
PIKKO ピッコー
記憶がすぐ飛ぶ!何故かって楽しい絡みが多すぎて、ごめんなさい。
見た目はオジサン、心はおばさん❤️
そんな私ですが、皆さん愛してくれますでしょうか?
びっくりマーク好きのPIKKO(ピッコー)です。今日も元気にどすてーーー!
おみしりーー!
個人的に喋りたい場合は、プライベート音声を飛ばしてね。人に聞かれたくない話もあるもんね
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代表的な哲学や認知科学の視点から見ると、ボキャブラリーを増やす意味は主に以下の3つに集約されるらしい。
1. 「言語の限界=世界の限界」を広げる言語哲学の祖であるルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは、「私の言語の限界は私の世界の限界を意味する」と述べました。
自分が持っている言葉の枠組みを通してしか世界を把握し、理解することができない。語彙を増やすということは、今までぼんやりとしか見えていなかった感情や事象を、「解像度を上げてクリアに認識できるようになる」ことを意味する。
2. 多面的な思考と深い洞察が可能になる認知科学者や言語哲学者の見解では、人間の思考と言語は切り離せない関係にあるらしい。新しい概念や単語を学ぶことは、思考の「道具」を増やすことです。ボキャブラリーが貧弱だと、物事を白黒でしか捉えられなかったり、感情を「ヤバい」「すごい」などの単純な言葉で片付けたりしてしまう。
多様な語彙を持つことで、複雑な事象を細かく分析し、多角的に物事を捉える力が養われる。
3. 自分の感情や価値観を主体的に構築する多くの言葉を知ることは、単に「表現を豊かにする」だけでなく、自分自身の内面を整理することでもある。感情の名前や哲学的な概念を知ることで、自分が今何を感じているのか、何を大切にしているのか(価値観)を言語化しやすくなる。他人の意見や世間の空気に流されず、自分自身の言葉で「思考し、世界を解釈する」ための基盤になる。
ボキャブラリーを増やすことは、単なるコミュニケーションのスキルアップにとどまらず、「あなた自身の思考を深め、認識できる世界を広げるための哲学的な営み」と言える。
悩み、苦しみは、自分の言語認識と語彙の理解度、量が今いる環境では乏しい可能性がある。
勿論、環境支配者または環境管理者の知性が乏しい場では、無能な上司の理解度で、有能な自分は苦しむだろう。
郷に入っては郷に従え、所の法に矢は立たぬ、門に入らば笠を脱げ、バカの前ではバカを演じろ


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真理への到達を阻む「乗り越えるべき障害」であり、同時に私たちが世界を認識するための
「避けられない前提」
として議論される。
代表的指標としてイギリスの哲学者フランシス・ベーコンによる「イドラ(偏見・先入観)」の分類が挙げられます。
フランシス・ベーコンの「4つのイドラ」
ベーコンは、人間の精神を曇らせる偏見を以下の4つに分類し、これらを排除して客観的な観察(帰納法)を行うことが科学の発展に不可欠だと主張しました。
種族のイドラ:人間という種族全体に共通する偏見。人間の感覚の限界や、物事に目的や調和を見出したがる本能的な錯覚。
洞窟のイドラ:個人の育ちや経験、性格によって生じる偏見。自分だけの狭い世界に閉じこもっている状態(井の中の蛙)。
市場のイドラ:言葉やコミュニケーションの曖昧さによって生じる偏見。市場(広場)での噂話や不適切な言語の使用が原因となる。
劇場のイドラ:権威ある伝統的な哲学や学説、宗教を無批判に信じ込むことで生じる偏見。
「近現代における偏見の捉え方」
ベーコン以降の近代哲学では新たな解釈も生まれている。
ガダマーの解釈学:ドイツの哲学者ハンス・ゲオルク・ガダマーは、偏見(先入見)は単なる間違いではなく、人間が物事を理解するための出発点であると唱えました。伝統や歴史の中で形作られた偏見こそが、私たちが新しいテキストや文化を理解するための「地平」になると指摘しています。
科学哲学とフェミニズム:客観的とされる科学や知識体系の中にも、無意識のジェンダーバイアス(性別に関する偏見)が潜んでいることが指摘されています。誰にとっての客観性なのかを批判的に問うアプローチです。
偏見は私たちが思考する際の「色眼鏡」として無意識に作用しています。哲学は、その色眼鏡の存在に気づき、時にはそれを外そうと試みる営みそのものだと言える。


