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SS
回答数 17>>
どこかの誰かがこのくだらぬ壁を突き破ることを切に願います笑

SS
純粋な利他などないけれども、でも"愛のふりしたエゴ"と"エゴを超えた愛"を分けるものはなんだろう…と考えること自体がもう無粋で、それはもう、見ればわかる、ふれればわかる
それ以上は考えない、解釈しない
「大した切り札もない僕の好きな場面と云や災い転じ福と為す/
ピンチをチャンスに変える頓知くらい編み出そうまあ何度も」
#東京事変 #原罪と福音
原罪と福音

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ただ1%くらい、同じようなことを感じている人間もいるかもしれないという期待があり、批判も含めたリアクションを待ちながらの独り言みたいな感じです

SS
そこにコメントを付すのは本当は無粋かもしれませんが、あしからず

SS
「チ。」もそんなテーマでしたね

SS
回答数 10>>
大好きな曲です
悲しい、哀しい、愛しい、美しい、これら全て「かなしい」と読むことができるそうです(Xから拾いました)
愛しいから悲しい
凄くわかる気がします
意図した答えじゃなかったらごめんなさいね

SS
回答数 5>>
(使い古されてますが、これが『無の有無』問題、ハイデガー的にいうと『存在無底』)

SS
回答数 19>>
それでも何故か生きている奇跡に10秒だけ浸ってみる
(キツすぎる場合は誰かに相談)

SS
あるいはその蘇生(間違ったやり方)
あるいは神なしでやっていこうとする足掻き(これも間違っている)
逃避
幸福の穴埋め(これも多分間違い)
美しい誤謬
ねじ曲がったラブレター
詩になれなかった何か
無意味の意味
言葉のバグ(自己言及のパラドックス)
刃物を使った遊び
祈り
あなたにとって「哲学の意義」とは?
参加

SS
回答数 23>>

SS
回答数 40>>
しかし、このエビデンスのなるたるかを(その決定手続きまで含めて)理解している人は科学主義者の中にもほとんどいません
その時点でそれは、言うなれば科学という"ナラティブ"を信じているに過ぎない
極端なことをいえば科学主義者も陰謀論者もそれぞれ固有のナラティブを信じているという次元で見れば全く同じです
でもまあ、みんなそんなもんです
かく言う僕も僕なりのナラティブの中を(多分)生きてます
なので、みんな違ってみんな悪い(笑)ので
おおらかな気持ちでいきましょう

SS
と、思わなければならない(やってられない)

SS
回答数 5>>
後悔や過ちも含めて、いつかそれを『最善』と呼べる日がくればいいなと切に願います

SS
映画・アニメ・絵画、その他さまざまな芸術ジャンルがあれど、精神に与える影響の直接性という点でいえば、活字を超えるものを想像することは難しい(ように思える)
心に対する浸透力、影響力の直接性という意味で、ある種の哲学と純文学は劇薬であるとしか思えない
カラマーゾフの兄弟
死に至る病
シーシュポスの神話
これらを読んだ後に僕の世界は変わってしまったが、その影響力の中から今も出られていない
中島敦の『文字禍』という短編を思い出す
文字を知ったが最後、文字を通してしか世界を眺められなくなってしまう
大袈裟にいえば、人類の苦悩の大半の理由がここにあるのではないか、とすら思えることがある
だからこそ、それらは言葉で癒される他ない
壮大なるマッチポンプ
知恵の実の原罪

SS
純粋哲学的な発言が許されるなら、それ
アカデミックな議論が中心ならその議論を見守る
【最近読んだ本や気になってる哲学者や思想家】
哲学の密かな闘い/永井均
明日死ぬ幸福の王子/飲茶
滅亡するかもしれない人類のための倫理学/稲葉振一郎
興味の中心は
ウィトゲンシュタイン
ショーペンハウアー
ニーチェ
キルケゴール
永井均
など

