引用ですが…「自分を大切にしよう」と言われると、多くの人はこう考える。優しくすること。無理をしないこと。自分を責めないこと。でも実は、人が自分を雑に扱ってしまう本当の理由は、“自分を嫌っているから”ではない。自分を「モノ」として扱っているからだ。人は、モノに対してはこう振る舞う。・壊れるまで使う・代替がきく前提で扱う・調子が悪いと「使えない」と判断するそして不思議なことに、多くの人は自分自身にもまったく同じ態度を取っている。疲れているのに動かす。限界なのに成果を出させる。うまくいかなければ「役に立たない」と切り捨てる。これは自己嫌悪ではない。自己の“物品化”だ。本来、人は「存在」だ。存在は、役に立たなくても、結果を出さなくても、そこにあるだけで成立している。でもいつからか私たちは、自分を「性能」で評価する存在になった。・稼げるか・愛されるか・理解されるか・期待に応えられるかこの瞬間、自分は「人」ではなく「機能」になる。だから休めない。だから壊れても気づかない。だから「まだいける」と自分を酷使する。ここで重要な逆説がある。自分を大切に扱える人は、自分を信頼している人ではない。自分を“管理できない存在”だと理解している人だ。感情は制御できない。体調は予測できない。集中力も意志も、思うほど言うことを聞かない。この事実を認めた人だけが、「ちゃんと扱わなければならない存在」として自分を見るようになる。たとえば、超精密で壊れやすい機械を想像してほしい。それを雑に扱うだろうか?無理な使い方をするだろうか?不調を無視して動かすだろうか?しない。なぜなら制御不能で、壊れやすいと分かっているから。自分を大切に扱うとは、自分を「信用すること」ではない。自分を“危うい存在だと正確に理解すること”だ。もう一つ、決定的な視点がある。人が自分を雑に扱う最大の理由は、「自分は最後に回してもいい」と思っているからだ。仕事が終わってから。誰かを優先したあとで。余裕ができたら。でも、ここに論理的な破綻がある。“自分を後回しにしてうまくいった人生”は存在しない。自分を削って作った成果は、必ず自分を削る形で回収される。人間関係で。健康で。感情の歪みで。自分を大切に扱うとは、「甘やかす」ことでも「わがままになる」ことでもない。“自分をコストとして扱わない”と決めることだ。消費する資源ではなく、運用すべき存在として自分を見る。・今日は使いすぎた・この判断は負荷が高い・今は回復が必要こうした視点を持つだけで、行動は静かに変わり始める。最後に、一番大事なことを言う。自分を大切に扱えない人は、優しくないのではない。強すぎる。我慢できてしまう。耐えられてしまう。無理が通ってしまう。だからこそ、自分を壊せてしまう。自分を大切に扱うとは、「弱くなること」ではない。自分が壊れる存在だと、ちゃんと理解することだ。それができたとき、初めて自分は“使うもの”から“生きる存在”に戻る。