
アウグスティヌス
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アウグスティヌス


アウグスティヌス
戦争で悲惨な思いや怪我をした人のことを語り、戦争の怖さを伝えることで抑止に繋がる....という考えは南無阿弥陀仏の御題目と同じで本質的ではないと感じる。
人や組織が争いを過小評価すること
は必ず起きてしまう。その判断が多くの場合、最終的に必ず膨大な若者や資源を食い潰すことを打算的に導ければいい。

アウグスティヌス
野町和嘉の写真展「人間の大地」を観に行った。
彼は、世界の辺境――つまり、私たちの想像をはるかに超える過酷な自然環境の中で暮らす人々の姿を、長年にわたって追い続けてきた写真家である。
サハラ砂漠やその南縁、火山性の大地「ブラックランド」、高地の乾燥地帯など。乾いた空気と剥き出しの大地に囲まれた、いわゆる“未開の地”とされる場所に、人は確かに暮らしている。水も電気も豊かではない。けれど、そこには彼らなりの秩序があり、日常があり、精神がある。
写真を眺めながら、ふと考えた。
それぞれの民族には、私たちには一見「奇妙」に映る風習がある。体に赤土を塗る、動物の血を飲む、跳躍の儀式や刺青の習わし。私たちの尺度では意味を捉えにくい行動が、日常の中に息づいている。だがそれらは決して気まぐれな迷信などではない。自然とともに生きるということ、それを何世代にもわたって持続するということが、すでに一定の合理性を内包しているのだ。
特に印象に残ったのは、エチオピアの人々の写真である。
彼らの生活には、サハラの遊牧民と比べても、どこか清潔感と美意識のようなものが感じられた。それは、エチオピアの土地が比較的肥沃で、定住に適していることと無関係ではないかもしれない。定住するからこそ文化は積み重なり、秩序と美が育まれる。そのような「整い」を私はそこに見た。
この展示を通して、私は改めて思った。
異文化を「オリエンタリズム」としてひとくくりにし、神秘的だとか、未開だとか語る態度は、どこか鈍く、そして失礼だ。人間は、どんな場所にいても、生きるために合理性を求め、社会をつくり、精神を持ち、そして何より“美しくあろうとする”。その営みこそが、人間という存在に備わった根源的な尊厳なのだ。
それは、どんなに乾いた大地の上にも確かに存在していた。
野町の写真は、そのことを私たちに静かに、そして力強く語りかけていた。



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アウグスティヌス
バンバンやってくれないかな。
プロテスタントの宗教的確信が今の資本主義システムにつながっていくというのがおもろい


アウグスティヌス


アウグスティヌス
西洋文明は常に確信してたい。
キリスト教神学は形を変えながらそれに応えた
科学の発展とともにカトリックやプロテスタントの神学が確信をもたらさなくなってきた
その需要に応えるために、神学が唱える確信は実はキリストを通じなくても得れるんだよというのが彼の思想の需要であり、評価される点だと思う
#読書

