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“自分とは違う誰か”を受け入れたい、つながりたいという存在の開放行為です。
一方、「嫌い」は自分の世界観や価値観を守るための拒絶の意志です。
つまり、「好き」と「嫌い」は、どちらも自分という存在を知るための鏡のようなもの。

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SNSは、個人が自らの意見や感情を発信し、他者と交流する重要な空間となっている。しかし、匿名性や即時性に支えられたSNS上の言葉は、しばしば他者を傷つけたり、誤情報を拡散したりする危険をはらんでいる。こうした問題は単にマナーや規範の欠如ではなく、倫理的想像力の欠如に起因するものである。したがって、「SNSの発信・表現は、他者性を認識した上でなされるのが望ましい」という命題は、現代倫理の根幹にかかわる課題として重要である。
哲学的に「他者性」とは、自己とは異なる存在を独立した人格として尊重する態度を意味する。エマニュエル・レヴィナスは、人間の倫理は「他者の顔」との出会いによって生じると説いた。彼によれば、他者は自己に対して沈黙のうちに「応答せよ」と呼びかける存在である。しかし、SNSでは相手の「顔」が可視化されにくく、他者が匿名的な記号やデータとして扱われやすい。そのため、発信者は相手の感情や背景を想像しにくく、無意識のうちに他者を単なる反応装置として扱ってしまう傾向がある。ゆえに、SNSにおける倫理的行為とは、直接的に相手を見なくても他者の尊厳を想像的に認識し、その存在を前提に言葉を選ぶことに他ならない。
次に、カントの定言命法の観点から考察すると、他者を「目的として扱い、決して手段としてのみ扱わない」という原理は、SNS倫理にもそのまま適用できる。誹謗中傷や虚偽の拡散は、他者を自己の快楽や承認欲求のための道具として扱う行為であり、道徳法則の普遍化に耐えない。一方、他者の立場を尊重し、共感や理解を促す表現は、人格の尊厳を守る実践である。他者性を意識したSNS発信は、自由な表現を倫理的に統制する自律の表れである
さらに、社会の公共性は相互理解を志向する対話的理性によって支えられる。SNSが単なる自己表出の場にとどまらず、健全な公共圏として機能するためには、発信者一人ひとりが他者を対等な対話者として承認する必要がある。すなわち、倫理的なSNS表現とは、他者の意見を排除せず、異なる価値観との対話を通じて共通理解を模索する態度の上に成立するものである。以上のように考えると表現の自由は民主社会の基盤であるが、その自由は他者の尊厳を損なわない限りにおいて保障されるべきものである。

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