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悟りの境地目指して生きてます。哲学的な思考なので何でも話して下さい。大体はお答え出来ると思います。
ショーペンハウアー、老子、ブッダの思想に傾倒していますので、理解出来る方は絡んで下さい。
あ、あと大喜利で言葉を育てていますので良かったら見て下さい。
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生物である以上死をもって自然に戻る循環が宇宙法則に従う唯一の善行だと考えます。

シス
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共産主義も民主主義も哲学から生まれた政治思想だと思います。
共産主義は民主主義の我々から見ると自由の無い独裁的な思想に見えますが、実際は誰もが平等な社会を実現したいという思いがあったのでしょう。
しかし、現実には共産主義でも平等ではなく、民主主義でも自由ではないのだと思います。
これが人間、という哲学だと思いますが、人は理想を思想として形にすると思わぬほころびが出てしまう。
なんと人間は悲しい生き物なのでしょう。

シス
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私は結論から言うと無意識にその事を実行しているならば「続ける」が成功しているのではないかと考えます。
意識的に思考している間はまだ自己意識の範疇にあり、それを乗り越えた時、無意識的行動が可能となり初めて自分の価値あるモノになるのではないでしょうか。

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私は結論から言うと愛国心であると考えます。こんな事を言うと前軍国主義の匂いがしますが我々日本人はそもそも海に囲まれた島国の人間であり、他国とは一線引いて生きてきた歴史があります。それ故にこの国における精神的支柱がありました。
帝国主義に食い込もうとした明治、大正という時代、グローバル近代経済に変化した世界に追いつこうと必死で走り抜けた昭和という時代、IT化によるタイムレスな通信世界とになった平成という時代、そしてAIの進化によって構築され始める令和という時代、私達は何かを代償にしてここまで這い上がってきました。
経済や生活水準という面ではこの100年大きな発展を遂げたと言えます。しかも、軍事的要素の少ない形で成し遂げました。これはとても平和的で例の少ない事象でしょう。
しかしながら、それと同時に日本人は個人主義が蔓延し、大きな集合体の日本人という誇りを失ってしまいました。それは民主主義における良さでもありますが国家としての日本という価値を失うことでもあります。
自分の利益を第一に考える社会では国家は脆弱になっていきます、そして、自己犠牲の精神はもはや現代の日本人には希少となり、栄誉でもなんでもありません。
日本が国家として堅固なものとなる為にはまず、この個人主義に没頭する精神を変えねばなりませんが平和な世界では変化するわけが無く、結局、戦乱に陥った時変わっていくのかと感じます。
私自身も戦乱の世界に生まれた訳でもないのではっきりとは言えませんが、人は戦乱がない世界で生きる事には慣れていないのではないかと思います。
故に日本人はこの平和は永続的に続くと思ってしまいがちですが、そもそも異常な状態であると認識しなければならない。
その時は必ず来るのだから。

シス
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私はよくこの様な質問を目にするのですが、逆になぜに幸せな人生を送らなければならないのかと考えてしまいます。
そして、幸せとは単純に喜と楽なのでしょうか?哀や怒は不幸なのでしょうか?
私が考えるに幸福とは他人と比較して得るものではないし、自己の中のみで発生していればよいものではないでしょうか。
私は人生とは残酷で苦しいものだと定義しております。それは尽きることのない人間の欲望がそうさせているのだと思います。まるで砂にこぼした水のように乾きは尽きません。
故に私の心の師であるショーペンハウアーの言葉から引用するならば、不幸でなければ幸福な事だと享受できなければいつまでも幸福は一瞬のものとなり、一生追い続ける運命となる。
故に私は幸せとは頂点に存在する要素ではなく、自己の行動、意識を一歩横にスライドさせれば隣に通っていた道であると確信しています。
幸せは上ばかり探し続けていると気づかず、いつしか人生が終わってしまうのかもしれません。

