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Mr.Children
BUMPOFCHICKEN

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回答数 35>>
その迷い含めて。

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回答数 2>>

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いや愛し方こそ、というべきかもしれない
ペインとしてしか愛せない人間もいる
悲しいけど
「途中まではいい気分で昨日だけを数えてた/
痛みは変わらない まだ愛されたかった/
君を愛したせいで嫌いになった誰かの/
裸ばっか覚えてる」
hole

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フォローさせてもらった人以外の投稿を見ると7割くらいの確率で気が滅入る

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小さなハートいっぱいに/
白いシャツが似合ってる/
それは今も変わらない」
時間は止まらない
時間は巻き戻らない
時間はやり直せない
何も不満がないのに心が疲れ果てている時はどうしたらいいのだろう
昔のことばかり思い出す
ストレンジャー
ロストマン
センチメンタリスト
犬も食わない
犬も食わない
「SHE IS GIRLY/
静かで SHE IS GIRLY」
Sheryl

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SS
回答数 16>>
四色色覚や色盲を例に挙げている人がちらほらいて、ハッとさせられました
「共有しているのは物理空間だけで世界ではない」ということを、ある本で読んだことを思い出した
"見る"以上、やはり脳で表象する他ない
しかし、"この脳"の表象を他者に伝える術はなく、「伝わった」気がした何かは(本当は)相手の表象の中にしかない
にも関わらず、"共感"することができる奇跡!
逆にその不思議を思った
人は独り
にもかかわらず…

SS
回答数 13>>
ただ人間は「純粋な力」以外の要素でも競争を行う
承認や自己顕示もまた、不純ではあるが「力」に違いない
暴力が禁止された世界で最も手っ取り早く安全に競争意志を満足させるためには、アテンションを稼げばいい
脳は報酬系さえ稼働させられれば、基本その理由までは問わないから
それが人間の基本設計というか呪いみたいなもので、アプリ開発者も間違いなく、それを前提して開発を行う
そして俺もまた同じ穴のムジナ
上手く付き合っていくしかない

SS
これは哲学とは関係ないかもしれないけど

SS
回答数 65>>
「本質としての善悪」があるとして
『事実として悪だが、本質としては善』というパターンがあると思う
どちらがどうということは言えない
ただ、"事実としての悪"を必ずしも恐れない人だけが『善きサマリア人』になれるのかもしれない、と思うことはある

SS
「完全なる首長竜の日」のスピンオフといってはなんだが、小説内に出てきたのでついでに
(例の如く、あらすじは省略)
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主人公のシーモアはいわゆる帰還兵で、周囲の人間の話ぶりを聞くかぎり、どうやら精神を病んでいるらしい
妻はおおむねシーモアに好意的だが、妻の家族は彼に対し警戒心を抱いている
どことなくチグハグな会話が繰り返されるが、会話の中に戦争を思わせる気配はない
ともかくシーモアはイカれていて、妻の家族は娘がただ心配なのである
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シーモアが海で女の子と話すシーンの中で『バナナフィッシュ』が出てくる
この魚はバナナがたくさん詰まった穴の中に入るまではごく普通の魚なのだが、その穴に入るやいなや豚のように節操がなくなり、穴の中のバナナをむさぼり食うようになる
そして、太ったバナナフィッシュは当然のごとく穴から出られなくなる
…
ここの部分について、以下のような考察があった
一度イカれてしまったら(ここでの原因は戦争)、もう元に戻ることはできないというもの
一度ひしゃげてしまった心をいくら直そうとしても、どうにもならない
ぐしゃぐしゃに丸めた紙をいくら丁寧に伸ばしても、もう二度と元の綺麗な紙には戻らないのと同じように
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シーモアはホテルの自室に戻ると、唐突にピストルで自分の頭を打ち抜く
「完全なる首長竜の日」ではこのシーンの理由を、シーモアが『これ(今)が現実かどうか確かめたかったから』としていた
それもなんとなくわかる気がする
よりオーソドックスな解釈としては、
戦争などなかったかのように振る舞う世間への絶望
国民のために戦ったのに、その当の国民が帰還兵を蔑ろにする現実
戦争の前と後で変わってしまった(変わらざるを得なかった)自身の倫理観
行った行為に対する罪悪感
それでも自分は"普通"であると信じたい願望と、実際には既に普通ではない実像との相克…
などがある
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小説それ自体を読んでも、正直ピンと来なかった
妙にチグハグな会話ばかりが続き、出てくる奴みんながちょっとずつおかしいのではないか?というむず痒い感覚が僅かに残っただけだった
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しかし解説を読んで、少しだけ得心したような気になれた
当時はPTSDという用語はなかった
そのため、心的外傷に対する理解が薄かったのみならず、それは本人の気質が原因であると断定されることが多かったらしい
今ではその用語があり、半ば乱用されてる感もあるが、とりあえず名前が付く
しかし依然として状況が解決したとは思えない
内的なカタストロフを経験した人間
その原因に明確な名前や理由がある場合、それはPTSDと呼称し得る
しかし、カタストロフを経験しながらそれに名前がない場合がある(多分、世間で想像されるよりもたくさん)
その場合どうなるか?
ただ『名無しのカタストロフ』が当人の内面に残るだけである
"隠蔽された悲劇性"こそが、最も悲惨かもしれないのに
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海での会話のシーンで、シーモアが話した架空の魚『バナナフィッシュ』を少女は"見た"と言い張る
多分シーモア自身も信じていない、そのバナナフィッシュを
このシーンの真意は僕にはわからない
ただやっぱり、シーモアのみならず社会(世界)も少なからずおかしいのではないか?という気持ちになった
「それならば」とシーモアは、あんなにも淡々と自分のこめかみに向けて引き金を引くことができたのではないだろうか?
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僕もどこかシーモアに似ている(と、ある種の読者は思うだろう)
だけど僕はまだ諦めが悪くて、どこかで何かを信じているから、まだ最後の引き金を引く気にはなれないのである
…なんていうことにしておこうか、今は


