生きることに希望を持ちすぎると辛いし、死ぬことに絶望しすぎると怖すぎる。幸せでもない、不幸せでもない、中立の状態。ここに何かのコインシデンスで立つと、色々見方が変わる。でも人間は生き物だから必ずどちらかに揺れるものなのは変わりません。
周りにコントロールされる生き方が嫌になる時があったが、僕たちは必ず誰かや何かの影響を受けながら生きているのである。だとするとそれはそれとして受け入れれば不自由はただの考え方の一面であることに気付かされた。
この世界は全てが少しずつ絡み合って影響しあって今の世界が出来ている。しかし、そこには意味も価値もなく、あるがままの世界だと考えている。もしあなたにとってこの世界がこういう世界だと考えているのならきっとあなたは世界を「そういう世界として観察したい」のだろう。しかし、その事は決して悪ではなく、恥でもない。だからあなたはあなたの世界に自信を持てばいい、希望を持てばいい、絶望を持ちたいならそれでもいい。自分の望んだ世界がそこにあるわけですから。
SNSの場において、SNSを見続けると不幸を感じやすくなる場合もあると発信するのは、高馬力のスポーツカーに乗りながらサステナビリティを謳うのと同じ様に思える。だから自分のこの発言すらも正直苦しく感じる事もある。
逆にどうして自信がないのか考えてみます。加えて自信を持つ必要があるのかについて考えてみます。自身も行き過ぎれば高いプライドという事になる場合もあるし、謙虚さも行き過ぎれば卑屈になってしまう場合もあります。その中でご自身が一番心地いいエリアで立ち回れたらそれが結果的に自信を持つことと同義になるかもしれません。
悩みのいくつかにおいて必要なのは「悩みに対する解決策」ではなく、選んだ事で起こる結果を受け止める覚悟である場合もある。しかし、その悩みが自らの身を蝕むなら誰かの力を借りたほうがいい。そのことによる人生スコアのペナルティなんか存在しない。
最近思った事。社会とはピラミッド型ではなく横の繋がりである方がいいんじゃないだろうか…?組織ならば上下はあるが、それでも人間同士で話すべき時は同じ目線に立つ方がいいと考えている。僕たちの住んでいる社会はどうだ?
相対比較で見ると人は幸せになるのはなかなか難しい。だってSNS見れば自分よりもお金持ってたり、充実してる様に見える人なんてわんさかおるもの。だけど絶対比較で見て、昨日の自分より輝いているところがあればそれで幸せのヒントに気づけると思う。明日があなたにとって少しでもいい日であります様に。土日休みの方、今週もお疲れ様でした。土日も働かれている方、いつも多くの人のために頑張っていただきありがとうございます。
近年はどんどん暑くなっているし、虫も多いし、電気代も上がるしで、良い事がなくなりつつあるけれども…それでも夏が好きなんです。夏の空の青さと懐かしさが好きなんです。鈴木英人さんの絵みたいな夏が待ち遠しいのです。今日の暑さは改めてそれを思い出させてくれました。
最近悪口を言わない様にずっと心がけてる。悪口を言うことで相手をおとしめようとしても実際に落ちているのは自分自身の尊厳ではないかと考えた。単純に悪口を言う人間悪口を言わない人間どちらの方が人としての徳が高いか??ほんでもって、相手を下に見ている発言をするって事は自分が相手よりも下にいる事を認めてしまうのでは?と考えた。限りある自分の命の時間は嫌いな人をディスることよりも大切な人や自分の未来を考える時間に使おうと気をつけてます。みなさんはみなさんの時間誰に使いたいですか?