SS
回答数 5>>
ウィトゲンシュタインにとっては同じものだったようです(僕には上手く掴みきれませんが)
もしそれを見越しての質問なら、いずれもそれが何故正しいのか説明しようとするとトートロジー(同語反復)になる他ないということですかね
A=Bも1+1=2も「どうしてそれが倫理的といえるか」も
結局のところは、"それが正しいから正しい"としかいいようがない
論理(前2者)は厳密なルール則っているように見せかけて、実はそのルールが何故正しいかという究極的質問においては、ただ"正しいから正しい"としか言うことができない
つまり、
論理的決定手続も
倫理的判断も実は
"それが正しさだから正しい"
としかいいようがない
なので究極的には一緒なのかもしれませんね
言葉の限界、人間の限界です

SS
それはくだらないものだよ/
返して貰うまでもない筈/』
ニーチェが聴いたら鼻で笑うだろうか
でもルサンチマンの何が悪いのだろう?
人は弱さを慈しみ合うことができるし、美しく歌い上げることすらできる
だけど彼は
「音楽がないなら人生は一つの誤謬」
とも言った
そこは完全に同意できる
『何故なら価値は生命に従って付いている』
音楽だけが人生に秩序を与えることができる
#椎名林檎 #あまりある富
ありあまる富

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だからこそ、詩の中にも小説の中にも、また子供のふとした疑問や、近所のおばあさんの何気ない呟きの中にも哲学はあり得る

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SS
回答数 58>>
という制約を取り払う
(あまのじゃくでごめん!)

SS
回答数 4>>
と言われても、誰もそれを否定しきれない説
(世界五分前仮説)

SS
回答数 30>>
そして本来、この"言葉"こそが人間の限界であり、即ち限界なんだ(と彼ならいうだろう)。
語り得ぬものについては沈黙せねばなら…
(嗚呼、ウィトゲンシュタイン…)

SS
休日の前はいつも何故かうまく眠れなくなる
『急いで 人混みに染まって
あきらめない方が奇跡にもっと近づく様に/
喧騒も待ちぼうけの日々も/
後ろ側でそっと見守っている/
明日に変わる意味を』
#syrup16g #翌日
翌日

SS
本当は文通くらいがちょうどよかったのかもしれない
(嗚呼、懐古主義…)

SS
だけど、いざ本当に自分がロストマンになるや否や、突然聴けなくなってしまった曲。
不思議だと思うのが、ロストマンになった後にこの曲を見つけたならば、おそらくバカみたいに聴いていたはずなのに、順番が逆だと反対に遠ざかってしまったりすること。
「こんな風でしか君を愛せなくて/本当に ごめんね」
大人になって思い出すこと、全部美しくなってしまう
歳を取るって大変なことだ
「君が僕にくれたように/
僕もまた誰かを/
深く愛せますようにと」
晴れるわけでもない空を
"いまでも"僕は
今日を期待して生きている
#Every Little Thing #ソラアイ
ソラアイ

SS
だけど、それだけでは時々足りなくなってしまう。
そんな時は、心の暗い部分に直接寄り添ってくれるものが多分必要で、この曲はその要求に応じてくれる数少ない楽曲の一つ(と思う)。
「失くす物など何もない/
とは言え我が身は可愛くて/
空虚な樹海を彷徨うから/
今じゃ死にゆくことにさえ憧れるのさ」
本当に失くすものなど何もないのに、それでも人の顔色を窺いながらしか生きられないのは、やはり我が身可愛さで、この期に及んで本当の自分になりきれない哀れさは、心の奥底で安らかな死への憧れを惹き起こすだろう。
『人は死そのものを恐れるのではない。死に至る過程、そのことの方をこそ恐れる』と、ある人が言っていたが、全くその通りだと思う。
安らかな死、そのイメージなくしてどうしてまともに生きられるだろう?
生まれた以上はいつかは死ななければならず、その死が安らかでないのなら、人生には何の救いがあるのだろう?
…
『深海』というアルバムを象徴する美しい曲
だけど決して呑まれてはいけない。
この曲を最後まで聴けばわかるけど、ラストに水から上がってくるような音が聞こえる。
暗い海の底から這い上がるためのアブクの音
…
「連れてってくれないか/連れ戻してくれないか/僕を 僕も 僕も」
さあ、浮上しよう
連れ戻してくれないか、僕を
#ミスチル #深海
深海