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恐るべき小説
普段、本の感想は書かないが、ともかく備忘録として書いておかなければならないことだけ書く
あらすじを書くことには意味を感じない(ので省く)
夢と現、意識とは何か、肉体の死と魂の死、シミュレーション仮説、自己と他者、デジャヴ、クオリア、フィロソフィカル・ゾンビ…
読んでいる間、ずっと現実感覚がおかしかった
夢と現実を行き来するような構成がなされているが、それは『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』のようにパート分けされているわけではない
それどころか、どこからが夢でどこからが現実なのかわからなくさせるような描写が延々と続く
その境界線を求めても意味がないように描かれており、果ては読者(つまり私たち)の現実生活もまた夢と現の境界線などはっきりしないのだ、ということを否応なく悟らされる
『胡蝶の夢』、『バナナフィッシュ』、『シミュレーション仮説』
同じモチーフが何回も繰り返され、さっき見た文章が異なる時間と空間の中に挿入されながら、微妙なズレが少しずつ大きくなっていく気配があるのに、それが何なのかははっきりとはわからない
あるレビューでは「夢オチ的な意味で無だ」と断じてあったが、僕はそうは思わなかった
むしろこんなに恐ろしいほどリアルな小説はないと思った
本当に一周回り切ってしまうと、夢は現になってしまう
誰もが一度は人生を夢なのではないかと疑う
自分以外の人間が本当は存在していないのではないか、と疑う
世界は無限に疑うことができる
その果てに「我思う故に我あり(コギト・エルゴ・スム)」を見いだすが、その"我"が一体何なのか、今度はそれが問題になる
荘周が蝶の夢を見ているのか、蝶が荘周の夢を見ていたのか…
空間も時間も世界そのものも、全ては懐疑の対象になり得る
だけれども疑えないものも実はあると思う
それは『クオリア』としかいいようのないもので、とにかくそれは夢だろうが現実だろうが、嘘だろうが本当だろうが、何はともあれ、痛いものは痛いのである
それだけは誤魔化せない
いや"疑っても仕方がない"というべきか
多分、本当に疑えないものはこれだけだ
そう考えると本当に孤独な地平に放り出されるような気がするが、それでも最後の引き金を引いてはいけない
独在性の檻の中、それでもこのクオリアを全うする意味を信じながら、夢かもしれない現実を生き抜くしかない


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回答数 4>>

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相手の時間を奪わずに済むこと

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大きな本屋に行けばそれがよくわかる
青空の下には、知識人もいればその逆もあり、パリピもいれば社不もいる
その構成と何も変わらない
知識を得るために読む者、楽しむために読む者、戦うように読む者、祈るように読む者
読書家という属性は、ほぼ無限定に等しい
ある読書家は孤独で、ある読書家は仲間を持つ
青空の下と何も変わるところがない

