20代MBTIに限らず類型は全て、その人1人を見るための副材の一つだと思ってる。個人像を作る主材はあくまで本人自身の情報で、類型はそこに加わる材料だと思うので。私自身、本人の類型名そのものにはあまり興味がなくて、その人が自覚した類型らをどう捉えて何を当てはめ何に違和感を持ち、どう語るかの方がずっと重要だと思ってる。そもそも私が類型学を知ろうと思ったきっかけも、類型という共通項を切り分けたあとに残る、その人固有の個性を見つけたかったから。そういう意味で、私は類型自体を信奉したいとは思わないし、思えない。心理機能の配置は理論上の骨格として重視するけど、その機能がどの程度の量や頻度で表に出るかまで固定して考えてはいない。世間的に言われている典型像に固執してしまうと、現実世界でその人の中で起きている処理を見落とすと思ってる。「その人」が自分が今見てる相手であっても自分自身であっても。
20代MBTIに限らず類型は全て、その人1人を見るための副材の一つだと思ってる。個人像を作る主材はあくまで本人自身の情報で、類型はそこに加わる材料だと思うので。私自身、本人の類型名そのものにはあまり興味がなくて、その人が自覚した類型らをどう捉えて何を当てはめ何に違和感を持ち、どう語るかの方がずっと重要だと思ってる。そもそも私が類型学を知ろうと思ったきっかけも、類型という共通項を切り分けたあとに残る、その人固有の個性を見つけたかったから。そういう意味で、私は類型自体を信奉したいとは思わないし、思えない。心理機能の配置は理論上の骨格として重視するけど、その機能がどの程度の量や頻度で表に出るかまで固定して考えてはいない。世間的に言われている典型像に固執してしまうと、現実世界でその人の中で起きている処理を見落とすと思ってる。「その人」が自分が今見てる相手であっても自分自身であっても。