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他人との比較を有効に活用していく最初の一歩は、自分自身と他者を社会的比較している自分を意識すること。
「あっ、いま、自分は比較している」と感じとり、「その比較は、自分が望む姿へ近づくための比較か」考えてみるといい。
自分自身が優れている点と、他人が苦手としている部分を比較する際には、以下のような視点で考える
1. 「相対的な得意分野」の把握自分の強みと他人の苦手分野が重なる場合、それはあなたにとって最大の武器となる。
メリット: 組織やチームにおいて、あなたがその分野のリーダーシップを発揮しやすく、周囲から頼りにされるポジションを確立できる。
注意点: 「自分の方が優れている」という優越感に過度にとらわれず、なぜ相手がそこを苦手としているのか(見方を変えれば別の才能があるのではないか)を客観視することが大切となる。
2. 「長所」と「短所」の裏返し長所と短所は、コインの表裏のような関係にある。
例: あなたの長所が「計画的で慎重である」場合、それは裏を返せば他人の「行動が遅い」という短所と同じ性質である可能性がある。
メリット: 他人の短所を反面教師として自分を律しつつ、自分の長所が状況によってはデメリットになり得ることに気づくことができる。
3. 多様性の尊重
自分にとっての長所は、誰かにとっての短所とは直接結びつかない「個性の違い」に過ぎないことがほとんどであることを理解する必要がある。
心理学者レオン・フェスティンガーは、1954年に「社会比較理論」を提唱した。この理論によると、「人は他人と比較して自分自身の価値を決める傾向がある」そうな。
「上方比較」
自分より優れた人物と比較することで、ライバル心や憧れからモチベーションを高めたり、達成への思いがより一層強くなる。
がしかし、自分が他の人に匹敵できないと感じた場合、羨望(せんぼう)や嫉妬(しっと)に駆られて大きなストレスを引き起こしたり、不満や罪悪感、自己評価や自尊心の低下などにより不安やうつ病の原因になることがある。
最近大きな挫折や失敗をしたばかりの時は、上方比較は避けたほうが良いと言える。
「下方比較」
自己評価を高めるために、自分より下位の人と比較して自尊心を高め、幸福感を増大させようとする行動で、自分より能力の低い人に注目して自尊心を保つ
マウントを取る人は、下方比較をすることで自尊感情を保とうという心理状況になっている。
他人の失敗や不幸によって喜びや優越感を感じることがクセになると、いつまでも自分を変えられず、成長できなかったり、ソーシャルメディアで誹謗中傷を繰り返すなどの問題を起こす可能性がある。
上方比較、下方比較のどちらのタイプも自尊心を高めることができますが、長所と短所がある。
ポジティブな人は、どちらにしろ向上できるが、ネガティブな人は比較するだけで躁鬱状態よなる。
比較しないための法則
・良い、悪いの判断をしない。
・自分の強みを知る。
・自分自身と競争する。
・考え方、視点を変える。(多角的視野)
・成功体験をする。
・サークルや地域の団体に参加する。
・人生の目標を立てる。
いけばなを教えている意味がわかる人にはわかるだろう。多様性と対立性の間で思考することの面白さを。
#生花 #お稽古 #華道 #哲学 #質問をしたら誰かが答えてくれるタグ


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自分のタイプ以外に、他の人との相性も分析できるみたい笑
「最強の遊び仲間」「共依存カップル」などフィーリングタイプが分かるからやってみて😂
見た人ぜひマッチしてね!UUIDはこれ:
#見た人強制のつながる性格診断
予想通り