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そして作曲も愛情の代理だったのかもしれない
今思えば

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生きてく苦しみをわずかでも」
自分がもうある意味では壊れていること、わかっていたとしても、それでもおいそれと辞めれるものじゃない
自分で始めたのでない物語を、自分で終わらせることもできない
「「世界はずっと続くらしい」と慌てた人達の/
虚しいから騒ぎの中」
The World

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あまりにも完璧に(時間が)ジャンプしているから戻っても進んでも、誰もそれに気が付けないというだけで、日々は本当は連続していないのかもしれない、と…
もちろん、「それに誰も気が付けない」という事実が「時間が連続している」という意味そのものとも言えるのだけれども
ただ上手くいえないけれど、人生は終わっても『時間そのもの』は終わらないという謎の直観があって、だからこそ今ここに存在している現実(数学的に考えたら有り得ないくらいの低い可能性)は、全き必然で、むしろ逃れようがない現実なのかもしれない、という気がしてくる
仏教があれだけ無にこだわるのは、存在が悟りなしには逃れられないくらい強烈な耐久性(?)を持っているからではないか、と…
『終わるまではすべてが永遠』
だからこそ、今この瞬間がすべて、なのか?

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だからベイビー僕はどうしたらいいかとか/
そんななんて知りたくはない」
いつもの夕飯後の散歩、嘘みたいに星が瞬いている時があり、そんな時は空が緩かに曲がっているように見えて「ああ地球って本当に丸いんだな」と根拠もなく思う
「だって見上げれば1000のタンバリンが/
1000のタンバリンが/
1000のタンバリンが…」
#ROSSO #1000のタンバリン
1000のタンバリン

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帰ろうよ 帰ろう 帰ろうよ 仲直りで」
ずっと、帰る場所が欲しかった
それが当たり前に手に入る運命もあれば、そうでない運命もある
こういう書き方をすると、またプライドがどうのという突っ込みが入るかもしれないが、でもこういう書き方しかできない
自分の暗い部分を吐き出せる場所としてそっとしといてくれ
ずっと自分が異邦人であるような気がしてきた
家にいても
友達といても
恋人といても
もちろん俺に原因がある
それはさすがにわかっている
でもだからって直せるわけではない
明日からまた社会で生きるためにある程度、道化に戻るだろう
でも俺はそれで、それなりに上手くやっている
でもまあ、そんなんで上手くやっても手に入るものなんてたかが知れている
今まで誰にもパートナシップを感じたことはないし、どこにも帰属意識を抱いたこともない
もちろん俺に原因がある
全き異邦人
「眠くないのに 疲れてないのに/
今日のところはお別れですよ/
たとえ最初で最後の夜でも/
あなたと居た事は忘れません」
#キンモクセイ #さらば
さらば

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消えてくものも 生まれてくるものもみな踊ってる」
意味もなく、訳もわからず、報われもせず、何も信じれず、何も愛せず、
「おぼろげに見える彼方まで/
鮮やかな花を咲かせよう」
#フジファブリック #蜃気楼
蜃気楼

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回答数 17>>
どこかの誰かがこのくだらぬ壁を突き破ることを切に願います笑

SS
純粋な利他などないけれども、でも"愛のふりしたエゴ"と"エゴを超えた愛"を分けるものはなんだろう…と考えること自体がもう無粋で、それはもう、見ればわかる、ふれればわかる
それ以上は考えない、解釈しない
「大した切り札もない僕の好きな場面と云や災い転じ福と為す/
ピンチをチャンスに変える頓知くらい編み出そうまあ何度も」
#東京事変 #原罪と福音
原罪と福音

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SS

SS
ただ1%くらい、同じようなことを感じている人間もいるかもしれないという期待があり、批判も含めたリアクションを待ちながらの独り言みたいな感じです

SS
そこにコメントを付すのは本当は無粋かもしれませんが、あしからず

SS
「チ。」もそんなテーマでしたね

SS
回答数 11>>
大好きな曲です
悲しい、哀しい、愛しい、美しい、これら全て「かなしい」と読むことができるそうです(Xから拾いました)
愛しいから悲しい
凄くわかる気がします
意図した答えじゃなかったらごめんなさいね

