
みり
音楽を聴きたい人です。
人生のメリーゴーランド
バタフライエフェクト
赤い蝋燭と人魚
夢十夜

みり
今年は忙しくなりそうで
大丈夫かな?と思うこともあるけれど、
目は臆病で手は鬼。
頭でっかちにならず、
まずは手を動かそうと思う。
柔軟な心を持って。
皆さんにはいつも元気をいただいています。
ありがとうございます[照れる]
今年もよろしくお願いいたします。
画像は年末に阪神百貨店に買い出しに行ったときに展示されていた、村上裕二さんの日本画。
撮影禁止だったのでポスターです。



みり
愛しい、とても愛おしいお話でした。


みり
京都で100年続く貼箱の老舗が、培われた技術を活かして職人さんの手でひとつひとつ作っておられるもの。
一輪挿しを紙で作るという発想に驚いたけれど、手にしてみるととても軽く丈夫で、水が少しついたくらいではものともしない。
洗練されたデザインの中に紙のあたたかみが感じられて、いいなと思った。
イベントで売り手をされていたのが若手の職人さんで、
「僕たちは紙の可能性を信じている。伝統的な技術を活かして、時代に合うものを作り続けていきたい」
と話しておられて、嬉しくなった。
それとともに、生産者の顔が見えない、もしくは顔をもたないようなものが生産を担っているようなこの時代に、自分が何を選んで、何にお金を使うかで、今後残っていく技術や職業が決まるんだろうな、とも考えていた。
私は本屋が好きでミニシアターが好きで芸術が好きで、様々な文化に興味をもっている。
でも本屋やミニシアターは街から消えつつあり、AIが描いた絵や音楽や文章がネットには溢れていて、伝統文化の継承者は年々減っている。
スマホ一台あれば何でもできるようなこの時代に、私は何を選んでいるか、便利さにかまかけて自分の「好き」を失う行動をしていないか、一輪挿しに花を挿しながら考えていた。


みり
日本画家の丹羽優太さんが、3年間寺に住込みで描かれた襖絵の一般公開。
私が日本美術で好きなところのひとつは、襖絵や屏風、掛け軸、庭園、器等々、生活や暮らしに寄り添いながら、空間との調和を軸に発展してきたところ。
額に入れて飾られてきたわけではない分、劣化もはやいけれど、それさえも自然の営みの一部と思わせるような美しさを感じる。
丹羽さんの作品は疫病や厄災をテーマにしているものが多く、それだけ見ると圧倒されたり、衝撃を受けるのだけれど、丁度葉が色付いた光明院の波心庭とともに眺めると、不思議と調和がとれていて、とても美しかった。
これから年月を重ね、光明院の四季折々の風景とともに、この作品もまた風合いを増していくのだろうなと思った。
※コメント欄に波心庭と丹羽さんの襖絵を一緒に撮った写真を載せておきます。










みり
お花屋さんの店主さんと一緒に、この色いいね、あの色もいいねっていいながら選んできた。
オレンジの花は菊で、マリモのようなガーベラ、フリルのようなケイトウ。
小さい頃、スーパーに売っていた菊の花が綺麗で、この花買いたい!と母にお願いしたら、
「これは仏壇に供える花やからなぁ」
と買ってもらえなかったことがある。
母の言わんとしていることはわかったけれど、意味なんて関係なく、花は花として綺麗なのになぁ…って子ども心に思っていた。
だから店主さんが、家に気軽に飾れる菊があったらなと思って入荷したんですと、この菊を見せてくれてなんだか嬉しくなった。
花言葉や、花に意味をもたせることはロマンチックでとても好き。
でも同時に、名前や意味にとらわれず、花はただそこに咲いているだけで、美しくて心を和ませてくれる存在だなとも思う。
それぞれに個性豊かで美しいお花たち、眺めるたびに、今の自分も、あの時子どもだった自分も、同時に笑顔にさせてくれる。


みり
3連休くらいから見頃になるかな?
燃えるような秋のフィナーレ🍁
※写真は何年か前のです




みり
サンタさん?お雛様?誰にもらったんやっけ、
多分おチビさんにもらったんやろうね
かわいいね


みり
寄り酔い

みり
神様が留守の間に、何しちゃおうか
何する?


