愛と差別の違いについて説明してください。詳細は本文
愛を発生させるためには明確な境界線(愛する人、愛さない人)が必要になります。これは人によって愛の差を作る差別の根幹にあたる行為です。
逆に全員を愛する人は差別がない状態ですが、全員平等に愛を配ることはできないため他人を愛さない・関心を持たない方にたどり着きます。
サイコパシーが全員を平等の基準で測っているのはこのためです。
それでは愛とは何でしょうか?差別とは何でしょうか?全く違うもののようで同じもののように思います。

ソウ
愛:"行動により"確定した結果(差別を厭わない)
サイコパシー:(差別しないという)規範により"行動しなかった"ことによって不確定のままある可能性
といったように、"行動"の有無により世界に影響を与えたか否かという違いがあります
(注:外界に影響を与え何らかの変化をもたらした場合に"行動した"と定義しています
'何もしない'をした は行動には含まれません)
以上を鑑みると、
愛=行動
差別=行動を起こす際の副次的な結果であり、判断要因
となります
まず"愛"があり、実際に行動するにあたり"差別"をどうするかの問題が発生してくるため、比較するには次元がズレているように感じられます
繰り返しとなりますが、
まず"愛(行動の契機)"があり、そこに従として"差別(懸念点?)"の順であらわれると考えるため、密接に絡み合っているとは思いますが同次元で語る概念ではないのかなと思っています
愛のための差別をよしとするか
差別しないために愛を捨てるか
同列に見えても実際は因果関係なのかな、と
因果の順番が真逆の人たちがいるとしても、それぞれの人にとっては主従の関係性を持つ概念同士で、どっちの順序で処理する人にとっても同列に見えることはないのではないでしょうか

おとこ
質問の本文の'愛'は'好意'の方が個人的に適切な気がします。愛は能動的なものではなく、その人が直面している現実な対する受動的な反応に、相手が好意的に感じる要素があるかだと思ってます。

ぉと
差別は行為。
愛は見えない。
差別は見える。
愛は他者に与えるモノ。
差別は自分を縛るモノ。
らいむ

こうへい
個人を愛する系は差別というより特の別で特定の人や物上げる行為ではと 今思った

なつき

村夜
一つは物事に差を付けること。区別と同義。
一つは不当に差を付けること。問題になりがちなのはこちら側です。
前者には好悪がありませんので後者で答えます。
愛は特別な理由なく相手に好意を持ち
差別は特別な理由なく相手に嫌悪を持ちます
憎しみは愛の裏返しとか聞きますが、そんな不確定な事項は置いときます。取るに足らない。

せいせい

きい
かつのん
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