SS
回答数 8>>
(使い古されてますが、これが『無の有無』問題、ハイデガー的にいうと『存在無底』)

SS
回答数 20>>
それでも何故か生きている奇跡に10秒だけ浸ってみる
(キツすぎる場合は誰かに相談)

SS
あるいはその蘇生(間違ったやり方)
あるいは神なしでやっていこうとする足掻き(これも間違っている)
逃避
幸福の穴埋め(これも多分間違い)
美しい誤謬
ねじ曲がったラブレター
詩になれなかった何か
無意味の意味
言葉のバグ(自己言及のパラドックス)
刃物を使った遊び
祈り
あなたにとって「哲学の意義」とは?
参加

SS
回答数 23>>

SS
回答数 39>>
しかし、このエビデンスのなるたるかを(その決定手続きまで含めて)理解している人は科学主義者の中にもほとんどいません
その時点でそれは、言うなれば科学という"ナラティブ"を信じているに過ぎない
極端なことをいえば科学主義者も陰謀論者もそれぞれ固有のナラティブを信じているという次元で見れば全く同じです
でもまあ、みんなそんなもんです
かく言う僕も僕なりのナラティブの中を(多分)生きてます
なので、みんな違ってみんな悪い(笑)ので
おおらかな気持ちでいきましょう

SS
と、思わなければならない(やってられない)

SS
回答数 6>>
後悔や過ちも含めて、いつかそれを『最善』と呼べる日がくればいいなと切に願います

SS
映画・アニメ・絵画、その他さまざまな芸術ジャンルがあれど、精神に与える影響の直接性という点でいえば、活字を超えるものを想像することは難しい(ように思える)
心に対する浸透力、影響力の直接性という意味で、ある種の哲学と純文学は劇薬であるとしか思えない
カラマーゾフの兄弟
死に至る病
シーシュポスの神話
これらを読んだ後に僕の世界は変わってしまったが、その影響力の中から今も出られていない
中島敦の『文字禍』という短編を思い出す
文字を知ったが最後、文字を通してしか世界を眺められなくなってしまう
大袈裟にいえば、人類の苦悩の大半の理由がここにあるのではないか、とすら思えることがある
だからこそ、それらは言葉で癒される他ない
壮大なるマッチポンプ
知恵の実の原罪

SS
純粋哲学的な発言が許されるなら、それ
アカデミックな議論が中心ならその議論を見守る
【最近読んだ本や気になってる哲学者や思想家】
哲学の密かな闘い/永井均
明日死ぬ幸福の王子/飲茶
滅亡するかもしれない人類のための倫理学/稲葉振一郎
興味の中心は
ウィトゲンシュタイン
ショーペンハウアー
ニーチェ
キルケゴール
永井均
など

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回答数 9>>
ウィトゲンシュタインにとっては同じものだったようです(僕には上手く掴みきれませんが)
もしそれを見越しての質問なら、いずれもそれが何故正しいのか説明しようとするとトートロジー(同語反復)になる他ないということですかね
A=Bも1+1=2も「どうしてそれが倫理的といえるか」も
結局のところは、"それが正しいから正しい"としかいいようがない
論理(前2者)は厳密なルール則っているように見せかけて、実はそのルールが何故正しいかという究極的質問においては、ただ"正しいから正しい"としか言うことができない
つまり、
論理的決定手続も
倫理的判断も実は
"それが正しさだから正しい"
としかいいようがない
なので究極的には一緒なのかもしれませんね
言葉の限界、人間の限界です

SS
それはくだらないものだよ/
返して貰うまでもない筈/』
ニーチェが聴いたら鼻で笑うだろうか
でもルサンチマンの何が悪いのだろう?
人は弱さを慈しみ合うことができるし、美しく歌い上げることすらできる
だけど彼は
「音楽がないなら人生は一つの誤謬」
とも言った
そこは完全に同意できる
『何故なら価値は生命に従って付いている』
音楽だけが人生に秩序を与えることができる
#椎名林檎 #あまりある富
ありあまる富

SS
だからこそ、詩の中にも小説の中にも、また子供のふとした疑問や、近所のおばあさんの何気ない呟きの中にも哲学はあり得る

SS

SS
回答数 57>>
という制約を取り払う
(あまのじゃくでごめん!)