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自己や、自己をとりまく環境に関する意見・信念・行動などを「認知」と呼ぶが、認知的不協和理論では、その認知要素間に矛盾がある場合を不協和状態と呼ぶ。
不協和状態は、不快な緊張状態を生起させる。そこで、この状態を回避しようとして、認知的要素の一方を変化させたり、新たな要素を加えたりして、認知的不協和を低減させようとする。
その方法としては、例えば正当化認知を加えるといったことが考えられている。
有名な具体例としては、喫煙。
「タバコは肺がんの原因となる」という話を聞いても、簡単には喫煙をやめることができない。
そうした場合に、「たばこを吸っていても長生きの人はいる」「たばこよりも交通事故の方が死亡確率は高い」などといった反論を行うことで、喫煙行動を正当化し、認知要素間の矛盾、つまり不協和状態を緩和させようとする。
合理化
認知的不協和理論は、社会心理学の用語。臨床心理学の防衛機制における合理化と類似する概念。
人間は「思う」ことと、「行動する」こととの間に、多少なりとも矛盾が生じる場合が少なくない。そんなとき、認知を歪めることでそれを回避(防衛)しようとする傾向が強い。
合理化とは、努力しても手が届かない対象がある場合に、その対象を「価値がない」「低級で自分にふさわしくない」などとしてあきらめ、心の平安を得る方法のことで、フロイトの心理学において防衛機制の一例とされている。
得てして、これが自分都合の言い訳などに繋がり、結果、希死念慮・自殺念慮へ結びつく事が多い。逆にいうと自己防衛反応でもある。
結果死ねないし、生きる為の防衛本能が故に、理解してくれそうな他者に共感を得ようとする。
結果、わがままで他責思考なだけとも言える。
ではどうすれば良いか?
分割統治法を利用せよ。
分割統治法(Divide and Conquer)は、解決困難な大きな問題を、管理可能な小さな問題に分割し、それぞれの解を統合することで全体を解決する手法です。幅広い分野で使われる、効率的な問題解決の思考法です。
分割統治法の3つのステップ
分割 (Divide): 問題を小さなサブ問題に分割する。
統治 (Conquer): サブ問題を(通常は再帰的に)解く。小問題が十分小さければ直接解く。
統合 (Combine): サブ問題の解を組み合わせて、元の問題の解とする。
分割統治のメリット
複雑な問題を単純化し、解決の手順を明確にする。並列計算に適しており、大規模な計算を高速に処理できる。
この手法は、デカルトの「困難は分割せよ」という言葉に象徴されるように、複雑な課題に直面した際の基本的なアプローチ
病む事が多い人は一度、お試しあれ!
それでも解決しないのは、幼稚か知性が無いか、ただのわがままと言って良い。
僕は人の話を聞く時、仕事において、生け花において、常にこの方法を無意識に使っている事が最近わかった。
但し、言い訳や嘘、わがままな思考にも利用している気がする。倫理、心理的に他者が解析すれば、どうしてそういう思考になるのかわかると思う。
つまりは幸福論と個性に繋がるのである。


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1. 比較の動機:自己評価の欲求
人間には、自分の意見(考え方)が正しいか、自分の能力がどの程度であるかを正確に知りたいという根本的な欲求がある
• 客観的基準がある場合: 例えば「100メートルを何秒で走れるか」という時計の数値があれば、他者と比較する必要はない。
• 客観的基準がない場合: 「自分の考えは常識的か?」「自分は仕事ができる方か?」といった曖昧な評価については、他者と比較することでしか判断できない。
2. 比較対象の選択:類似性の仮説
人は自分と似たような立場や能力を持つ人(類似した他者)を比較対象として選ぶ傾向が強い。
• あまりにも自分とかけ離れた存在(例:初心者がプロのスポーツ選手)と比較しても、自分の現在地を測る正確な情報が得られない。
3. 比較の方向性
比較には2つの方向がある。
上昇志向の場合: 自分より優れた人と比べる
モチベーションの向上、向上心
下降思考の場合: 自尊心の維持、安心感の獲得
自分より劣っている(状況が悪い)人と比べる
4. 均一化への圧力
グループ内において、意見や能力に大きな差がある場合、メンバーはその差を埋めようとする心理的圧力を感じます。
いわゆるパワハラがこれに該当する。つまり能力が低いと認めることになる。
その結果以下の行動を取る。
• 自分の意見を周囲に合わせる(同調)。
• 周囲の意見を自分に合わせようと説得する。
• 自分と違いすぎる人をグループから排除しようとする。
現代における考察
フェスティンガーの比較理論は、なぜSNSで他人のキラキラした生活を見て落ち込んだり(上方比較)、逆に安心したり(下方比較)するのかという現代的な問題にも通じる、人間心理の核心を突いた理論です。
そして認知的不協和理論へ向かう。
この心理面を理解することで、他人を攻撃したり、揶揄したりしたくなるのは、致し方がないのが理解できる。
弱者で居続けるのか、それとも強者になりたいのか?全てその人次第である。思考を止めるな!考え続けろ。
個性自覚こそが幸福感への近道である。


