結局全ての宗教は今は商売です。現世で幸せに過ごせばいい。死んでからのことは全くお構い無しです。そうして信者さんからお金を巻き上げなければ生活できません。人間になんらかの居心地よさを与えて騙すのです。悪と宗教はちょっと手口が違いますが、宗教の方が最も悪いものです。現世ではこういうものが堂々とまかり通るデタラメの世界なのです。釈尊お釈迦さんはこの事実に最も異邦人では稀な形で気づいたのです。色即是空、五蘊皆空と2500年前に言い切った。中々の気づきなのです。
行深般若波羅蜜多時これは仏教家が訳し方を間違えているところです。何かと言いますと深のところです。深く行じていたと考えていますがこれは間違いです。本当は深般若を行じていたとなるのです。般若とはなにか?般若とは上智と訳されていますから高等な知恵と考えてられてますが。訳としては間違っていますが上智とはなにかこれが分かっていません。上からの知恵とはなんなのか?上智とはなにか?これは人間の知恵ではありません。人間の知恵にはないもの。これは五官のことなのです。皆さんが見る、聞く、香りを嗅ぐ、食べて味がわかる、なにかに触れて感じることこれが上智です。美しい景色を見て感動する、食べて美味しいと感嘆する、音楽を聞いて心が踊る、男女が交わる、これが般若です。人間はこの五官の喜びを全く深く感じていません。ただ美しい、美味い、いい音楽だと考えているだけです。これは深般若にはなっていません。真善美、味、香り、音、温度、温もり、官能とはなにか?この真実を観自在菩薩は観たのです。これは何かと言いますと、宇宙のはじめ、まだ宇宙に死が発生する前にあった命の味わい、つまり死なない命の喜びなのです。観自在菩薩は五官の働きが宇宙が始まる前の世界を見聞き味わっていることを悟りました。どうして悟ったかと言いますと、波羅蜜多したからです。波羅蜜多とは向こう岸へ渡るということつまり現世の人間であることをやめて、現世を出て彼岸を目指したからです。釈尊は釈迦族の皇太子でした。美しい奥さんと子供たちに恵まれ、現世の地位名誉、生活は申し分ない状態でした。しかし、人間に何故生老病死があるのか知りたくて知りたくて皇太子の職を捨て、奥さんを捨て、家族を捨て、仲間を捨てて、たった一人で真実を知ろうとした。つまり現世から出たのです。出家とは頭を坊主にすることではなく、出世、つまりこの世から出てしまったのです。現代の人間で出世した人は一人もいないでしょう。彼は自らの意志で全てを捨てたのです。波羅蜜多とはこちらの世界を出て向こう岸(彼岸)に渡るのです。深般若を用いれば現世を出ることは可能なのです。これをしている仏教家は1人もいません。だから般若心経と仏教は何の関係もないのです。
#般若心経 釈尊(仏陀、お釈迦さん)の悟りの内容を簡潔にズバリ書いたもの観自在菩薩(かんじざいぼさつ)観とは見るという意味ですが、ただ見るのではなく、物事の本質、本体を見極める、突き止めるという意味自とは初めという意味はじめとは、この地球ができる前、宇宙に死が発生する前、つまり私たちが現世に生まれてくる前、肉体を取る前という意味になります。在とはあるという意味ですが、あるというのはふたつの意味がありまして、目に見える現象の場合は存るまたは有るという言葉を用いますが、この場合の在るを使う場合は目に見えないものという意味です菩薩とは本当の真実を求めている人、つまり、求道者です。人間にも2種類の人間がいまして、ただ生活をして現世を楽しく生きようとしている人と、命の本質は何かを追求している人と分かれます。後者の人を菩薩と言います。つまり釈尊は生まれてくる前の宇宙の初めにあったもの、死とは全く関係のない世界を観たのです。どうやって見つけたのかと言いますと、行深般若波羅蜜多時(ぎょうじんはんにゃはらみたじ)ここは般若心経を行うところの1番大切な心構え、精神状態がこうならなければならないところですが、仏教家、仏教学者は全くわかっていないところです。
#宗教もキリスト教も自分が救われたいから宗教へ行っている ところが聖書は自分が救われたいものは必ず命を失う。つまり救われないのです。聖書にこう書いてあるのに、キリスト教の牧師も信者もこのイエスが言った真意が全然わかっていません。自分の命を失うものが聖書の救いです。イエスに従うために自分の命を失っているクリスチャンは1人もいません。つまりクリスチャンと聖書は別物なのです。イエスがしなさいと言っていることを反抗して自分なりに解釈しているのが今のクリスチャンです。この人達は絶対に救われません。むしろ地獄へ最優先で連れていかれます。神の言葉である聖書を正確に説いている牧師神父聖職者はいません。彼らは聖書そのものを解いているのではなく、各宗派の教義を説いているだけであって、聖書を頭から被って聖書になりきっていません。酒のつまみ程度にしか読んでいないものが牧師になったり、聖職者になっているだけです。イエスはこのようなものたちを1番憎みました。イエスは宗教が1番大嫌いでした。災いなるかなパリサイ人、律法学者と、宗教家と政治家をボロクソにけなしたのです。今でいえば、キリスト教です。聖書を宗教にしたのがキリスト教です。イエスが1番憎んだものが、今はイエス様~イエス様~と願っているのです。全くデタラメな世の中です。イエスは宗教家に殺されたのです。だから絶対に宗教ではすくわれないのです。みなさんがた生かされていることを冷静に観たら、生きていることが聖書です。生きているのは自分ではなくイエスです、だから自分の命を失わなければ救われないのです。この原理をぜひ掴まえて頂きたく死なない人間にみなさんなってください。
#現世は消えて無くなってしまって今は神の国死なない命しかない #人間が死んでしまうのは嘘#不生不滅人間はまだ生まれていないだから死んでいくこともない #文明によって人間は騙された洗脳された #自分なんてどこにも生きていない