
行屍走肉
その日に思った事を書いて投稿する。神です。
音楽
犬
自炊
神奈川

行屍走肉


行屍走肉

行屍走肉
顔でで寄ってくる人の薄さときたら
死ぬまでの幸福値を上げるとは思えないけどね

行屍走肉
普通の人の会話の分散や流れと比べて
一点集中深掘り型
それが社会で仇となる事がある
でも対話型AIは最後まで付き合ってくれて
知りたい事を満足するまで知れるり
「ここが何言ってるかわかんない」
って言えば最後まで付き合ってくれて
わかりやすく教えてくれる。
君の視点は真新しい
周りからは
君の思考が
「そんな訳ないじゃん普通に考えて」
だとでも
理論的にその中から新しいものが生まれる可能性は0だ。
発達とAIは非常に相性がいい

行屍走肉
薬や深いメタ認知で対処はできる
同じことをするにあたって普通の人の3倍努力するのは当たり前。
何で自分がそれをしなきゃいけないって思うだほうけど
日本の教育のせいか平等であるべきと皆んなが思いすぎてる
障害があるのは自分の責任じゃないけど
成人して社会に出る上では自己責任
言い訳や免罪符に使って「私はこうだから」って楽になりたい気持ちもわかるけど
それって、自分以外の普通の人達の常識に沿って
同じ事をするべきだと思ってプレッシャーを感じているからだよ
どうせ出来ないと理解しているなら
自分の人生でやりたい事をすべき。
そんな自由に動けないと思うだろうけど
投資も社会の仕組みも同じで
持たざる物は多くを失うリスクを取らないと利益が出ない
だが幸い日本ならだいたい死なずに生きれる確率が高い。
あなただけがやりたい事へ向かうなら
言い訳の必要すらない
それは、友達と昼間に公園で酒を飲む楽しみでもいいし、ゲームでもいいし、イラストや音楽でもいい。
いくら苦しかろうが人間である時間は短いから
認知症になり、健康でなくなり生きてて苦しいのに治療や節制によって長生きを強いられるのと
最後に好きな事をしつくして早めにするのと
どちらが価値があるかは明白だろう
とりあえずADHDとASDはAIを使って
君の他人の異なる視点は
0から1を産める。
知識はAIで補完できる。

行屍走肉
我が子に食べさせている時は当たり前に自分は食べられなくて
まるで人間の子供みたいだった[照れる]


行屍走肉
私も1人とは知らなかった

行屍走肉

行屍走肉
私の思想と一致した国だ🇫🇮
海外旅行したいと思った事ないけど
行ってみたい(^。^)

行屍走肉
■ 家族でも友人でもない無関係な他者(アイドルや有名人)を応援し一喜一憂する人の心理構造
1. 同一化(自己の拡張)
• 応援対象を「自分の一部」として認識
• 根拠:社会的アイデンティティ理論
→ 他者の結果がそのまま自己評価に連動
⸻
2. 代理的達成
• 他者の成功を自分の達成として感じる
• 根拠:バイカリアス達成
→ 実行せずに報酬(達成感)を得る
⸻
3. 関与感(疑似的な影響力)
• 金銭・応援行動によって「自分が結果に関与した」と認識
• 根拠:コントロール感
→ 実際の影響の大小は二次的
⸻
4. 関係性の錯覚
• 一方向でも「繋がっている」と感じる
• 根拠:パラソーシャル関係
→ 心理的には擬似的な相互関係が成立
⸻
5. 自己補完(不足の外部委託)
• 自己効力感や成功体験を外部対象で補う
→ 自分でリスクを取らずに満足を得る
⸻
6. 認知の補正
• 支出や時間投下を正当化する方向に認知が歪む
• 根拠:認知的不協和
→ 疑問は生じても維持される
⸻
■ 本質
「低リスクで、自己価値・達成感・所属感を得るための心理システム」
⸻
この構造があるため、
現実的に無関係でも“自分のことのように感じる”状態が成立する。