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この言葉は、元々「去る者は追わず、来る者は拒まず」と言われていたものです。
このことわざは、「人が離れていこうとするときには無理に引き止めず、新しくやって来る人や物事は誰であろうと受け入れる」という態度を表しています。
特に人間関係において、相手の考えを尊重し、束縛しない寛大なスタンスを示す言葉として使われます。
📚 由来と関連表現
このことわざは、古代中国の戦国時代の思想家、孟子の逸話が由来となっています。孟子には多くの弟子がいましたが、彼が教えを説く際に、やって来る者は誰でも受け入れ、去っていく者は無理に引き止めなかったという話がもとになっています。
元々は師弟関係における心構えを表す言葉でしたが、現在ではより広い人間関係全般のあり方を示すものとして使われています。
類義語
清濁併せ呑む(せいだくあわせのむ):心が広く、良いことも悪いことも分け隔てなく受け入れる、度量の大きいことを指します。
💡 「来る者は拒まず、去る者は追わず」な人の特徴
この言葉のような態度を持つ人は、人間関係において以下のような特徴があるとされています。
・他者の意見を尊重し、寛大である。
・自身の意見を押し通すのではなく、周りの状況に応じて態度を柔軟に変えられる。
・人付き合いが上手いと見なされることが多いです。
お人好しだけではいけない。本来の「来る者は拒まず去る者は追わず」のCoreを持った“できた人間”にならなければならない。
とは言うものの、自分の意見を正当である、常識である。他人の意見を非常識だと断罪する人間を側においてはいけない。
常識など、解釈、状況が変化する事で、如何様にでも変動するのである。柔軟性の無い思考プロセスは必ず破綻する。そしてネガティヴな思考となり、天邪鬼となり、孤立し始めて、鬱が悪化する。
過去に感謝し、未来を広大に幸福の思想で思い描こうとすれば、明るい未来しか訪れないのに!
無知、無能な邪鬼とは絡むべからず。


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今の僕たちは、AIという「最強の猟犬」を連れて狩りに出ているようなもの。一歩も動かずに複数の獲物を追い詰められる時代に、古いルールがそぐわなくなってきている。
そこで格言を再構築しよう。
1. 二兎を追う者は、AIに一兎を任せよ
• 意味: 全てを自分で行う必要はない。片方をテクノロジーに委ねれば、両方を手にできる。
2. 多兎を追う者、網を広げて待つ
• 意味: 個別に追いかけるのではなく、仕組みを構築すれば、多くの成果が向こうから飛び込んでくる。
3. 百兎を追いて、一画を得る
• 意味: 情報を浴びるように得られる今、大量の選択肢に触れることで、自分だけの「一つの最適解(ビジョン)」が見えてくる。
4. 情報の海、二舟(ふたふね)で行けば難からず
• 意味: 自分の知能とAI、二つのエンジンを使い分けることで、荒波のような情報社会もスムーズに渡りきれる。
5. 二兎を追い、三兎を拾う
• 意味: 異なる分野を同時に追いかけることで、その「掛け合わせ」から予想もしなかった三つ目の価値が生まれる。
6. 賢者は多兎を、愚者は孤兎を
• 意味: 変化の激しい時代、一つに固執するのはリスク。AIを駆使して広く網を張る者こそが生き残る。
7. 千里の道も、AIで一飛び
• 意味: 知識習得のプロセスが劇的に短縮されたため、かつての「一歩ずつ」の常識はもはや通用しない。
8. 追わぬ兎も、プロンプト一つで手元に
• 意味: 必死に追いかけ回さなくても、適切な問い(指示)さえ投げれば、必要な成果は向こうからやってくる。
9. 二兎得て、ようやく一人前
• 意味: 効率化が進んだ現代では、一つの専門性だけでは足りない。二つ以上の領域を制覇して初めて価値が出る。
10. 全兎を追う者に、AIは翼を授ける
• 意味: 欲張りに全てを求める情熱がある者にこそ、AIという加速装置は最大の恩恵をもたらす。
昔は「集中」が美徳だったが、今は「分散」と「統合」がセットになっています。一頭を追う間に、隣の山まで見渡せるのが現代。
やっぱり分散と再構築という概念は僕の生きる理念になりそうだ。


