ふと生きるってなんなんだろうって考えたんだよね。すごい病んでる人みたいになってるけど全然病んでないからね。でも長いけど読んで欲しい。辛いのも人生だし楽しいのも人生。本当に色々なことがあるし一概にこれが生きてるってことなんだって言うのは言えないんだけど、それでもほんとにたまにね?なんで生きてるんだろうって思うことは結構あるの。でも、そんなことを考える時ってだいたい決まってて、何かが上手く行ってなかったり、他人の人生がよく見えたりする時なんだよね。「あ一自分って何で生きてるんだろ、つまんな」って時に決まって悩むんだよね。そんな時に自分が考えてるのは、シンプルだけど「他人は他人、自分は自分」ってことと「隣の芝は青く見える」ってこと。他の人の人生って、表に出てきて見えてるのって彼氏彼女ではない限りまぢで1%ぐらいなんじゃないかなって思ってる。最高な部分しか見えてないはずなんだよね。残りの99%は見えてなくて、その中に絶対誰にも見せていない努力とか苦労が詰まってるんじゃないかなって思う。だから、その人の人生全部最高なんて言えないのと同じで、誰かの1%の人生だけをかいつまんでその人の人生の全てがHappyなんだ、羨ましいなあって思うことは間違いだと思うんよね。なんで生きてるのか分からなくなったら、辛いのは自分だけじゃないってことを考えてみるといいかもね。意外とみんな悩みながら生きてるし、踏ん張って頑張って努力してる。自分なりに人生を生きようとしてるから。それよりも、他人の人生をいいなぁ~って指えてみてるんじゃなくて、自分も一緒に努力して楽しんで、人生楽しって言える方が絶対いいもん。生きてて辛いことなんていっぱいあるし理由もそれぞれだけど、やっぱり「他人は他人。自分は自分」なんだよなって思う。だから人にとやかく言う暇なんて無いはずなんだよね。
自分で自分をコントロールできる。そんな人が大人だなって思います。自分の外側で何かあれば反応的に怒って、はたまた、たまたまいい事があったら機嫌が治ってみたいな、外部に振り回される生き方をしていると幼稚に見えるし。常に自分の内側に軸を起き、自分の気分をコントロールできてこそ大人よね。
家庭環境と恋愛は繋がっていて、家庭環境が複雑だとそこで育つ子供は愛着障害を抱えて生きることになる。愛着障害を抱えた子はね自分を支える基盤が不安定だから人を束縛して愛を確かめることで安心感を得たりする。つまるところ人は親から受けた愛情でしか人を愛せないんだよね。