人に金を貸す時、まあ何かを貸すとなった時は、帰ってこなくてもいいと思って貸してるから、全然いいのだけど。私はダメなところが多い人間だったかもしれないが、恋人にお金を借りようなんてどれだけしんどくても思わなかったのに、平然と貸してほしいと言った元彼は多分、私のことを好きではなかったしほんとに大事にしてたわけじゃなかったし、私を連帯保証人にした母親も大事にしてくれてた訳じゃなかった、と、島田紳助のツイートを見て思ったのでした。都合の良い人間でいることが、私の唯一無二の価値であると洗脳されてきた人生の副作用は、酷く自分を蝕んでいるものですね。
病気しながらシングルファーザーとして思春期の私を育ててくれたお父さんにはとても感謝してるし大好きだから、また病気になって手術するっていう話を聞く度に不謹慎だけど最期が近づいてる気がして心がギューッとなる。一昨年に脳出血やったり、年明け一発目に胆石で手術したり、そもそも父親が歳とってから私が産まれたのもあるから健康に生きたとしても同年代より早めに親との別れが来るのは仕方がないけど。お父さんにだけは親孝行したいなあ。
酒を外出して飲むほどのコミュ力はなく、またそのような場所だと昔の記憶から仕事感が出てしまい気持ちよくないので、家で1人YouTubeをみてケラケラ笑うのが至高である。たまにタガが外れ過ぎてネットで人に鬼絡みして翌日罪悪感で死ぬ。
心穏やかに生きて健全な心身を保つために絵を描こう、そしてその綺麗な絵でまた心が安らぐようにして良いサイクルを生むための作品が一番いいの時期と原動力は全て負の感情だ健康になんかなったらただの綺麗な絵にしかならないそんなものに意味はないぐちゃぐちゃの感情や頭を表現して他人を感じ取れるものこそが作品なんだの時期が交互に来ます。そしてその間に短く絵も描きたくないただひたすら溶けていたい何もしない自分みたいな人間がそもそも人間という枠組みで存在しててもいいかすら分からない私のIQはマイナスなのかもしれないの時期があり、いまこれ。
何日かほぼ家に引きこもって過ごして食材がつきそうだったので、ついでに外出る用事もあったしで今日はたくさん外を見ましたよ。自分も歩いてるのと同時に、他人だって自分と関係の無い意思があって、私には全くコントロールなど到底できないような関わりがない人間が当たり前のようにいることは部屋の中で分かりづらいから。そもそも社会とちゃんと繋がれて自他境界が当たり前に存在する人は、そんな目線で世界を見なくても全部わかることなんだと思うけどね。自分のパーソナルスペースに土足で踏み入られた経験のあるACだと、病んだ時に曖昧になりがちなのよね。みんなみんな生きているんだ、友達かは別としてな。
赤ちゃんの鳴き声のモノマネが上手い人を見ると、そのモノマネを人前で披露するまでに一人で赤ちゃんの鳴き声を練習していた時間があったのだろうなあという背景に面白さを感じる。シンとした部屋に自分のオギャり声が木霊しているカオス。もしかしたら、参考動画などYouTubeで探して、見ず知らずの赤ちゃんの鳴き声と共鳴した日もあるかもしれない。見えない背景だからこそ想像の余地があって面白い。
好きだからこんなにちょっかいかけちゃうのキモイこともしちゃうの嫌って言われても好きだからスキンシップしたいの分かってお願いお願いゆるちて僕が甘えられるのは君だけなんだめぅ🥺みたいな男としか付き合ってこなかったし最初はそういう人が可愛く見えるんだけどだんだんだるくなって結果的に、コイツと一緒にいるのって私の人生においてマイナスにしかならんくない?の思考に辿りついて別れるのがお決まりになっている、うーん向いてない。