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自画自賛だけど素晴らしい👍
最近特に使う言葉、
分解と再構築
これこそがこれからの革新であるとAIに気づかされ、再認識している。
未知な部分、無知な部分は、AIが補助してくれると、限界突破が見えてくる。
分解とはどの内容を並列化した為に、見えなかったのか?に気づけるかだ!
例えば、
曲がるを分解し、細分化してみる。
右に曲がると、左に曲がるでは違うのだ。
何が違うのか?景色も違えば、右利きの人と左利きの人でイメージも違うのだ。
そこから考えると[曲がる]には色々な曲がるが存在する。行動以上に何かが違うのである。
そこで出てくる違いを認識することで、右に曲がる、と左に曲がるしか使えなくなってくる。
曲がると曲げるの違いに疑問が続く・・・・
そして、疑問に思える思考力こそが、分解という業を磨いてくれる。
疑問に思える思考力
無意味なモノは何もない。
他人の不満が別の気づきへ導いてくれる。
そしてもっと見えない世界が見てみたい。
思考の迷宮こそ人生の楽しみ
だが、ゴールが見えそうだから楽しいのだけれどね。


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実効するかどうかで、非常識的になる可能性が発生するのであって、思考することのにより最良の結果が良識に生まれ変わる。
哲学者と常識・非常識の関連
常識を疑う(批判・懐疑): 哲学者(特に近代哲学)は、無批判に受け入れられている常識(コモン・センス)を疑い、真理を探求する。
常識からの出発: イギリスの哲学者ティモシー・ウィリアムソンは、哲学も常識から出発するほかないと主張し、常識の存在を重要視した。
常識学派(トマス・リード): スコットランド常識学派は、ヒュームの懐疑論に対抗し、正当な知識の根拠を常識に求めた。
良識と常識(三木清): 三木清は、常識を無謬として断罪する「常識人」に対し、常識に疑問を持てる知恵を「良識」として区別した。
ソクラテスと非常識: ソクラテスは当時のアテナの人々の「知っているつもり」を問い崩し、常識的には「非常識」な行動で知を体現した。
常識の定義と哲学的視点
社会的な共有認識: 常識は特定の社会で共有され、無批判に前提とされる知識。
真理との相違: 常識は時として普遍的な「真理」とは異なり、時代や社会に限定された「偏見」になり得る。
哲学的転回: 西田幾多郎のように、日常の川の流れる向きすら「川ではない(疎水分線)」と見直すような「常識の非常識」へのアプローチが哲学には重要となる。
つまり、常識を押し付けてくる人は、考える人からすると偏見であり、差別行動である。決め付けと捉えるか、仮定と捉えるかはその人に任せるが、発言した時点で偏見となる。
知見を分からない人間は無知、パターナル、不寛容、保守、規律的な可能性が物凄く高い。
これが常識だよね。という発言をいう人間を、自分の周りにおいてはいけない。リベラルで多様な考えを根底から壊す人間だからだ。
もし人間が全て常識的な発言、行動だけをするのであれば、争い事は起きない。また性善説、性悪説の議論になってしまう。
負の連鎖は、自分の思考法に問題がある。思考法を変えない限り、変化起きない。気付けない人は不幸が自覚できず、消えていくだろう。気付けても、思考法を変えない限り、同じループの中を回るだけだ。(これが鬱状態である。)
永遠にいうが、無意味の意味がわからなければ、一生分かり合えない。これが鬱状態を脱出できる最良の方法なのに。