みり
私の中で坂本龍一さんの奏でる音は、水面に広がる波紋のようなイメージ
静かだけど、気付けば雨が降ってきて、雷も鳴り始めて…
どこにもないけどどこか懐かしい、心にすーっと馴染んでいく音楽。
あの世界観を、
光、映像、水、音楽、写真、空間
様々な媒体を使って表現していて、一つ一つの展示が興味深かった。
特に好きだったのが、坂本図書の分室。
人の本棚を覗かせてもらうのって、その人の頭の中や心の中を覗かせてもらっているような感じがして、ドキドキする。
坂本図書から、題名と帯の文章に惹かれて一冊購入。
長電話っていいよね。
相手と自分の時間を共有して独占し合って…
好きな音楽、読んだ小説、観た映画、どうでもいいような馬鹿馬鹿しい会話、
ベッドに寝転がって話してるだけなのに、なんであんなに楽しいんだろう。
秋の夜長に、なんでもない話を電波にのせたくなった。
(展示会出て待ちきれなくて、目の前にあったベンチで本読んでたら葉っぱが落ちてきて、一緒にパシャリ 📸🍂)





みり
なんか安心する

みり
舞台は17世紀のイギリス、国王によって貴族の父を殺された息子が、父の罪を一生笑うようにと外科手術で口を裂かれ、永遠に逃れることのできない「笑顔」をたずさえ道化師として生きる物語。
主演のコンラート・ファイトの演技が圧巻で、
(物語の設定上)口には張り裂けんばかりの笑いを作りながら、瞳は哀愁を帯びていて、目で、身体で、指先の動きひとつで、主人公グウィンプレンの複雑な感情を表現していく。
楽士さんが登場人物たちの心の機微を、ピアノの音色で繊細に表現されるのも素晴らしかった。
伴奏があるなしでは物語の解像度がまるで別物で、音楽の力というのは本当に偉大だなと感じた。
どこか「ジョーカー」を思い起こさせるなと思っていたら、ジョーカーはこの「笑ふ男」に着想を得たとのこと。
主人公が自分のことを「醜い」と涙しても、その口元には笑みが張りついている。
人は、泣きたい時に泣けないよりも、笑いたくないときに笑わなければならないことの方が、よほど辛いのかもしれない。


みり
月が綺麗

みり
草間さんが扱うモチーフは
代名詞のカボチャや水玉模様など、
一見ポップで可愛らしい。
でも、私が草間さんの作品から
一番感じるのは、苦悩。
草間さんの作品に頻出する
水玉や網目模様の反復と増殖は、
草間さんを幼い頃苦しめた幻覚や幻聴を
作品へと表出させたもの。
以前大学生のときに訪れた特別展では、
展示の一角、水玉模様で埋め尽くされた
青い部屋で一人になることがあり、
その閉塞感に息がもたず、
足早にその場を後にした。
私があの時感じたのは、
幼い頃の草間さんを内から外から
蝕んできたものの一部なのだと思う。
ただ、今回の版画展では
そういった息苦しさよりもむしろ、
生への指標を感じた。
特にシルスクリーンを用いて
背景をラメで彩った作品や、
アダチ版画研究所がもつ、
江戸時代から伝わる浮世絵制作の技術を
次世代へと継承するために制作された、
富士山をモチーフとした
幅6mを超える木版画の原画などからは、
生の煌めきや、猛々しさが感じてとれた。
こういうものに触れると、
人間の幅や奥行きは底知れず、
その道を走り続けた人のみが知り得、
開拓していける世界があるのだろうなと感じる。
96歳、今なお前衛を第一線で走り続ける
現代アーティスト。
進化し続ける存在は圧倒的だった。
※写真撮影禁止だったので写真はポスターです。



みり
セプテンバーさん

みり


みり
「人は皆心に虎を飼っている。
あなたの虎は何ですか?」
高校生の時に授業で習った山月記。
授業中、先生が投げかけた言葉が
とても印象に残っていて、
今読んだらどんなふうに感じるんだろうと
興味が湧いて書店で手にとった。
李徴を虎にしたのは
臆病な自尊心と尊大な羞恥心。
では私の中にいる虎は?
高校生のときは答えが出せなかった。
そして今も変わらず答えを出せずにいる。
あれからもうかなりの月日が経つのに
変わらず自分と向き合えていない自分が情けなくなったし、
本当は見えているはずの自分の弱い部分から、
目を逸らし続けている自分の心こそが
虎なのかもしれないなと思った。
そうやって月日と共に、
虎を肥やし続けているのかもしれない。
皆さんの、心に棲む虎は何ですか?


みり
以前「この世界の片隅に」の映画を観て、こんな視点で戦争を描く人がいるんだなぁって驚いて、好きになった漫画家さん。
こうの先生が描くのは、日常の、生活の中の、
ちょっとほっこりすること、ちょっと笑えること、ちょっと泣けること、ちょっと怒ってしまうようなこと、結構考えさせられるようなこと。
扱うテーマの中にはかなり重いものもあるけれど、あくまで日常を生きる私たちの視点で物事を描かれるので、いつの間にか自分もその世界に入り込んで、登場人物たちと生活を共にしているかのような感覚を味わう。
今回の原画展では、原画の横に丁寧な説明書きがひとつひとつ添えられていて、それぞれの画に込められた想いを知るとともに、その技術の高さ、表現の幅、引き出しの多さに驚かされた。
(物語のネタバレになるものもあるので、一部をコメント欄に貼ります)
画像は「この世界の片隅に」の漫画中巻カバーイラストの原画。
戦争中、空襲を避けるため、黒い布等で電球を覆って、家の窓から灯りが漏れないようにしている。
そのため月明かりが一層明るく、すずさんと綿毛を照らしている。
※全て撮影、シェア可の原画展でした。