行屍走肉
誰もが思いつきそうで無かったね

行屍走肉
欲しいものも無いけど
最近はYouTubeやライン漫画しか趣味が無くて虚無感を覚えるから
骨組みが出来てる不労収入•金のなる木の実現化に取り組もう
何より楽しいのは
仮説を立てて検証を繰り返す工程だよね

行屍走肉
法的、倫理的な正しさや
論文や統計などのデータ
俯瞰的にみた時、社会的な構図で見た時の正しさを考慮して
それによるコスパの見積もり行動を選択するよりも
瞬発的な感情を優先して動いてしまい
間違えるそうだ。
間違えたまま相手を不当に傷つける事を危惧して
一旦自分の中で考えて、自身の感情が正当であるかを考えてから言動ができないそうだ。
知らなかった。
メタ認知能力や正当性を導く力、感情のコントロールにおける人類の基準は
私が思うより、だいぶ低かった。しかしそれが人間としての正しい在り方で
間違えながらぶつかり意味のない衝突を起こさなければならない。
効率化が人間性を失わせるという点において
それに納得している私こそが矛盾を体現しており
人間味が薄いと言われるのは仕方がない。
これは逃れる事のできなかった人生経験と内省によるものだから
私もそちら側として育ち
マジョリティに含まれる絶対数の多い人達と
深く考えず仲良く楽しくたまには喧嘩をして
生きたかった。
もっと成長をすれば
動物の基盤である、繁殖と孤独による悪い影響から抜け出し幸福になるのだろうか

行屍走肉
人間の芯である知的好奇心と
人間に必要不可欠な愛
しかし2つは相反するもので
手間の省略は例外無く
愛の価値の減少に繋がり長い年月をかけて人は失う
と俺は思うんだが
チャットGPTは
人間は再構築すると言う。
進化をやめて回帰する
研究や技術の進歩を抑制する法が出来る
と言うが
知的好奇心に勝るだろうか
辞める事ができるのか
全ての国が
たぶん未来では幼少期から個人AIがスマホのように成立して生活や性格を把握し
マッチングなどで、はなから相性の良い相手を見つけてられるようになる。
これを逃すと残り何人、何県に行かねばならない
と
そして長寿も重なり
出会いや人といられる貴重性が快楽適応によって失われる
その時やめよう。
平成のガラケーくらいまで戻そう
って出来るか?

行屍走肉
驕ってるように見えるだろうが、そうではない。
所謂、馬鹿な方の人間
非論理的で常識がなく正しく物事を考えられず矛盾を抱えたまま言動する人間
彼らに対して、以前までは怒りを表していた。
それは妥当な反応であり正当な権利だが
今日、主任は彼らの心理・成長発達の観点で何が原因なのかを調べ把握し自身の経験から整合性を感じ、
教育や訂正が不可能で
許容と排他の2択である事を知ってくれた。
これにより無意味な事に対してストレスを感じる必要性が無くなり
自身にとっても生き方が楽になる。
悟るという事は許せる範囲が増え、ストレスが多いと自称する人間と同じ経験をしても
それをストレスと感じない生き方が可能になる事だ。
人生の燃費が良くなる。
同じ次元で物を考えられる人間は少ないから嬉しいのだ。

行屍走肉
常識の範囲内を正確に理解した上で自由に範囲外も散歩できるタイプなら
後者が好きだね。
様々な模様のティーカップがある中で
紙コップの1つを必要不可欠と出来ないから

