
PonToufu
<size=9999>あ
あ<br>あ
<size=99>あ<br>あ

PonToufu
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ちょっと違うかもってやつを提示されたら違う部分を伝えて調整させる

PonToufu
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つまりもとより窓にガラスは必要なく、壁にある異なる材質の開閉できるもの、もしくは可視光を透過させるもの、及び穴が窓であると

PonToufu
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ただ、上司とか立場の高い人は「能動的に自分の意に沿わない人間」と接する機会が少ないので、反抗的のしきい値が低い傾向があると勝手に思っている。

PonToufu
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PonToufu
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長生きすることの逆はシンプルに死だろう。
死は良くないとされている。
安楽死が認められないことや、自殺は動機に関わらず悪しきとされていることからもそれは確実だろう。一般的な感覚にも沿っていると思う。
つまり、一般的な感覚が死を悪とし生を良しとしている。
それは、社会倫理が、人間は長生きすることが幸福であり、死は不幸であると定義しているということだ。
それのもとになったのはおそらく宗教だろう。
つまりそれが権力者にとっては都合が良かったのだ。人口が増えれば国は栄え、権力者は裕福な暮らしができるということだ。
身近なところで言うと弥生のころだろう。農作で上下関係生まれたと聞いたことがある。
結論としては長生きさせたがっているのは社会倫理であり、それが人類を発展させてきた。といった感じだろう。

PonToufu
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普通に嘘ですかね。

PonToufu
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PonToufu
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愛はあるもの (対象への便宜を図るなどが自分の幸福になる状態であるとする。)
この場合
①愛がありかつ恋をしている場合と
②恋はしているが愛はない場合
があると考えられる。
前者であれば恋愛と呼ぶのが妥当かもしれないが
後者は違うかもしれない。
しかし②の状態から①へ移行することもある。
よって、それらの過程をすべてまとめて呼ぶのが恋愛であると考える。
余談:愛はあるが恋はしていない状態は家族,猫,etc…
余談②:こんなに真面目に考えたの初めてですけど面白かった。

PonToufu
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集団で生活をしている限り、人間からミームが失われることはない。
ミームがわからない人はリチャード・ドーキンスで調べてどうぞ

PonToufu
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PonToufu
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PonToufu
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つまり幸福だと思えば幸福である

PonToufu
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自分の体があれば五感で自分を認識してそれを自己とする
魂にはそれがないので自分の想像した形になるか形を持たなくなると思います

PonToufu
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PonToufu


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PonToufu

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PonToufu
私と同じように踏ん張ってる人間と薄い壁越しに向き合っている
という事実に目を瞑れない

PonToufu
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PonToufu

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愛はあるもの

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PonToufu

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