
ネネ
独り言しかいいません
猫
アニメ
ゲーム
コスメ

ネネ

ネネ

ネネ

ネネ

ネネ

ネネ
「〇〇みたいな漫画読みたーい」に「拙作であればお見せしましょうか?」って言われんのなんて返したらいいんだ 違うんだ 自分で探して読みたいだけでたとえプロ作家の自薦でもそんなん言われたら見たくならないんだ だって肯定的な返答しか許されねぇじゃん……

ネネ

ネネ
ある日ふと「光の玉が登る方向に進んで行けば、登る玉を捕まえられるんじゃないか?」と思って東へ歩き始めてしまうだろうな

ネネ

ネネ
今日だけは許せ

ネネ
5分経ったら風呂入る
5分経ったら風呂入る
ねこちゃんかわいい
5分経ったら風呂入る

ネネ

ネネ
可愛いとは思ってないけど嫌いではないんだよな

ネネ

ネネ

ネネ

ネネ

ネネ

ネネ

ネネ

ネネ

ネネ

ネネ

ネネ

ネネ

ネネ
将来どんな仕事したいかすら考えてなかったらしい!すげぇ!中学生なんてそれで良かったんだ!
勿論自分の進路に欠片も後悔はないので、これは単純に新たな発見

ネネ
「高校生で将来の職業考えて行動してる人はそんなに居ない」みたいな話聞くと別世界の話みたいに感じる
なんか純粋に、そうか中学生って将来の職業まで考えて進路決めなくてよかったんだ、もっと無計画で良かったんだ、みたいな

ネネ

ネネ
人間は進化の過程で高い知性を獲得したが、同時に致命的なバグも抱えてしまった。それは"規則性への固執"である。例えば、各目の出る確率が完全に1/6のサイコロを100回振り、100回連続で1が出たとする。すると多くの人間が「101回目も1の目が出るかもしれない」と考えてしまうがこれは誤りである。100回連続で1が出た事実と101回目の出目にはなんの関連性もない。例え1万、10万、100万回連続で1が出ようと、その次の手で1が出る確率は絶対に1/6から変わらない。しかし何故か人間は根拠もなく「次も1が出そう」と思ってしまう。
これを実生活に置き換えると深刻さが顕著になるだろう。例えば100年間一度も氾濫していない川があったとして、「来年も氾濫しないだろう」と思ってしまうかもしれない。100年間の川の状況と天候は、101年目の平穏を何ら保証しないというのに、人間は不自然にそう考えてしまう。これが規則性への固執である。
この致命的なバグへのパッチとして編み出された文化が「占い」である。占いや神託と呼ばれるものは、古代より政にさえ影響を及ぼす重要な儀式だったが、当然それらで示される結果は完全にランダム、科学的には根拠の薄いものである。
「100年間氾濫の無かった川に、神の怒りによって大雨が降り、101年目にして大氾濫を起こすであろう」
しかしその突拍子もないランダムな変数が、規則性に固執した人間の思考に一滴の影を落とす。「もしかしたら?」と。
未来予測にランダムな選択肢を与えることこそが占いの役目であり、無意味な規則性から目を逸らすために人類に内蔵された機能である。

ネネ

ネネ
変な人に絡まれたこともほとんど無いの、
多分私は話しかけ辛いオーラ持ってんだと思ってる
私自身、話しかけて欲しくない性格なのでこの性質はすごく助かってるんだけど
逆に自分の性格と外見?オーラ?が乖離してる人はたいへんだろうなーとたまに思う

ネネ

ネネ

ネネ
過剰に合理的な考え方をしてしまうのは悪い癖だ
人間にも、勿論自分にも感情があることを忘れてはならないからね

ネネ
意外に多いし、それら含めて私なんだなと思う
考える私、言わない選択をした私。
言わないとわかってるのに考えてしまう私。

ネネ

ネネ
というか日常的に口に出さない割合が圧倒的に多いじゃん
だからそれこそグラとかXで、そういう普段出力しないものも敢えて投稿したりすんのね
すると「えっ自分ってこんなこと考えてたんだ」って逆にびっくりすんのね
いつも頭では考えてるはずなのに、それを言語化してみると全然違う人みたい。自己評価なんてあてになんねーなーって思うわけ
人間って結局、インプットからしか自分を見つめ直すことが出来ないんだな〜なんて考えたりする

ネネ

ネネ

ネネ

ネネ
誰得なんこれ〜

ネネ

ネネ
でも度がきつくて目が小さく見えるのはあるんだよなぁ と最近のX見てたら流れてきた

ネネ

ネネ
戸籍ややこしくなりそうなので…

ネネ

ネネ
「あー多分私の人生こういう女に狂わされるんだろうな」って漠然と考えたことがあった、有難いことに未だに狂わされてないが