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「絶望の哲学者」と呼ばれるショーペンハウアーの幸福論の要点
1. 幸福の本質=「苦痛の不在」
ショーペンハウアーは、人生は本質的に欲望と退屈のあいだを揺れ動く振り子のようなものであり、「幸福」とはポジティブな快楽ではなく、苦痛や退屈がない状態(=ネガティブな満足)であると説きました。
欲望がある限り、人は苦しむ。
欲望が満たされると、退屈に襲われる。
したがって、幸福の追求は「何を得るか」ではなく「何を諦めるか(欲を最小化するか)」が重要となります。
2. 「何を持っているか」より「何者であるか」
幸せの大部分は、外部環境(財産、地位、他人の評価)ではなく、自分自身の内面によって決まると強調しました。
人格 :重要な要素。
財産や地位:幸福への影響は限定的。
他人の評価:それほど重要ではない。
自分を他人と比較して評価を気にすることは、不幸の元凶。
3. 健康が幸福の90%
「健康な物乞いの方が、病気の王様より幸せだ」という言葉に代表されるように、身体的・精神的な健康こそが、幸福の基礎であると断言しました。
4. 孤独を愛する(精神的豊かさ)
「独りでいるのが好きになれない人間は、自由であることも好きではない」と述べ、精神的な財産を持っている人(孤独を賢明に楽しむことができる人)が、最も幸福であると主張しました。
5. 幸福のヒント(主な教訓)
「あきらめ」の用意:高望みをせず、現状から不幸を取り除くことを目指す。
現実を見つめる:過去を後悔せず、未来を恐れず、現在を生きる。
他人の期待を捨てる:他人の目は、自分自身の真の幸福とは無関係。
まとめ
現代社会のような「もっともっと」という欲望の追求を否定し、「自分自身が持つもの(内面・健康)」に満足を見出し、欲望や期待を減らすことで、心の平穏を得る方法を自分なりに思考しよう。


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「綺麗」は外見や清潔さ(「片付いている」「汚れがない」)など表面的な美しさを表し、
「美しい」は感動を伴う内面的・深みのある美しさや感動を指す(夕日や心根など)という違いがある。
綺麗(形容動詞)
特徴: 表面的な美しさ、きらびやかさ。
意味合い: 清潔・整頓されている(汚くない)。
対象: 人の顔立ち、部屋、景色、色彩など幅広く日常会話で使う。
美しい(形容詞)
特徴: 内面的・芸術的・感動的な美しさ。
意味合い: 心が奪われる、調和がとれている。
対象: 景色、芸術作品、心、精神、凜とした人など、より深い美。
「美しい」の反対語は「醜い」、「きれい」の 反対語は「汚い」と答えるところを見ると、「美 しい」と「きれい」は違った言葉であると認識し ていることがわかる。
ここに「かわいい」という概念を加えると、日本人はかなりあやふやな認知をし始めている気がする。
しっかり使い分けて考えると、感慨深い。


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幸福は自分の中に擦り込まれた価値観によって左右する。思考し続け、不幸でない事を自分の中で刷り込む事が出来れば幸福に近づく。
誰かの思想と同等でないと幸福を感じれないのであれば、自分の思想を疑え。
考え続ける事が1番の近道だ。


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マニアという言葉は一般に普及しているが、愛の種類におけるマニアとは意味合いが異なるらしい。
マニアは熱狂的かつ偏執的な愛とのこと。マニアにとらわれている間は情緒が安定せず、恋愛の楽しい感覚と苦しい感覚が交互に訪れるとされています。
また、独占欲が強く嫉妬深くなるため、恋人からの愛情をいつも確認できないと不安を感じるでしょう。
マニアを抱いている人同士が恋に落ちると、お互いに依存するなど不健全な関係になる場合もあります。
現代の恋人同士はこの愛に陥ってる事が多いのだろう。相手の愛がどの系統に属しているのか理解していないと、依存、執着、嫉妬に陥る。



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ルダスとは遊びの愛を指し、恋愛の駆け引きをゲームのように楽しみます。
例えば、相手を次々乗り換えたり同時進行で複数の人と付き合ったり。そのために相手をだますこともあります。
ルダスでは「恋愛は楽しむもの」と考えるので、「自由に過ごしたい」「束縛されたくない」といったスタンスが特徴です。また、特定の相手に執着しないため、嫉妬や独占欲を示すことはあまりないでしょう。
世にいう「都合の良い関係」はルダスの上に成り立っているのかもしれませんね。
一応これも愛の形なのだと理解はしておく必要はあるのだろう。
ルダス状態は、おそらく都合の良い材料がないと、その状態にはなれない。もし、その状態を望むのであれば、人として低調か知性が足りてないか?傲慢という文字がチラつくかも知れない。
そういう愛には巡り会いたくないね。



