人間はあまりに高度な知能を持つ副作用なのか、「自分はどこから来て、どこへ行くのか」「何のために産まれて、何のために生きるのか」など、因果を非常に重要視、時には深読みしてしまう生き物です。その証拠に、少なくとも確認できる限りの有史以来、全く宗教(神と絡めて因果を求めるもの)を信仰しない国は存在しません。多くの人が無宗教を自認するここ日本でも、葬式はやるし、罰当たりなものは忌避するし、「人は愛されるために産まれてきた」という、自然界ではまず有り得ないようなスローガンですら、多くの人に受け入れられています。要するに、「何のために生きているのか」のような疑問は人間特有の高知能に由来するもので、それを考えるのはとても無駄な行為ですし、答えが出ることは永遠に無いでしょう。それはもう人間特有の本能(に近い衝動)であると割り切ってしまい、他の本能的な快楽を愉しめば良いのです。そういう考えがよぎる時は、大抵自分の本能が満たされていない時ですよ。
そうですね、過程の集合体が結果というグループ名なので、案外その質問自体が的外れかも知れません。強いて言うなら、物事というのは必ず 過程⇒結果 の一方通行なので、「過程の方が大切だ」と思っておいた方が得でしょう。