
佐々倉
余裕のない日々に性格が変わってしまったような気持ちです。吐き出したいために始めました。
加齢はもちろんあるけど、怒りすぎて老けた気がします😢
目指せ怒らずに(ブチギレない)育児
育児
神奈川
主婦

佐々倉
祖母とはみんな離れて過ごしており、久々にみんなで会いに行く予定の1日前のショッキングなお知らせ。遠方に上京していた私も数年ぶりに行く予定だった1日前、転んで頭を打って意識不明と。
母からは黒スーツを準備してきて、と。
祖母の元に着いた時、まだ生きていてくれた。
でももう意識はない、機械音がしているだけ。
元々お邪魔する予定だった祖母のいない祖母の家で生活して、病院に様子を伺って。
でも、それぞれがもう社会人。働いていて休める期限がある。
面会時に母が「もうみんな帰らないかん‥」と告げて一度祖母の家に帰ったところ、その数時間後に亡くなったと連絡が入った。
ショックながらも、『祖母はみんながいるうちに、と思ったのか』と感じた。
耳が最後まで機能するというのは本当なのかもしれないと感じた出来事。
そしてもう一つ。
祖母が亡くなり、安置していた間の出来事だった。自宅には連れて帰らず、葬儀施設の一部屋を借りての安置。
私と妹は祖母の家に、妹が昔祖母に贈った帽子をとりに戻ってた。祖母は頭を打って出血したため、頭蓋骨を一部切り取ったまま、塞いでいなかった。寒いから帽子を被せてあげておくろうという話になった。
そして帽子を持って祖母の元に戻る。帽子を被せた時に顔を見たら、さっきと明らかに違う、血色良く微笑んでるように見える。
母に「どうしたん?ばぁちゃん顔色良くなっとるやん、わらっとるやん」となにげに言うと。
食い気味に「そうやろう!?‥さっきお友だちが会いにきてくれたがよ」と。
祖母が一番仲良くしていた方が会いにきてくださったそう。病院で軽くお化粧してもらった時よりも顔色が良くなった。
私が、体は亡くなってもまだ魂がここにあるんだ、と思った不思議な出来事。
母にとっては大切なおかあさん。たくさん後悔をしていた。定期的に会いに来ているのに今回だけ時期を伸ばしてしまった、孫が来ることを伝えてなかったまま、話せずに逝ってしまった。私がもう帰らないといけないと言ったからだ、って‥。
私にとってはそうではなかったけど…。
もちろん元気なうちに会えたら良かったよ、それでも生きているうちに到着できて亡くなった後丸1日一緒に過ごせたことはとても良かった。
当時私は高速バスでまず実家へ、そこから高速でまた祖母の家にみんなで向かった気がする。もう朧げだけど。
遠かったから生きてるうちにはいけなかったかもしれない。お葬式まで居られなかったかもしれない。
不思議な出来事を体験できたからこそ生きていたことがよくわかった。
私の中では悪い思い出になってない、懐かしむ気持ちでこうやっても時々思い返す。
それと同時に、なるべく後悔のないようにしなければと少し気が引き締まる。もちろん一切後悔しないなんて無理かもしれない。でも、遠くても母の元に帰ったり、話したり連絡を取ったりしようって。

佐々倉
2人だった頃によくやってた焼き鳥→カラオケオール
もうオールする体力はないけど楽しかった😆

佐々倉

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