
槙生まこと@物書き
指先を通して言葉がつながることを願って。
文学
短歌
読書

槙生まこと@物書き
きれいな花が咲きますように
#短歌

槙生まこと@物書き
その優しさを忘れないから
#短歌

槙生まこと@物書き
火が好きだ。
燃え盛ると言うよりは燻る火が好きだ。
あなたは煙を眺めている。わたしは火を眺めている。
ぷす、ぷすと小さく音がする。灰になっていく、たばこ。
高温で焼けたものほど灰が白くなるらしい、と聞いたことがある。
わたしはあの、遺体を燃やす炉の名前を忘れてしまった。
あれの中はどんな心地だろうか。
最近、死について考えることが増えた。
わたしはまあまあ常に死にたがっているたちの人間だけれど、なんだか生き延びてしまって、もうじきに23になる。
いつから明確に死にたいのか、その境目はもう曖昧で、わたしの消え去りたいと言う願いさえも曖昧になってきた。そんな気がする。
なんだかんだ日々は楽しい。
隣に好きなひとがいて、希死念慮に揺られながらふわふわどこかへ消えそうな二人が、寄り添いあって繋ぎ止めあって生きている。
と、わたしは思っている。
きっと、暮らしとはそういうものだろう。一人では生きられないから、誰かに寄りかかる。寄りかかりあっているうちに、生活になる。添い遂げる。
そんな夢を見ている。
空想、いつか来る別れ、それはどんな形をしているのだろうか。
わたしは、寂しいのは、嫌だ。
炉の中はどんな心地だろうか。
残される側の悲しみを、わたしは知らない。
愛した人がいなくなるつらさは、少ししか知らない。
いなくなったと言っても、わたしの知らないところで健康に生きていることは知らされているので、喪失とまではいかない一時的なつらさだ。
飼い猫が逃げたときに近いかもしれない。老猫だったのでどこぞでとっくにのたれ死んだかもしれないが、わたしの中では生きている。死を目撃しなかったことで、あの猫は生き延びてしまっている。なので、そこまでつらくはない。
想像もし得ないような寂しさ、虚しさを、愛する人に味わせたいわけではない。しかし、あなたより先に死にたいと願ってしまう。
おそらく人生で数番目くらいには着飾って、白い寝顔に紅をさされて、花を添えられでもするだろうか。祖父は人脈の広い人だったから、その葬儀は派手なものだった。わたしの知る葬儀は、そのくらいのものだ。できればそれより質素に行われてほしい。死にゆく人に金など使うな。
空想、あなたがボタンを押す、そのほんの少しの動作で、わたしは灰になる。
水分の多い体は、燻るだろうか。涙は流れるだろうか。
すっかり乾いて灰になるとき、わたしはきっと最後の夢を見る。
もしあなたが先に逝ってしまったら、わたしは弔い上げまで死ねないだろう。
三十三回忌だったか。別に仏教徒ではないけれど。
毎日の挨拶をしてお供えをして、どうか見ていますように、あなたがそばにいますようにと祈りながら生きていく。なんて自分勝手なんだろう。生前がんじがらめで苦しんだ人には、死後くらいは自由であってほしいとも思っている。
ああ、でも、月命日でも墓参りをしそうだ。
死者を弔うことが生き甲斐になってしまうな。
わたしは、死にたい。死にたいのにひとには願ってしまう。
あなたはどうか長く生きてね、と。
炉の中はどんな心地だろうか。
