
りゅうた
(゚∀゚)さいたま!さいたま!
教育/カメラ(Nikon D7500)/ボドゲ/数学
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埼玉

りゅうた
レストランには空腹を満たすことを、本屋には書物を提供することを、塾には学力を向上させることを、それぞれ求めているにすぎない。すなわち、私は各サービスの「本質的機能」が果たされていれば、それ以上の価値を必ずしも必要としない。
しかし現代社会においては、しばしば本質的機能そのものよりも、それに付随する「体験」や「雰囲気」や「物語性」が重視される傾向がある。人々は、提供される成果以上に、そこに至る過程や感情的充足を価値として評価する。この風潮に触れるたび、私は一つの疑問を抱かざるを得ない。すなわち、これは私の価値観が過度に即物的であるがゆえの違和感なのか、それとも社会の価値基準が本質から乖離しつつある兆候なのか、あるいは人間の欲望構造そのものが変容し、別の段階へと進化している証左なのか、という問いである。
そもそも、付加価値とは本質を補強するために存在するはずのものであり、本質そのものを代替するものではない。にもかかわらず、今日では本質的機能の不全が、情緒的価値によって覆い隠され、あたかも正当化されているかのように見える場面が少なくない。この倒錯した価値転換は、果たして進歩と呼びうるのだろうか。
私の違和感は、効率や合理性への固執というよりも、役割と目的の混同に対する警戒に由来している。機能が果たされないままに装飾だけが肥大化する社会において、我々は何をもって「良いサービス」と定義すべきなのか。本質を問い続ける態度そのものが時代遅れになりつつあるのだとすれば、その変化は進化なのか、それとも静かな劣化なのか。私は今もなお、その境界線を見極めようとしている。

りゅうた
権限も裁量も持たぬ立場において、謝ることは倫理的判断ではなく、摩擦を最小化するための処世的身振りに近い。
しかし、年齢とともに技能・地位・決定権が蓄積されると、謝罪の位相は反転する。
その言葉はもはや反射ではなく、自己の判断を誤謬として引き受ける宣言となる。
謝るとは、事実関係を認めるだけでなく、
「自分は誤りうる存在である」という存在論的前提を、公に差し出す行為だからだ。
このとき謝罪は、
権威の一時的放棄であり、
自己像の崩壊を伴う意志的な自己縮減である。
ゆえに、成熟するほど謝罪は困難になる。
それは臆病さではなく、責任の射程を知ってしまった者の逡巡である。
翻って、小学生の掲げる
「感謝と謝罪を言えるようになろう」という標語は、
実は道徳的初級課題などではない。
それは、力・地位・正当性を獲得した後でもなお、
他者の前で自己を相対化できるかという、
高度に洗練された倫理的要請である。
感謝とは、世界が自分中心に回っていないことを引き受ける態度であり、
謝罪とは、自分の正しさより関係の持続を選び取る決断である。
つまりこの標語は、
「善良な子どもであれ」という命令ではなく、
「力を持ってもなお、謙虚であれるか」という、
生涯にわたる哲学的問いなのだ。

りゅうた
現実においてはしばしば
不都合や不安、怒りを誰か一人に集約するための免罪装置として機能する。
「何かあればお前の責任だ」という宣告は、
責任の明確化ではなく、
語り手自身が背負うべき不確実性からの逃避に過ぎない。
しかし、責任がすべて虚構かといえばそうではない。
自らの判断・選択・行為がもたらした帰結について、
当人が内的に納得しうる範囲で引き受ける責任――
それは自己否定ではなく、自己整理であり、
静かな反省と次の判断への資源となる。
反対に、
因果関係が曖昧なもの、
他者の感情や構造的欠陥、偶然性までも内面化することは、
責任ではなく過剰同一化であり、
精神を摩耗させるだけの徒労である。
森羅万象を自責の射程に収めようとする態度は、
倫理ではなく全能幻想に近く、
いずれ心の耐久限界を超える。
ゆえに重要なのは、
「すべてを背負うこと」ではなく、
何を自責とし、何を切り離すかを自覚的に選別する能力である。
納得できる責任は引き受ければよい。
納得できないものは、距離を置けばよい。
それは逃避ではなく、
自己保存のための知性である。

りゅうた
Signa Stellarum Nigralum Exsistant.
Forma Bubonis, Aperiatur Iter.
Sadoq! Sigillum Revela!
汝、名状し得ざる偉大なるものよ。
暗黒の星の徴を示し、
夜獣の形で道を開け。
サドクよ、封印を解き放て。

りゅうた
人の意志とは、天気のように揺らぎ、期待すれば裏切られる。
だからこそ、何かを成し得るために拠るべきは精神論ではなく、
淡々と作動し続ける“仕組み”であり、己を導く“ルール”だ。
仕組みは迷いを奪い、ルールは思考を静める。
そこに責任という重みが加われば、意志は自然と目的へと収束していく。
人は強さによって前に進むのではない。
構造に身を置くことで、強さがあとから生まれるのだ。