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人は恋に落ちます。若い時は特に顕著に。
哲学はこの世の全てを考察する学問であり、恋愛もその中の一部です。
一つ結論を言うと、私は哲学を深く考察するようになってからは恋愛をしていません。
それは寂しくもあり、必然でもありました。
私の持論により快く思わない人もいると思いますがあくまでも持論ですのでご了承下さい。
私の中で恋愛とは精神的な病いであり、正常な判断ができなくなる状態だと考えます。それは人間の本能による作用であり、生物としては正常な病いとも言えます。
むしろ繁殖をしない生物が異常なのかどうかは別として、恋愛によっての行動と思考は普段の生活からは異常状態だと見えます。
こう考えてみると、哲学が恋愛に役立つ事は基本的にはないと言えるでしょう。
理由としては、哲学を多く装備することによって精神的に鍛錬され、恋愛と言う病いに抵抗力がついてしまうからです。
わかりやすく言うと、恋愛は自己が愚かでなければならないという事です。
自己の精神が満たされている場合、他者に求める要素は少なく、そして、相手を理性的に見てしまうからです。恋愛においての障害は理性であり、自己の感情を前に出さなければ何も始まりません。
逆に言えば、恋愛は感情に素直な人程頻繁に起きる現象なのではないでしょうか。
あなたが今恋をしたいのであれば、哲学という事を頭に入れず、本能的感情で行動すれば良いのではないでしょうか。
偉そう事は言えませんが、恋愛は思考するものでなく、感じるものでないといけない気がします。そして、哲学が役に立つのはその恋愛が終わった時ではないかと思います。
その時、哲学はあなたの心を癒やしてくれると私は思います。

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まず、結論から言って私は電子的存在と考えます。
私達生物とは、たゆみない電子の流れによって成立する存在である以上、電子を無視する事は難しいでしょう。

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それではこの二つの言葉の持つ意味から考察していきたいと思います。
感情たは自己意識の中で誕生するものであり、自己起因で生まれるモノと他者起因で生まれるモノと大きく二つに別れると思います。
一方、理性とは何でしょう。
これは他者起因がほぼ全てだと私は考えます。
理由としては、この世に生まれ出でて学んだ生きる術とは正に理性の塊の事ではないでしょうか。
それは親から学び、友から学び、教師から学び、上司から学び、後輩から学び、恋人から学び、社会から学んだのではないでしょうか。
全てでは無いでしょうが、本能的理性と言いながら他者から、または外界から与えられた理性は我々のこの社会で生きる大きい知恵となっています。
そして、そのおかげで我々はこの世界で生を謳歌出来ているのだと思います。
つまり、社会性ありきの人間にとって理性は基本装備であり、単体の人間にとっては不要なものであるでしょう。
ここで感情と理性は共存出来るのか?という事ですが、私は自分と社会を繋ぎ合わせるモノこそが感情と理性ではないのかと感じます。
自己存在としての感情、社会存在としての理性、二つの存在無くして社会性ある人間とはなり得ないのではないかと思います。
そしてこれは補足ではありますが、人間が感情的に犯罪や間違いを犯す事を私は社会性における罪であると考えます。社会に存在するモノのみが罪として扱われるという事です。
彼らはこの理性的社会構造の中で感情を優先した罪とされますが、自己のみ存在出来る世界の中では大した罪とは言えないでしょう。
されど人は一人では生きられない、だから我々は理性を発達させたのかもしれません。

