
てす人
拙いながら哲学とかについて話してみたいです。異論反論カモン
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てす人
回答数 3>>
多くの信仰は生や死に理由を求めるから生じるものと思います。人生にさして意味がないことに気がつくと、無意味の中ではどんな喜びもその後の虚しさに打ち消されてしまいます。
人生に仮初でも答えを求め、それが正しいと信じることが信仰なのかなと。結局ある種の思考停止ではあると思いますが、間違いではないと思います。

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んで思うってのは肉体の作用。痛いと思うことはあっても痛いを考えることはできない。できるのは痛みを考える、つまり予想か後追いしかできない。
肉体の作用である感情や思いってのは自分の本質ではない。この糞みたいな肉体にどれ程苦しめられたか。考える部分こそ本質。自分が自分だと思う部分こそが自我。
じゃあ思いや感情は要らないかというとそうじゃない。それらは考えを産む要素ではある。が、要素でしかない。例えるなら親は自分を産んだが自分は親じゃない。
自分が自分であると思う間に、考えの部分で能動的に望みとする思いや感情を得られる選択を予測する。これしかなかった。

てす人
回答数 21>>
まず「偏見は必ずしも間違いと言えるのか。」は文法的に正しくは「偏見は必ずしも間違いと言えないのではないか。」もしくは「偏見は必ずしも間違いではないと言えるのか。」になるかと思います。
これらについても解釈が三通り思いつきますが。
1.偏見を持つということは間違いなのか。
・何らかの事象について事前情報のため認識が歪んだとしても、歪まされるような事前情報があるのであれば、それもまたその事象の要素の一つと言えるのではないか。
→この場合は事前情報によって自らの認識が歪んでいるということを知覚しているかが焦点になるかと思います。ただそれを知覚した場合、それは偏見になるか?という疑問が生じます。
2.偏見と見なされる意見は往々にして間違いとされているが本当にそうなのか。
・間違いとされる意見について再確認を行うべきでは?
→この場合、偏見を「間違いとされる意見」という意味で使用してますが、先にも述べた通り偏見とは「事前情報によって認識が歪むこと」であり解釈に違和感があります。
3.偏見という概念はそもそも間違いではないのか。
・偏見は事前情報を加味しない正しいとされる視点があることで生じるが、この正しい視点というのは何を持って正しいのか。そのような視点があるのか。
→ちょっと拡大解釈ではありますがこのようにも捉えられそうです。
1か2が哲学の星的な問いかと思いますがどれなんでしょうね。

てす人
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ただ人の情動は主観において確かに存在するのでそれをベースに生活しています。

てす人
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他者なら見れば同じように見えるが、最初に死んだ男から見たらただ自分が死んでるだけだから。
観測者は世界だけじゃなくて当人も含めないと。

てす人
回答数 14>>
上記の考え方が差別主義に当たるなら、当人にそんなつもりが無ければ差別主義にはならないかと思います。基本的には同好の士を募るためのものでしょうし。

てす人

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共感性が都合のいいとこだけ拾ってくるからですかね

てす人

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回答数 30>>

てす人

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回答数 18>>
周囲が諭す、そしてその行為を咎めるだけではなく、何故いけないかの理由を教えるようにする、ですかね。要はより他者に関わっていこう、ということです。
多くの人は他人の小さな罪は咎めるより関わらない事を選択するかと思います。面倒事に関わらない方が楽ではありますが、小さな罪を見過ごされた人間は自らの過ちに気が付くことなく成長し、増長していきます。
罪を犯す人は想像力が足りないことから、自らの行為が罪に至ることを予想できません。そのような人は自制だけでは限界があるので、他者からの制止が必要かと思います。
結局個人の道徳に頼る形ではありますが、他者の些事な罪は無関心な自分が原因と皆が思うようにする、ですかね。

てす人
回答数 25>>

てす人

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概念でうんこするぞ

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付き添いで来てる人の為にもスペースは用意してる感じかと。

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てす人
電卓片手に読むのが楽しかった
にしても途中のあれはワクワクしたな

てす人
回答数 33>>

てす人

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回答数 39>>
もちろん全ての物が記号化できる訳ではない。記号化できない素晴らしい物はあると思う。ただ、だからといってそれを辞めていい理由にはならない。
出来ないならできるよう言語や数学を進歩させていく必要があるだけで、陳腐化するなるなんて理由でその努力を怠るのは真に記号化できない素晴らしいものへの冒涜だと思う。
まあ無理に記号化して情報を減らした上で分かった気になるのは1番ダメだけど。

てす人
回答数 9>>
例えば全く関係ない星のなんちゃら星人の国のルールを決めなきゃいけないとして、その星の人の感情が分からなければ物質の損失とか生死とかの価値がわからない。結果まるで意味の無いルールが出来ると思います。

てす人

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回答数 35>>
それはペットのフンのようなものだから

てす人
そもそも恥は社会性を獲得しなくては発生しないように感じる。
というのも怒りや喜びと違ってそれ単体で生じ得ない。不思議なことに物に怒ることはあるが、物に恥じらいを持つことは無い。人は少なからずアニミズム、物に人格を見ることがあるがその割に物に恥を感じない。
つまり何かしら外部からのアプローチがあるかと発生する感情なのでは?まぁそのアプローチは笑いなんだろな、笑われると恥ずかしい。
笑顔とは獲物に牙を剥くことに起因すると聞いたことがある。群れの中で逸脱した弱い個体に牙を剥く。それに対する防御反応が恥じらい?自らの弱点を隠す行為?
でも弱さを隠すだけなら群れの中でなくても行うだろうしな、同種に対してのみ生じる防御反応?なんか微妙だな

てす人
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回答を待っているよ!

てす人

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回答数 73>>
多分、あの時はこう言った、なのに今は違うことを言ってしまった、みたいなシチュエーションですかね?
人は時によって立場が違う、そういうものだ、と放棄するのではなく何故違う思考に至ったのかを自省するのが肝要だと思います。
そうすれば人は安定した精神を手に入れられると思います。簡単なことではありませんが。

てす人

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回答数 12>>
