生きていく気持ちがあるのか?体が思うように動かない辛いというのはわかるけれどそれを改善するための医師からのアドバイスに対して行動しようとしない母親に腹が立ってしまう覚悟をと宣告を受けている私たちはただ彼女の希望を叶えるだけでいいのだろうか本人は余命宣告についてまだ知らない察してるかもだけど
母の病気の治療後のことでわからないことがありAIに頼ってまとめたものを父に送ると、わかりやすいと感謝されたAI活用したんだーというとAIか、進んでいるね。でもそうやって伝えてくれたのは〇〇(わたしの名前)だよありがとうだって。父はとても素敵な言葉をくれるひとだわたしはこんな両親のもと育ってた幸せ者なんだと今更になって気がつくなにしてんだほんと
いずれいつか死は訪れるただ早すぎる本人もまわりも覚悟できていないそりゃいちばん苦しみのなかにいるのは母本人なのは重々承知であるドッキリでしたーなんて笑い飛ばせたらいいのにね今はただただ、彼女がまだ生きていたいよというきもちを持っているのであればそれを叶えてほしいなもー、10年先でも短いわあと30年位は生きてもらわなきゃねもちろんどれだけ生きていたって後悔は付きまとうんだろうけどさおねがいしますよ
自分の長所を生かして自分で仕事をしていた。実はすごくすごく子供の頃からそんな母のことが誇らしかった。私にはなにもないなんて言うけれど私からしたら全部持ってるじゃないかと腹が立たしかった。彼女はうれしいもかなしいも悔しいも怒りもなんでも感情がすぐに出る。可愛らしい人だ。わたしは大人しくて起伏がなく感情が表に出ないからいや出さないようにしてるだけでただクールぶって素直じゃない。正反対の性格でピュアな少女のような母が愛らしくもあり憎たらしかった。彼女の姿に憧れていたんだな。こういうこと今なら素直に話せるだろうか。
わたしは毒親育ちだと生い立ちを嘆いていた。普通とは、を説かれ敷かれたレールに沿う母が嫌うことをしないように生きてきた。確かにそれは事実。だけど母のせいにしてるだけで選んできたのはわたしだ。しかも苦しいこと、嫌なことばかりだったわけではない。むしろ愛情をたくさん受けている。干渉や叱責も愛ゆえ厳しくされて不自由もあったけど好きなことはさせてもらえていたし欲しいものは手にして甘やかされて育ってきたなとも思う。私が親だったら、果たしてこんなふうに子供にしてあげられるのだろうかとふと考えたりもする。母って愛の人なのだ。大切な人を大切にするただその一心で我が子に全力投球だった。それがわたしには苦しくて距離をとって自立したと思いこんでいたけれど傷つけてしまってたなぁ。