
てす人
拙いながら哲学とかについて話してみたいです。異論反論カモン
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てす人
電卓片手に読むのが楽しかった
にしても途中のあれはワクワクしたな

てす人
回答数 20>>

てす人

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回答数 40>>
もちろん全ての物が記号化できる訳ではない。記号化できない素晴らしい物はあると思う。ただ、だからといってそれを辞めていい理由にはならない。
出来ないならできるよう言語や数学を進歩させていく必要があるだけで、陳腐化するなるなんて理由でその努力を怠るのは真に記号化できない素晴らしいものへの冒涜だと思う。
まあ無理に記号化して情報を減らした上で分かった気になるのは1番ダメだけど。

てす人
回答数 10>>
例えば全く関係ない星のなんちゃら星人の国のルールを決めなきゃいけないとして、その星の人の感情が分からなければ物質の損失とか生死とかの価値がわからない。結果まるで意味の無いルールが出来ると思います。

てす人

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回答数 35>>
それはペットのフンのようなものだから

てす人
そもそも恥は社会性を獲得しなくては発生しないように感じる。
というのも怒りや喜びと違ってそれ単体で生じ得ない。不思議なことに物に怒ることはあるが、物に恥じらいを持つことは無い。人は少なからずアニミズム、物に人格を見ることがあるがその割に物に恥を感じない。
つまり何かしら外部からのアプローチがあるかと発生する感情なのでは?まぁそのアプローチは笑いなんだろな、笑われると恥ずかしい。
笑顔とは獲物に牙を剥くことに起因すると聞いたことがある。群れの中で逸脱した弱い個体に牙を剥く。それに対する防御反応が恥じらい?自らの弱点を隠す行為?
でも弱さを隠すだけなら群れの中でなくても行うだろうしな、同種に対してのみ生じる防御反応?なんか微妙だな

てす人
回答数 28>>
回答を待っているよ!

てす人

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回答数 73>>
多分、あの時はこう言った、なのに今は違うことを言ってしまった、みたいなシチュエーションですかね?
人は時によって立場が違う、そういうものだ、と放棄するのではなく何故違う思考に至ったのかを自省するのが肝要だと思います。
そうすれば人は安定した精神を手に入れられると思います。簡単なことではありませんが。

てす人

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回答数 12>>

てす人

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回答数 54>>
ただ自分が自分であることを認識しようとする行いのみが真に自分であると考えます。
もしそれが出来なければ自分は認識できない以上存在してない。それができるならそこに連続性は必要ない。そもそも自己の連続性なんて虚飾と言える。故に自分は自分だと言えます。

てす人
回答数 19>>
自らのを明文化できてない人は自分も何をしたいか分からないから、代わりにやってくれるタイプ分けを信じてる。って所でしょうか。
私個人としては人は何かにカテゴライズされる意味も必要も無いと思うんですがね。

てす人
回答数 35>>
この世が無為でも痛みや喜びは存在し、それを分かるのはあなたしか居ないのだから。
というかこの世の人間全部そうして欲しい。なぜそう思ったか、なぜ自分がそうしたかも分からずただ反射の延長線上で動いてる人間もどきしか居ない世界なんて嫌だ。

てす人

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回答数 43>>
苦痛はその報酬を得るための対価であり、対価が大きいほど相対的に後に得られた幸福が大きく感じるから。

てす人
回答数 44>>
自己犠牲は手段であって目的にしてはいけない。

てす人

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または意見反論が予想される時。

てす人
是非意見、反論が聞きたい。

てす人
回答数 35>>
まず美しいという感情は完成されたもの、不変、調和が取れたものに想起される感じがしますね。例えば雑多な風景でも左右対称なら美を感じますし、美形な人は左右対称な顔の作りをしてます。逆に左右非対称な雑多な風景は不安感を煽ることから考えると美とは安心感に起因するものかもしれませんね。
つまり汚い場所は物陰に何が潜んでるか分からなくて不安ですが、綺麗に整理された場所は安心感が得られるため、それを好む感情が美しいと捉えられてるのかも。
そしてこの世の法則が読み取れる数式や神を感じさせる神秘的な光景は不変の絶対的な安心感を得られることから美しいと感じるのかも。

てす人

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回答数 19>>
自分の理想と現実が違う場合、脳はその違いに嫌悪感を示すためまず否定しようとすると思う。そしてその否定を反射的に言語化した場合、稚拙な嘘になるんだと思う。
これを止めるためには「何故そう自分が思ったのか」又は「自分がこの発言をした場合どうなるか」を考えなくてはいけないが、いずれも何かを思うという作用は考えることより早いため、考えが間に合わないと現実を嫌悪する脳が言い訳ばっか先に思いつく。そしてそれらを客観的に自分を認識しながらやんなきゃいけないため、ムズい人にはムズい。
直し方とか何故そんな人がいるのかとかの考えは長くなるので割愛。

てす人
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てす人
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てす人
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てす人
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故に社会性があるなら自然に人が持つ欲求かと。
またこの場合の社会制度の歪みとは少数派が不満を持つこと、もしくは少数派の不満の発言を許すことの2つに分類されると思うが、前者はまぁ無理なのかなと。人間どんな環境でも文句は出るし。
後者はまず社会とは、差異を許容し大多数が相互監視と補助をすることで差異のない集まりより人数が確保出来るという利点で成り立っているため少数派の意見を消すことは難しいと思う。

てす人
それを論破したい。

てす人

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回答数 18>>
薬一つ、病一つで人格が変わる。思考の発端となる何かを思うという部分が神経伝達物質で変わるため選択が変わる。選択が違うなら人格も違う。

てす人
回答数 318>>
小説家にでもなった方がいい。

てす人
回答数 29>>
社会にとっては悪いでしょう。環境にとっては良いでしょう。一概に聞けるものではないと思います。
