自分の感覚が本当にわからなくて、何かが足りないとき、お腹がすいているのか喉が渇いているのか口寂しいのかもわからないし、脚が痛いとき、どこがどんなふうに痛いのかもわからないときがある。説明能力以前に本当に自分でもわからない、掴めない。体の感覚でさえ明瞭じゃないのに心なんてわかるわけがない
この詞すごく好き 人肌で一時的に安心できたって結局人は本質的に孤独で、こうやって哲学的みたいなツラして言葉でこねくり回した苦しみだって結局脳内物質とか薬とか化学に還元されて、じゃあこの心の苦しみは、寂しさは、いったいどうやって、どこに、いくんですか。と思う