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友人に対して抱く愛情で、「友愛」「友情」と訳されることが多いです。
プラトンの弟子であるアリストテレスは、「幸福であるためにはお互いを思い合うことが必要であり、そうした愛情がフィリアである」と論じているみたい。
フィリアには3つの種類があり、それが「有用性」「快楽」「善」とのこと
有用性のフィリアはその名の通り、利害関係にある相手に対する親愛の情で、仕事仲間や店と顧客の関係がこれにあたります。
快楽のフィリアは、一緒にいて楽しい相手に対する愛情です。
趣味仲間や飲み仲間などは、楽しいひと時を共有するために集まりますよね。
善のフィリアは、相手の人格を尊重するもので、真の友情と言っていいでしょう。
利益や快楽を必要としないだけに、「善のフィリアを育めるのは善人だけで、悪人は興味を示さないだろう」と、アリストテレスは説いているんだね。
自分の愛は、自分が思う相手の愛は、何処に属するのでしょう?それを分析してみよう。
有用性の愛は崩れやすく脆く。快楽的な愛は燃えやすく、鎮火しやすい。善の愛は見分けがつきにくく、受諾出来るまでに時間がかかる。
段階的にステップアップしていき享受していく為には、理解しておく方が良い。
愛は、積み上げるのに時間をかけるべきだ。
それが出来ない人間は必ず失敗する。


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改善の余地があることを期待できない人が嫌いだ。
心の余裕が無い人ほど、ジコ虫であることがおおい。


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愛するとはまた、自分と似たようなものを探したり、嗅ぎ分けたりすることでもないし、自分を好む者を好んで受け入れることでもない。
愛するとは、自分とは全く正反対に生きている者を、その状態のままに喜ぶことだ。自分とは逆の感性を持っている人をも、その感性のままに喜ぶことだ。
愛を使って二人のちがいを埋めたり、どちらかを引っ込めさせるのではなく、両者のちがいのままに喜ぶのが愛することなのだ。
by ニーチェ
他人を愛するよりも自分をもっと愛せよ!その溢れた愛で他人に優しさを与えよ。


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時にはいいでしょう。だがしかし、大きく大胆な世界を作ってあげたい。より貪欲に、より美しくよりアバンギャルドな世界を目指してもらいたいなー!


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松岡正剛による『フラジャイル:弱さからの出発』は、「弱さ」を「強さの欠如」ではなく、それ自体が持つ力や魅力として捉え直すことを試みると伝えている。
薄弱、断片、曖昧さといった「フラジャイル(脆い)」な感覚に光を当て、弱さの中に潜む創造性や抵抗力、そして人間が惹かれる脆さの根源を探求してみませんか?
織部の器、金継ぎの器
ひょうげているモノに、日本人は価値を見出している。
人も同じではないか?
この価値に触れてもらいたい。
鬱、脆弱、非社会性などなど、ここに価値を見出すことが出来れば、生きることはとても面白い個性へと解釈が変わると信じている。
それは一人一人の信念による。
君は神の宿る器よりも、歪な唯一の器であってもらいたい。


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若かりしオッチョに年老いた僧侶が言うかっこいい言葉「強いとは弱さを知ること。弱さとは臆病であること。臆病とは大事なものを持っているということ。大事なものを持っているということは強いということ。。」
弱さと見つめ合うことで、見えてくる世界があるんだわ。
わかんない人にはわからない。
必ずぶつかる壁をどう乗り越えるかは、避けている自分とどう向き合うかが重要
届いて欲しいなこの気持ち


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とっても難しい。
自分の都合の良い部分だけを並べて合理化しない。
常に命題と対偶の関係性を抑えておけば、傷つくことも無い。
表裏一体 自問自答 自問自答 自問自答


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だから今使う言葉、やってることを今以上を未来に対してより良い表現を心がけよう。
それが財産になる。未来の自分よ。
もっと幸せになれ!と自問自答


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何故美しさを求めるのか?
何故思考を巡らせてしまうのか?
それは自分が自分に自信を持たせつために続けている事だ。
侘び寂び、フラジャイルな感覚これを追求していくと、着飾るラインは、どのくらいがいいのか?
ド派手な物事は何のために必要なのか?断捨離から考える、その裏の関係性も考える必要がある。
常に時間があれば
「自問自答」「自問自答」「自問自答」
思考の迷宮は自分を磨いてくれる。


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魅力的なグラビティの友達は増えていくのに
自分の魅力が磨かれていない気がする。
圧倒的なカルチャーショックを受ける様なモノ、コトに出会ってない。
何に触れるとエネルギーは沸るのだろうか?
圧倒的なヘンテコな奇跡に遭遇したい。
興奮が止まらない出来事が良いのかもしれない。
美味しい何かを探すしかないかな?