りゅうた
叱責は暴力と教育の境界を曖昧にしていた。
今、人は「傷つく可能性」すら恐れ、
言葉の棘までも封じようとしている。
どちらが正しいとも言い切れない。
暴力が支配した時代に智慧は宿らず、
過敏な時代にも成長の余白は生まれにくい。
信賞必罰の秤が、
かつては重すぎ、今は軽すぎるだけだ。
人はいつになれば、痛みと優しさの
“適切な距離”を測れるのだろうか。

りゅうた
人に預けた願いは、叶うたびに揺れ、裏切られるたびに軋む。
ならば、期待するのは己だけでいい。
「そんなの虚しい」と叫ぶ声は、
かつて期待を背負いながら、それを落とした者たちの残響にすぎない。
静けさの中でようやく知った。
信じる先は、他人ではなく、自分自身の方が穏やかだということを。

りゅうた
無意味を悟るという行為自体が、意味への執着の証左だ。
努力を嘲る前に問え。
その努力の質と量を、誠実に見つめたことがあるか。
見ずして達した悟りなど、滑稽の極みである。

りゅうた

りゅうた

りゅうた


りゅうた
それを吐くたびに、人は自らの可能性を削っていく。
嫉妬は他者の否定ではなく、努力の放棄だ。

りゅうた
多くの人はそれを“反比例”と呼ぶ。
けれど本来それは、“負の比例”だ。
言葉はいつも、世界を正確に写すとは限らない。
私たちは、概念ではなく印象で語っているのかもしれない。

りゅうた
そして、誰かが自分のためにそれをしてくれたとき、敬意と感謝を惜しまない。
この原則が欠けるリーダーに、人はついてこない。

りゅうた
理屈ではなく、執念の話だ。
リソースも強みも、余力を残せば無価値。
行動と犠牲と度胸――
結局、成功は“自分を削れる量”で決まる。

りゅうた
その純度は、受け手の器量によって劣化する。
無償の愛は理念としては無垢だが、現実の関係においては摩耗を免れない。
愛とは、対称性を失った瞬間に、もはや倫理ではなく消費となる。

りゅうた










りゅうた
「認めてあげている」側が、いつの間にか「認めろ」と迫られる側になる。
努力の放棄までが“多様性”に含まれるようになったら、そこに成長はない。
多様性とは、甘えの免罪符ではなく、共に磨かれる覚悟のことだ。

りゅうた
好きなバルはしごして油そばで締め!!



りゅうた
上司「ええんでない?」
社長「ガス抜きってことは新人達が仕事を楽しんでやっていない決めつけだ!!」
はにゃ???

りゅうた
高校入ってから、近況を他のやつから聞くに難しくて落ちぶれてしまったのを後々聞くの悲しい
難しい!分からない!が脳みそおかしくなるまで考えて分かるようになり、美しさに気付くことが数学の醍醐味なのに🥲

りゅうた

りゅうた
「中卒でも高収入」
確かに、ごく稀に優秀な人はいるがメディアが大袈裟に発信するおかげさまで
「努力しなくてもいいじゃん!」
という短絡的な思考をもつ人を増やしている。
小学生の漢字や計算が出来ずにどうやって仕事するんですかねぇ

りゅうた
「幸福は麻薬」
言い得て妙である

りゅうた
それを一々嘆く事は非常に無駄なので自分のマインドや思考を如何にアジャストさせてく事が大事
もしくは撤退する勇気

りゅうた


りゅうた

りゅうた
眠気がやばいですが頑張りましょ

りゅうた
と多分これまで1億回以上は言われている
ただまだ私は倒れていない。
これは私がタフなのではなく頑張っていないし抱え込んでいない。

りゅうた
逆に言ってしまえば時間とそこの費用対効果のコントロールさえしてしまえば良い
常に「V=F/C」を意識

りゅうた


りゅうた
性善説は所詮絵空事でしかないので期待してはいけない。

りゅうた
手前の椅子はフットチェア代わり
この絶妙な涼しさの中、外で酒飲みながら煙草吸ってる時間が一番幸せ


りゅうた
そんなにカメラの出番がなかったので今回はタグ付けなしで






りゅうた


りゅうた
#写真好きな人と繋がりたい #写真










りゅうた
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りゅうた
#写真好きな人と繋がりたい


りゅうた







りゅうた
暑すぎてカメラなんかやってられるか!とも思ったけどせっかくなのでタワテラ前で1枚
トイストーリーホテルも綺麗で良いけど高層階にすると喫煙所遠いのが難点ですな





りゅうた


りゅうた
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#写真好きな人と繋がりたい


りゅうた
尚、2時間後には起きなきゃいけない模様
#写真


りゅうた
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りゅうた
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りゅうた
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りゅうた


りゅうた