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納得するかどうかは40くらいにならないとわからないかもしれませんが丁寧に論じたいと思います。
まず、中高生である事は若いという事です。それと同時に未来の選択肢が多いという事実があります。
大人になればなるほど選択肢は減っていき、厳選しなければなりませんし、困難も降りかかってくるでしょう。
そこで勉強を何故するのかという事ですが、簡単に言うと学生の価値は学歴ないし、運動能力で判断するしか要素が無いからだと感じます。
人間性を判断するにはまだ若く、人生経験が少なく、責任能力が無いからだと思います。
ここで重要なのは、社会は人間を区別するという事です。その判断材料に手っ取り早いのが学業なのでしょう。
あなた方中高生を判断する基本は学業しかないと言っても過言ではないのです。
若者の中身なんて社会は見てくれません。結局は自分で付加価値をつけていくしか中高生にはないのです。
大人は自由と代償に責任が求められます。それは自分の人生においても、社会においてでもです。
そして、社会は残酷に人を区別し、格差が生まれます。そう感じるのは大抵大人になってからなんです。
人生は大人になってからの時間が非常に長いです。中高生の時間は少なく限られています。それなのに判断されるのは学業と運動だけなのです。
その貴重な時間をどう使うかはあなた達次第です、
学ぶも遊ぶも大人になってからでも出来ますが意味合いが違うと思います。
最後に後悔しない様に勉強しなさいと人は言うかもしれません。
でも、後悔する人生もまた人間らしくあり、悪くないとは私は思います。
そう感じるのも大人にならないとわからないからかもしれません。

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キリスト教とイスラム教に限らず、宗教とは人の精神の拠り所であり、日々生きていく上で規範となるモノてす。
その規範を必要としなかったり、周りに伝承者が少なければあまり浸透はしないですし、現在の生活、人生において不満が少なければ、また、必要としないでしょう。
そして、宗教において重要な点は伝承する事、布教する事であり、その地域に、深く根付いている場合普及率は高くなります。
この様に宗教は布教し、信者の数を増やし、地域を増やし拡大していきます。これによって当然他宗教との接触が生じます。これは宗教を広める上では非常に厄介な点です。どちらが正しいのか、間違っているのかを人間は判断したがるからです。
そして、一旦自分の宗教を否定されると自分や地域、親族、国家を否定されていると認識します。
故に争いも生じてしまうのです。
逆に国家として独裁政治を行いたいのであれば宗教を禁止する事で内乱を防ぐ事が出来るかもしれません。ある国では基本的に宗教は禁止されています。
そして、衝突を解決する為の対話は難しいと私は考えます。何故なら、両者とも正しい答えを持っているからで、これを証明できる概念がないからです。
一つ可能性があるとすればこの二つの巨大宗教を超えるカリスマの誕生しかないと思います。
それはきっと人間ではないモノかもしれません。

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しかし、この答えはズバリNOですね。
私は性格、思想により、誰と話していても疑問が湧いてきます。
これは相手が考えを明らかにしてくれた事に対して私はまるでパズルを提示された気持ちになるからです。
つまり、ワクワクするんですよね。
ここで大切な事はその疑問に対してどう接するかだと考えます。
ただ感情任せに反論するのでは無く、相手の考えの中の賛辞する部分を見つけた上で発言する事が大事です。これはしっかりと相手の思考を自分の中におとしてみないといけないでしょう。
それによって、相手の感情や思考を組み立てていく。ここに面白さがあるんだと思います。
そして、尊重についてですが。
私は生物なり、人間なり、存在している事に尊重を置くべきだと考えているので自分と会話できる環境に相手が存在するというだけで非常に尊重すべきものだと考えます。

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考察しがいがあります。
結論として、人間関係のない世界においてこそ自身の哲学が発揮されると私は思います。
さて、問題は島の環境と自分自身がそこで生活していくのか、または島から脱出すべきなのかという事になると思います。
島の環境が豊かであればまずは生活のレベル上げに従事出来るだろうし、何も無ければ脱出という選択になるでしょう。
ここで大切な事は自身の思考が適切であるかどうかです。他者からの手助けや励ましもありません。
己が今まで培ってきた哲学という思考だけが自分を助ける事になります。
そして、思考だけでなく行動に移さなくてはなりません。
この時こそ哲学と自分自身が一体となる瞬間なのかもしれません。
現代の社会では完全なる孤立を実現するのは難しいと思います。孤立だと感じているのはその本人の考えのみで社会的には孤立はありえません。
そして、無人島の様な孤立した社会においてはルールも法律もモラルも自分自身が決める事であり、哲学無くしては自分を確立させる事は難しいでしょう。
まあ、確かにキャストアウェイの様な状態は例えの世界ですが一度は体験したいと思ってしまう自分がいます。

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