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さー冬だ!鍋だ。


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冒険は、過酷な障害もあるが、何かの光が見えたとき、ものすごい多幸感へいけるだろう。
冒険の先には必ず光はあると信じることであーる。


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季節を感じる作品は落ち着くね


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小さい子ががわいくって仕方がない。


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変えられるモノがあると思って、私は他人と関わっている。そのために、花を生け続けている。
表現することで、誰かの心に留まり、何かのきっかけになり、変化をもたらせると信じている。
誰かの心に届くと願いながら生け続けるのである。
無意味なことに意味を宿す力は誰にでもあるとの願いの表現をなのであーる。


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いきる、いかす、うまれる。
心を整えてさえすれば
健全な魂は、健全な体に宿る。
自分を信じる心が育てば、恐怖、憎悪、狂気に打ち勝つ、幸福、希望、勇気が溢れてくるでしょう。


PIKKO ピッコー
それでも信じる事ができればいつか伝わると思う。
死ぬまで、遠回りでも、必ず伝わると思い続ける。
これができない人が多すぎる。
愛って軽く思えて、重い思いである事をどうか再認識して欲しい。
このオモイが伝わらない人は必ず、袂を離れることになるが、それでも信じています。


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本当リトマス君は鍛えるのに素晴らしい逸材
もっともっと僕を驚かせてもらいたいね。
スパルタ指導で仕上げていきます。


PIKKO ピッコー
やっぱ男の子って面白い🤣


PIKKO ピッコー
これは思考の哲学である。
関係性、必然性、意外性などなど、つど何かを思考している。
モダニズム、ミニマリズムから立体キュビズムへの挑戦である。
これは念能力と同じ世界なのかもしれない。
#生花


PIKKO ピッコー
実物の方が良いときあるんだよね。
写真はむずいよね。


PIKKO ピッコー
足るを知ることを実感するとは、今の自分を知り、限界を知り、それ以上の高望みをしない、ということ。
満足することを知っている者は(精神的に)豊かな人間であり、努力を続ける者は、それ自体がその人の持つ志や目的を成し遂げている。
仮定と推測に実体験を重ね、経験を経て、重みを知る。百聞は一見にしかず。


PIKKO ピッコー
先にお題を決めるとその枠の中で最大限の結果を考えることになる。自由がわからなければ、制限の中でいかに自由を思考できるか。
今、制限の中で最大の結果を出せているのか?
それが限界か?
もし最大限を表現、思考できるのなら、思考方法は間違っていない。別の制限をかけてみよう。
だんだん、思考のパターンがあらわのなるだろう。長所と短所が明確に分かれば、自由という制限の世界線でも最大限の能力を発揮できるだろう。
どんなことにも応用が効く。
これが基礎の意味だ。


PIKKO ピッコー
さーこれがどのくらい続くでしょうか?
表現の幅がここからは大事だね。
それにしてもよく勉強している。ピッコの一言一言を忠実に考えてるからここに来るんだろうね。


PIKKO ピッコー
要素をできるだけ少なく、伝わる印象に誤認識させない様に美しく。


PIKKO ピッコー


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PIKKO ピッコー
型にはまらない形をどう作るのか?
個性をどう出すか?表現の手段を色々増やそう。
アイディアの中からその時最高の選択を選ぼう!
それが個性となることもある。


PIKKO ピッコー


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PIKKO ピッコー
弱さはできるだけ弱く、強さはできるだけ強く!
均質なバランスよりも、強弱のメリハリのある
世界が、プロの世界
複雑なメッセージほど、3に絞ることで「わかる・覚える・伝わる」に変わる。シンプルこそ、強い武器です。
これは何にでも応用が効く。
華道、マーケティング、プレゼンテーションなど


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