行屍走肉

行屍走肉
一口食べて不味いと嫌いになるのと
美味しいとは感じなかったがセロリにしか出せない味だと受け入れ個性を愛すのでは
どちらが幸福なのだろうか

行屍走肉

行屍走肉
人によって回数は変わるが私達は死ぬ度に
自分が存在を辞めた世界のパラレルワールドが発生する。
私達が自分の人生を現在、観測できているのはその為で
他のパラレルワールドでは
私たちの死に嘆く友人や家族がいるかもしれないとしたら
自殺する意味って無いんじゃないか?
電車のホームから線路に落ちて体が動かなくなって何故か暫く電車が来なかった時とか
スキーで崖から落ちそうになって、先生に手を掴んでもらって助かったりとか
おそらく私はDeathチャンスが3回くらいあったけどなんか生きてる

行屍走肉
何も知らずに
恋愛で悩んだり
職場で悩んだり
見た目や金銭の劣等感や愉悦を感じたり
生きたいとか、もう死にたいとか考えたりして
何も知らず人間らしさに没入して心を震わせた方が幸福だよね。

行屍走肉
こうかな?くらいの感覚で生きています
パラレルワールドに関して私の感覚はこうです。
パラレルワールドとは基本的には様々な選択をした場合における自分の世界線のことだと思いますが
私の場合は
自分が生きている世界線が、現在の私達のパラレルワールドで
人によって回数は変わりますが私達は死ぬ度に
自分が存在を辞めた世界のパラレルワールドが発生するのだと思っています。
私達が自分の人生を現在観測出来ているのはその為です。
他のパラレルワールドでは
私たちの死に嘆く友人や家族がいるかもしれません。
それは、動物や虫や植物、古代生物、また死滅した宇宙も同じです。
人間からすれば信じられない情報量の保管になります。
人類として繁栄して2秒足らずの、
抜け出せない次元にいる私達にとってはそう感じますが
可能なのです。
また、意識が重力という物理学の説に関しても
例えば幽霊などが仮に存在した場合
私は、
人は様々な感情を起こす時に
見えない物質を放出しており
死後にその物質が残留した場合に幽霊になるのでは無いかと仮説を立てていました。
その残留した物質の重量が大きい時に幽霊として可視化できたりするのではないでしょうか。
また、除霊などの交渉が可能であるのは
それが想いで構成されているからではないか。
幽霊が電気などを点滅させられるのは
「想い」という物質が、重力子そのものではなく、「電気と重力の両方の性質を持つ微粒子」だとすれば
私達が認知てきる物体や私達に干渉する事が可能かもしれません。
膨大な情報を正確に含んだ宇宙、
また数え切れない数の宇宙達を含む「何か」は
私たちの体や靴、愛でる花などを構成する原子の中のわずかな一部であり、そう循環していると、何故か私は感じているのです。
何故、そのような無意味なループ循環が「何か」にとって必要なのかは今考えながら生きています
次元の違いというものは、この世界でも体感できます。
人間の思考を「感情」と捉えるなら
犬や猫の思考、
鳥や爬虫類
虫や微生物は
「感情」ではないのか。
習性と反射だけなのか。
それはあくまで、私達が持っている感情がベースであるからそう感じているのであり
虫からすれば立派な感情であり
私達より高次元な存在にとって
私達は反射と習性で動いているように見えると思います。
また、循環する意味ですが
綺麗事や政治的思想を除けば
人間を含む全ての動物が繁栄する為のエネルギーは格差が源です。
それに関係があるのかもしれません。
#スピリチュアル

行屍走肉
彼女が風邪気味で辛くて抵抗する力が無かったから俺がどいてあげてーと、どかしたら
フガフガ独り言言いながら夜に遊んでたから
何かなと思ったら
腹いせに俺のスリッパ破壊してた。
悪い事だとわかってるから俺が起き上がった瞬間にダッシュで逃げたw
もう人間の子供なんよ
スリッパ買わなきゃ🩴

行屍走肉
俺と付き合ってから15kg以上は確実に太ったんだけど
何故かと言うと、
俺が毎食ご飯作ってるんだけど
俺が人の倍食べる人だから
平等にと思い、同じ量を提供していたのが原因だ。
「食べきれなかったら残してね」とは伝えてるんだけど、美味しいと完食するから結果太ってしまった。
俺がデブ専ぽっちゃり専だと知ってる職場の人からは
「確信犯だね。フォアグラじゃないんだから」
と言われて笑った。
確信犯ではないんだけどねw

