関与出来ない"の空気だった。当時の私は責任を感じた。私の話は、重い。人に話してはならないと。今となっては、その方は自他境界の棲み分けを出来なかったのだろうと思う。だから今、その方を大人か?そう問うと解らなくなる。時が過ぎ、別の大人に相談した事がある。「帰って寝ろ」と雑に笑ってくれた。結構それが心地良かった。でもそれが大人かどうかもわからない。きっと彼は世間が描く大人とはかけ離れた存在だから。大人って何だろう。それは未だに分からない。質問への回答として、私がなりたい大人像を以下に置いて行きたい。┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈もし私が大人になるのなら誰かに頼られたとき、感情で抱きしめることも雑に突き放すこともせず、その人が自分で選べる現実的で逃げ道のある選択肢を差し出せる人間でありたいとそう考える。かといって、大人という鏡像を追う必要はあるのか?と搖れる私も居るのです。御精読頂きありがとう💌𓂃𓈒𓂂𓏸