己自信が人として生きる道を定めてその信条を護り、常日頃から感謝の気持ちを持ち、己を律して他者を慮り、思慮深く人として生きていくこと。即ち、人としての器が大きくなるから、大人と言える。これが出来て初めて大人と言える。自己の責任を負うのは生きてて最低限のことであり当たり前の事、その程度では大人とは言えない。浅はかな回答也。
自分の道を指し示してくれたこと、御縁があったこと、恋い焦がれた人が幸せになることを祈りつつ、新たに足を踏み出すために己を磨きあげる。どのようなことがあっても心乱されぬ様に、己の精神、肉体の鍛練を日々行う。
結局人の資質次第。己を修められないからパワハラになる。する人は人として未熟される人は自分に付け入る隙を与えてるからされる。それもまた己の未熟さゆえ。そもそも、関係性次第によって、パワハラかどうかも変わってくる。信頼関係成り立ってて、冗談を言い合える仲ならば、滅多な事がない限りパワハラにならず。信頼関係を構築せずして、不用意に相手を不快にする事を口にするからパワハラになる。結局、人それぞれの道徳的資質に依る。
去年は色々有りすぎて、本当に苦しかった。今年もまた、一年、日々を生きられることに感謝し、初詣の写真を見て苦境を乗り越えられる精神力の鍛練をしよう。今は苦しくても、必ず後から、良いことがあるはず!そう信じて生きることにした。