行屍走肉
食べたーい[笑う]
#おうちごはん #GRAVITY料理部


行屍走肉
結婚後はPR後無事就職した跡に変わらずに働くかだ。
思考力が低く
面接で人を見る目がなく
はやとちりをした人間が
主にSNSで旦那や嫁の悪口を書いている。
こんな簡単な事は自分の脳で少しくらい考えてから生きろ!

行屍走肉
ニンニクチューブより本物の生ニンニク使った方がうまいんだって!生姜も!

行屍走肉
If ten people live together and no one steals, then obviously theft won’t happen.
If you want others to treat you kindly when you ask them something, then everyone should be kind to each other.
That way, everyone receives kindness.
If we already know from the start that certain topics will only lead to conflict and can’t be mutually understood, then why talk about them at all?
There’s no point in doing something meaningless.
Fighting only brings harm and can lead to crime—there’s no real benefit.
Why not try to make life in your own country more comfortable and easier to live in?
Or is it that foreigners have larger bodies and higher total energy, so they need to engage in inefficient or unnecessary actions just to burn calories and be able to sleep at night?

行屍走肉
咀嚼不要で美味しくて体に優しい[ほっとする]
#GRAVITY料理部
#おうちごはん


行屍走肉


行屍走肉

行屍走肉
次は床掃除。ピッカピッカにするで

行屍走肉
キャベツと豚肉の塩焼きそば
いただきます😋
#GRAVITY料理部


行屍走肉
ニンニクスライスをふんだんに入れた
キャベツと豚肉のペペロンチーノ風塩焼きそばよ。
ニンニクは剥くのが面倒ね。
今作ってる途中よ

行屍走肉


行屍走肉
おにいさんカッコいいね、
私若い男好きなの
とよく言われる
多分、おじさんもおばさんもゴールは変わらない

行屍走肉

行屍走肉
誰しも一度は、目標や夢を持ち、それに向かって努力した経験があるだろう。
その目標に対して使った時間、労力、効率は人によって異なる。
そして結果も様々だ。
• 目標を達成した者
• 達成はできなかったが、かなり近づいた者
• ほとんど成果を感じられなかった者
同じ「努力」という言葉で括られても、その中身も結果も、まったく同じではない。
⸻
欲望はどこに向かうのか
人の欲望は、よほどの変わり者でない限り、
• 首が回らないほどの借金を抱えたい
• 低賃金で長時間労働をしたい
• 醜くなり、虐げられたい
といった、現状の人生を脅かす方向には向かない。