SS
こんな暗いことを書いても誰も得しないかもしれないけれど、本音を綴ると多分こうなる。
愛の"渦中"にいる現在は一瞬で過ぎ去るのに、"その後"は何故か永遠に続く。
無茶苦茶を言っていることはわかっている。
でも『実際の長さ』の問題ではなくて、『実感の長さ』で言ったならば、どうしてもそうとしか思われない。
(それにしても、どうして俺はこんな言い方しかできないのだろう)
「間違った旅路の果てに/正しさを祈りながら/再会を祈りながら」
喪失と再生の究極に美しい曲
MVも本当に素晴らしい
#BUMP #ロストマン
ロストマン

SS
逓減しない感情、変わることのない愛情
多分、どこにも存在しないもの
誰も時間には勝てない
多分、愛も勝てない
それでもやっぱり心に穴が開くとしても、それでも愛の記憶は尊いもの
そう信じられますように
「引き返しちゃいけないよね/進もう 君のいない道の上」
#ミスチル #くるみ
くるみ

SS
そんな人間が救われる瞬間があるとすれば、同じ感情を美しく歌い上げた曲に出会った時。
あるいは"同じ感情と錯覚できた時に"と言うべきなのかもしれないが、それはいずれにせよ同じことだから、この部分の文章は多分、蛇足だったろう。
それでもここにこうやって書いてしまうのは、ある意味不思議な感情で、何に対して弁明しているのかよくわからないが、おそらく音楽の神様か、あるいは投稿を目にしたごく少数のユーザーの方に対してだろう。
…と、ここまで書いて『音楽の神様』と『ごく少数のユーザー』を同列に扱ったことに、自分で自分に違和感を感じたが、でもそれは多分妥当なことで、一人の人間(たとえそれが顔も知らない画面の向こうの誰かであったとしても)に誠実になれないならば、神様に対してもきっと誠実であれるはずもないだろうから。
曲の内容以外のことを書き過ぎたが、とにかく言いたかったことは
「過去の思い出の美しさが現在を生きる自分の心を抉るとしても、それでもそれは、やっぱり尊いことであるのだ」と、この曲を聴いている間は感じられる
ということだったと思う。
本当に美しい曲
ひだまりの詩

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あるいは、『汚れっちまった悲しみに』。
ただそれは、太宰や中也とは異なる仕方で表現されていて、より他者への愛に開かれているように僕には感じられる。
(もちろん、太宰も中也も大好きだけれども)
この歳になって尚更に
「汚れちゃったのはどっちだ/世界か自分の方か」
という自問が強くなっていく。
今尚、自分の人生が続いていることに、感謝と同時に驚きを感じずにはいられない時がある。
「休みをください/誰に言うつもりだろう」
奪われたものや奪い取ったものがわからなくなってしまうどころか、それを意識すらしなくなっていく自分は、汚れてしまったのみならず、多分、鈍感にすらなっている。
それでも多分、
「いずれにせよその瞳は開けるべきなんだよ」
生きる意味がわからないから消えたくなるのではなく、むしろあまりにも世界の意味が過剰であるからこそ(愛にすら溢れているからこそ!)消えたくなる、そういう感情もあるだろう。
「愛されたくて吠えて/愛されることに怯えて/逃げ込んだ檻 その隙間から引きずり出してやる」
だから、汚れたって受け止められますように。
それでも進むことに意味はあるだろうから
「それが全て気が狂う程まともな日常」
ギルド

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全体の流れ、一曲一曲の素晴らしさ、ラストの美しさ、言い出したらきりがない
具体的な内容に触れても多分上手く表現できないし、結局は自分の言葉に失望してしまう
(でもいつか、どこかには書こう)
あの頃の気持ちで同じ曲を聴くことはできないが、その感覚を新しい気持ちで思い出すことはできる
感謝


SS
そのために始めたことなのに