みり
とても好き



みり
神戸を訪れる際によく立ち寄る場所。
地下一階にひっそりたたずむ店内に一歩足を踏み入れると、大音量でかけられたジャズに、脳と身体がビリビリと痺れるような感覚を味わう。
店内はお喋りOKのスペースと、私語厳禁の一人席スペースに分かれていて、
私は誰かと一緒に行っても、スピーカーから流れてくるレコードの音の厚みに声が負けてしまうので、早々に一人席に移動してそれぞれジャズを堪能する。
ジャズが好きな人はもちろん、今までジャズに触れてこられなかった人にも、あの世界観を一度味わってみてほしいなぁと思う場所。
神戸を訪れた際はぜひ。


みり
Flower Dance (Piano Version)

みり


みり
もう今は人が住んでいない集落の古民家が、一晩限りのチェロと蛍のコンサート会場に早変わり。
「僕のチェロは、蛍の前説です。」
なんて言いながら、外から聞こえる雨音や生き物の声とセッションをするかようにチェロを鳴らすチェロ弾きさん。
昔、テレビから旅芸人のような楽しげで不思議なチェロの音が聞こえてきたときは、チェロってこんなに自由な音が出せるんやなぁって驚いた。
そしてそのチェロ弾きさんが私も知っている田舎に移住されたと聞いたときには、その何十倍も驚いた。
言葉少なに移住先での生活を語りながら、チェロで聴かせてくれるのは、
朝焼けと夕焼けの色、風の音、水の煌めき、土の温もり、星の輝き、生き物の猛々しさ、土地の人々のあたたかさ。
弓をひとつ動かすたびに、その情景が目の前にぱっと広がる。
そろそろかなって促され外に出ると、蛍の光がぽわぽわっと暗闇にたくさん浮かんでいて。
その美しさに見惚れながら、車も通らず、人が寄り付かなくなった土地にはまだこんなに蛍がいるんやなぁって、皮肉にも感じた。
今年は早々に梅雨が明けてしまって、そのうち梅雨はなくなるかもなんて声もちらほらと聞こえてくるけれど、梅雨には梅雨にしか見られない景色や聞こえてこない音がある。
この会がこれからもずっと続いて欲しいなと思った。


みり
買ってきた梅で作るのももちろん美味しいけど、この不揃いの色んな色した梅で作る梅酒は、毎年出来上がりの味が違って楽しい🥃
同じ山で採れた梅を使ってそれぞれ作っても、ちょっとした材料の配分とか、温度湿度等々の違いで味が変わるから、夏は友達とそれぞれの梅酒持ち寄って飲み比べるのもまた楽しみのひとつ[好き]
おいしくな〜れ〜〜♪♪
#梅をぼるってもしかして方言…?
#梅仕事



みり
夏陰、ピアノを弾く

みり


みり


みり
アイデア

みり
私が好きなコクリコ坂からの映画で、
「太陽の寿命は長く、私たちの時間は短く、まだ何も分かりません!」
っていうこれぞ天文学みたいなセリフがあるけれど、
長い長い宇宙の歴史の中で、民間から月に行こうなんて考える人たちと同じ時代を共にできて、こうやってドキドキを共有させてもらえて、宇宙好きとしてこんなに幸せなことはないなと思う。
記者会見、言葉の端々から、宇宙に対する真摯な気持ちが伝わってきた。
きっとこの人たちも子どものとき、私が見てた月と同じ月を見上げて、途方もない想いを夜空に馳せてたんだろうなと思った。
願わくば今後に活かせるデータが沢山とれていますように。
これからもずっとずっと応援しています。
夢をありがとうございます。🌛✨
※画像は大好きな宇宙兄弟より、日本が世界へ誇る技術者の方たちへ敬意を込めて!


みり
月面着陸みたいなぁ🌝
どうかどうか、成功しますように…
着陸予定は明朝4時17分
起きれるかな…
おやすみなさい〜




みり
別名、人魚の涙


みり
音楽だけじゃなくて、何事に対してもそうだと思った。
@SEN さん、いつも素敵な音楽と言葉をありがとう。
誰かの願いが叶うころ

みり


みり
モネ展〜睡蓮のとき〜
行ってきた。
モネが半生をかけて描き続けた睡蓮の絵。
華美に装飾するわけでもなく、かといって削ぎ落とすわけでもなく、そのものの持つ等身大の美しさを、感じたままにキャンバスに落とし込もうというモネの気概が伝わってきた。
近づくと、特に睡蓮の花は何層にも上塗りされていて、本当にキャンバスに睡蓮が咲いているように盛り上がっている。
モネが確かにそこに命を吹き込んだんだなということが感じてとれた。
何色も色が重ねられているのに、なんであんなに透明な絵が描けるんだろう。
ずっと、何時間でも観ていられる。