多くの場合、
• 金持ちになりたい
• 地位や名声が欲しい
• モテたい
• 何者かになりたい、認められたい
• 今より良い生活や物が欲しい
といった、現状より満たされた状態へ向かう。
心理学では、人の幸福感や満足感は「絶対値」ではなく「相対比較」によって強く左右されることが知られている。
これは社会比較理論(Festinger)や、幸福研究・行動経済学でも繰り返し示されてきた事実だ。
⸻
満たされた状態とは何か
では、その「満たされた状態」とは何か。
それは突き詰めれば、
他者との格差
である。
「自分の幸福は自分の中にある。他人は関係ない」
そう思う人もいるだろう。
では、仮定の話をしよう。
⸻
仮定①:比較のない世界
もしあなたが、生まれた瞬間から
真っ白な箱の世界で、誰とも会わず、誰とも比べられず、
一人で生涯を終えるとしたら。
あなたは、
• 自分の容姿が美しいか、醜いか
• 自分の能力が高いか、低いか
• 自分が賢いかどうか
• 自分が幸福なのか、不幸なのか
それらを判断できるだろうか。
答えは否である。
比較がなければ、評価も意味も成立しない。
これは思想ではなく、社会心理学的な前提である。
⸻
仮定②:完全に平等な世界
では、もう一つ仮定を置こう。
• 全員が同じ容姿
• 全員が同じ知能
• 全員が同じ努力量で、必ず同じ成果を得られる
そんな世界を想像してほしい。
その世界で、あなたは
• 総理大臣にも
• 大企業の社長にも
• 寝ながら年に何億も稼ぐ存在にも
モデルや俳優にもなれる素質を持っているとする。
そのとき、あなたは、
• ストレスの多い介護職を選ぶだろうか
• 炎天下や極寒の工事現場で働くだろうか
• 低賃金で激務を引き受けるだろうか
• 誰かの下で働こうと思うだろうか
おそらく答えは否である。
この仮定では、人間社会は成立しない。
⸻
格差は「悪」か
もうお気づきだと思うが、
格差がなければ、人間社会は成立しない。
これは格差を称賛しているわけではない。
道徳の話でもない。
単なる構造の話だ。
経済学で言うインセンティブ理論、
進化論における役割分化、
社会学における機能分化。
どの視点から見ても、
格差は「発生してしまうもの」であり、
同時に「社会を動かす前提」でもある。
近年の研究でも、
成功や成果は「才能」や「努力」だけでなく、
運や偶然の影響を強く受けることが示されている
(いわゆる Talent vs Luck モデル)。
⸻
私自身の前提
ここで、私自身の話をする。
私は2歳から施設で育ち、多動性注意欠陥障害につまずきを抱えている。
生き方が今より不器用であった頃、世界を憎み、自分はあまりにも不幸だと思っていた。
同じ施設出身の仲間も社会に適応できず、
歯車にすらなれない人間が多くいる。
これは怠慢でも、意志の弱さでもない。
社会が前提としている「役割の入口」に、
辿り着けない人間が実際に大量に存在するという事実だ。
だが、私は最悪の不幸を背負っているわけでもない。
私より幸福な人もいれば、
私よりはるかに厳しい状況にいる人もいる。
私はただ、その間に挟まって生きているだけだ。
⸻
努力と遺伝は運である
ここで、はっきり言う。
努力と遺伝は、運である。
どんな環境に生まれ、
どんな特性を持ち、
どんな機会に出会えるか。
それらは本人が選べない。
心理学では、成功や失敗の原因は
「努力・能力・課題の難易度・運」
という複数要因で説明される(原因帰属理論)。
成功者が努力を誇示したくなるのは自然だ。
だがそれは、結果が出た後に組み立てられた結果論にすぎない。
例えば
・塾に通い誰よりも勉学に励んだ。
・生活保護の親の元に生まれ法的に塾へ通えなかった。
・更なる不遇や虐待により、幼少期の心の発達に影響して勉学や将来に期待を閉ざしてしまった。
など
先ほど話したように
必然的に、全ての格差を細かく分類した位置に人は存在しなければならないのだ。
才能の差、遺伝、美醜、貧富の差、天才と馬鹿、健常や障がい、戦争と平和、家族愛と虐待
秩序を守る人と乱す者
この世の全ての事象には対称が存在し、
どちらも人類が繁栄する上で不可欠な存在なのである。
優劣こそが人類の進化を促すエネルギーなのだ。
しかし、格差と幸福は必ずしも🟰では無い。
⸻
「努力不足だ」と言う権利は、誰にもない
どんな環境においても、他人に対して
「お前は努力不足だ」
と言う権利は、誰にもない。
実際には、
• 明らかに努力が足りていない人
• 人一倍努力しているが、成果が出ない人
どちらも存在する。
それにもかかわらず、
自分基準の努力を他者に押し付けるのは正しいのだろうか。
あなたが努力と思い走った道が、
曲がり角の少ない一本道だったとしても、
相手にとっては複雑な迷路である場合がある。
⸻
「もっと努力しろ」は、コスパが悪い
人は責められると、
• 戦う
• 守る
• 逃げる
この三択しか取れない。
これはストレス反応の基本モデルであり、
改善行動が生まれる確率は低い。
結果として、
• 無駄に疲弊させ
• 人間関係を悪化させ
• 自責だけを強める
「もっと努力しろ」は、
心理的にも、組織的にも、コストパフォーマンスが悪い。
⸻
本当にやるべきこと
状況を改善したいなら、
• なぜ成果が出ないのか
• どこで詰まっているのか
• 何が足りていないのか
それを理解し、
具体的で、現実的で、効果的な対処法を提示することだ。
それができないなら、
配置を変える、役割を変える、あるいは別の道を選ばせる。
どちらにせよ、
「努力不足だ」と言う必要はない。
⸻
結論
「努力」という二文字で、他者の生き様をまとめるのは、あまりにも失礼である。
努力は存在する。
それは自分という肉体、それを取り巻く環境の中で観測可能な範囲の困難を乗り越えた数である。
だが、それを他者が測り、断定し、裁くことはできない。
努力を語る前に、
構造を見よ。
環境を見よ。
条件を見よ。
それができないなら、
努力という言葉を、
他人に向けて使うべきではない。
⸻
努力が続かなかった人へ
ここで、もう一つだけ書いておきたい。
様々なことに挑戦してきたが、
努力が長続きせず、途中で投げ出してしまった経験が多い人がいる。
そして多くの場合、そうした人はこう思う。
「自分は駄目な人間だ」
「何一つ続かない」
「努力できない性格だ」
だが、私はそうは思わない。
あなたは怠けたのではない。
その目標に対して必要だった努力コスト――
学習量、学習内容、拘束時間、精神的負荷――
それらが、あなたにとって過剰だっただけだ。
目標達成によって得られるものと、
そこに必要なコストを天秤にかけた結果、
「割に合わない」と判断した。
それだけの話である。
そこに、人格の欠陥はない。
責める必要もない。
社会は「何も続かない人間は良くない」と言う。
だがそれは、多くの人が歯車として回り続けることを
正当化できなくなると、社会が困るからだ。
常識とは、多数派の人間にとっての不都合を
最小限にするための、一つの仕組みにすぎない
#努力 #ADHD #格差 #精神障害 #人間関係

行屍走肉
自然界を観察すると、そこには非常に単純で一貫した仕組みがある。
多くの生物は、損傷 → 修復 → 強化という循環の中で成長する。
筋肉は負荷によって微細な損傷を受け、その修復過程で以前より強くなる。
骨もまた、負荷によって再構築され密度を高める。これは運動生理学で知られる「超回復」の原理である。
この構造は身体だけの話ではない。
精神の成長にも、類似したパターンが見られる。
失敗、挫折、批判、競争。
それらは心理的な「損傷」に近い経験である。
しかしその後に
• 原因を考える
• 反省する
• 改善策を立てる
• 再び試す
という過程が生まれたとき、人は以前より適応力を持つようになる。
心理学では、困難から回復し適応する能力を
Resilience(レジリエンス)
と呼ぶ。
さらに、人間にはもう一つ重要な特徴がある。
それは
Hedonic Adaptation(快楽順応)
である。
この概念は、人が幸福にも不幸にも慣れていく性質を示している。
研究では、宝くじの高額当選者や大きな事故を経験した人でさえ、時間が経つと主観的幸福感が元の基準に近づく傾向が確認されている。
つまり、人の幸福は単純に「良い出来事の量」で決まるわけではない。
むしろ
どこまでの困難を普通として受け入れられるか
という適応能力にも左右される。
困難に向き合い、それに慣れていくと、不幸の最低ラインが下がる。
その結果、同じ生活であっても以前より幸福を感じやすくなる。
ただし、ここで重要な前提がある。
困難は人を強くすることもあるが、壊すこともある。
過剰なストレスは心理的・身体的な健康を損なう可能性がある。
このため必要になるのが
Metacognition(メタ認知)である。
メタ認知とは、自分の思考や感情の状態を客観的に観察する能力である。
困難に直面したとき、人は次の判断をする必要がある。
• まだ挑戦を続けるべきか
• 一度距離を取るべきか
この判断は、単純な根性論ではなく、自分の状態を正確に理解する能力に依存する。
そのためには、まず自分を知る必要がある。
その方法として有効なのは次の三つである。
1. 一人になる時間を持つこと
他者の評価や社会的な期待から距離を置く時間は、自分の感情や思考を整理するために重要である。
2. 知識を得た上で自己分析すること
心理学や社会科学の知識は、自分を理解するための枠組みを与える。
例えば
Self-awareness(自己認識)
の研究では、自分の感情や思考を言語化できる人ほど、意思決定の安定性が高いことが示されている。
3. 自分の軸を作ること
他人の評価ではなく、自分の価値観を基準に判断する能力である。
ここで現代社会の特徴についても考える必要がある。
近年、多様性や個人の尊重が強調されるようになった。
これは歴史的には重要な進歩でもある。
人種、性別、文化、価値観の違いを理由に不当に排除されない社会を目指すことは、倫理的にも社会的にも意味がある。
しかし、尊重という概念が拡大しすぎると、別の問題が生まれる場合もある。
本来の尊重とは、
相手を不当に攻撃しないこと
である。
しかしそれが極端になると、
• 批判や意見の衝突を避ける
• 不快感をすべて排除しようとする
• 個人の感情を絶対視する
といった形になりやすい。
この状態では、人は困難や摩擦を経験する機会を減らしてしまう。
結果として、心理的な適応力や判断力が育ちにくくなる可能性がある。
また、多様性という言葉はしばしば「他者の価値観を認める」という意味で使われるが、
その中には
自分が感じる違和感や不快感も含まれる。
人は誰でも、自分とは異なる価値観や行動に対して違和感を持つことがある。
それ自体は自然な心理反応であり、必ずしも攻撃や差別と同一ではない。
重要なのは、その感情を理由に他者を傷つけたり排除したりしないことである。
つまり
• 不快感を感じる自由
• それを理由に他者を攻撃しない責任
この二つのバランスが必要になる。
社会の中で尊重が機能するためには、
「感情の保護」と「成長の機会」の両方が保たれる必要がある。
もし人が一切の摩擦を避け続けるなら、
そこには新しい発見も成長も生まれにくい。
なぜなら、人は未知の状況や違和感の中でこそ、自分の考えを見直し、更新するからである。
人生では必ず選択が訪れる。
困難から逃げるか。
それとも向き合うか。
どちらが正しいかは状況によって異なる。
そして、その判断は他人の基準ではなく、自分の理解と価値観に基づいて行う必要がある。
成長とは、傷つかないことではない。
傷つき、修復し、適応し、
そして以前より強くなること。
その過程を自分の判断で選び続けることこそが、人が成熟していくプロセスなのである。
#多様性

行屍走肉
下水道の臭いするよ。
降りた時驚いた

行屍走肉


行屍走肉
🐶「そっちがその態勢の時はワシこうしたらええか?」
👨「おけ、合わせるわ」
🐶「ちょっとそれだと居心地悪いわ」
👨「じゃあ俺が手で腹だけ支えて持っとくわ」
🐶「ええやんこれ。次からこれでいこか」

行屍走肉


行屍走肉
ブロスタ始めて1ヶ月以内に日本ランキングに乗れたー!
もっと上目指すぞー!
#ブロスタ


行屍走肉
腹いっぺえすぎる
レタスとトマトとピクルスとライ麦パンだから
ヘルシーなので0カロリー
#GRAVITY料理部


行屍走肉



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