
ごんぞう?🤤
Always Lunch OK🥰❤️❤️✨
ランチ
ごんぞうとランチ

ごんぞう?🤤
まずは自分が相手を理解しようとしないといけない。
相手がどのような人か理解できていないなら、
どうすれば相手に自分を理解して貰えるかわかるはずがない。
それをしないで自分を理解してと言うのは、
極論、駅前で不特定多数の人間にスピーカーで「私を理解して下さい」と叫んでるのと大差ない。

ごんぞう?🤤

ごんぞう?🤤
歳を重ねて強くなったと思っても、気持ちの誤魔化し方が少し上手くなっただけで、本質はずっと変わらないまま。

ごんぞう?🤤
あなたの心の弱さをわかって、補える心のあたたかさを持ちたい。
あなたの辛さをわかって、
心の歪みをわかって、
あなたに連れ添い歩みたい。
その気持ちがちゃんと伝わるように。
言葉がもっとうまくなったらいいのに。

ごんぞう?🤤
『人に頼らないこと』
「強さとは?」
『人に頼れること』
「強さとは?」
『孤独を恐れないこと』
「強さとは?」
『孤独にならずにいられること』

ごんぞう?🤤


ごんぞう?🤤
だから、大きなことを変えるには、一見バカみたいなスケールのことを想像しないといけないんじゃないかな。
バカみたいなことをバカみたいに信じて、バカみたいにやり続けられるやつが、大きなことを成し遂げられるんだろうな。

ごんぞう?🤤

ごんぞう?🤤

ごんぞう?🤤
意味はあるのかい?
ふわりふわりと花が散る
意味はないと知っている
ふわりふわり
うたた寝する横顔
ふわりふわり
地に足つかぬ思考
愛おしくて憎い
ふわりふわりと
風に吹かれ漂うように
そのすべてに意味がない
だからこそその手で
掬い上げ組み上げて
ふわりふわり
漂うこの心に
釘を打って
鎖を繋いで
錠をかけて
意味のないこのこころに
さぁ、終点だよ

ごんぞう?🤤
得る楽しみから、与える楽しみに。
自分の実感としても、それが自然な変化なのかなと。
若いうちは欲しいもの、なりたいもの、やりたい事どれもこれも欲しくて。
歳を重ねると、自分が得てきたものや経験や想いを誰かに受け取ってもらいたくなる。
そう思うと、お婆ちゃんがやたらご飯やお菓子を食べさせたくなる原理がわかった気がした、そんな日曜の朝でした☀️

ごんぞう?🤤
「何が?」
「わからないけど、きっと大丈夫」
「へんなの」
「そう?」
「わからないけど、大丈夫って」
「へんかな?」
「わからないなら、大丈夫かわからないじゃないじゃん」
「うん」
「でしょ」
「でも」
「?」
「大丈夫って言ってほしいから」

ごんぞう?🤤
カップ用のソーサーではないけど同じ作家さんのものだから、合わせてみた。
越前焼は釉薬を使わないのが特徴のようで、土本来の素朴な温かみを感じます。
ガラスや磁器にない口当たりの柔らかさがあり、保温性もあるので温かい飲み物を飲むのに適してると思う。
器は高温で焼き締めた方がテカリのないマットな色味になるようで、ガス窯より薪の窯の方が高温で焼き上げられるらしい。
焼きむらがでるので、器を2度焼いているそうだが、それが越前焼の焼き方なのかこの作家の個性なのかはわからなかった。
少しづつ、器のことも学べたらな。
ということで、今日教わったことを投稿してみました.


ごんぞう?🤤
仕事
うふふ
仕事

ごんぞう?🤤
有名な老師の格言で
飢えてる人に魚を与えるか、釣りの仕方を教えるか
情報に溢れた現在で、調べればあらゆる事の答えが出てくる。
懇切丁寧な答えの解説も、調べれば調べるほど。
釣りの仕方を覚えなくても、望めば嫌というほど魚が降ってくる。
ただただ降ってくる魚を貪るばかりで、釣りの仕方はおろか、生きるということに思いを馳せることもなくなる。
答えを知っていることよりも、答えを考える力を鍛える方が大切なんだ。
だから、自分の中にある思いや経験を掘り起こして、考えたいなって思う。
そんなことをぼんやり考えてたら、そういえばマギーもそんなこといってたなぁ、とぼんやり思い出した。


ごんぞう?🤤
性格や個性も千差万別で、
似た人はいても同じ人はいない。
同じその人でも今日のその人と昨日のその人は少し、時には全然違ってたりする。
人と人との関係性も、
いよんな利害や背景が重なり合って成り立ってる。
人と人との関係性は良いことばかりでないのはしかたないよね。
自分にとって好ましくないものと向き合うことも、好きなものと向き合うことと同じくらい、時にはそれ以上に大切なことなのかもしれない。

ごんぞう?🤤
なぜいつも、こころとあたまと正反対に向かうんだろう。
こころがわたしなのか、あたまがわたしなのか。
そもそも、わたしってなんなのだろうか。
あたまのいうことをきいても、心の声をきいても、いつも何かが足りなくて。
心のない言葉も、理性のない叫びも、私であって、私でない。
だから結局、本当の私なんて、ひとつでくくれない。
傷つけて壊したい気持ちも
大切に守りたい気持ちも
どっちも嘘で、どっちも本当。

ごんぞう?🤤
自分ですら、自分の全てを理解してるわけじゃないから。
いつだって、誰だって、自分には見ることのできない一面があると思う。
誰かを理解して好きになるとしても、どこまでいっても全てではなく一部に過ぎない。
それが過半数を超えるのか、それともほんの一部に過ぎないのか、それすらわかることなく。
だから、きっとその人の一部を切り取って好きにるのでいいし、それで十分だし、それでいい。
見せたい部分だけみせて、本当の私を理解なんてして欲しくない。
怖いのは、見せていない余白に、他人の自分勝手な理想を投影すること。
見えない余白は見えない余白のままに。あなたの都合のいい理想を投射するスクリーンじゃない。

ごんぞう?🤤
それがいやなら、沢山のものを抱えられるよあになるか、抱えるもの自体を減らすしかない。

ごんぞう?🤤
実利のための実利でなく、
理想のための実利でなくては。

ごんぞう?🤤
否定されたり、
時には好感を持たれることも怖いかも知れない。
でも、
言葉にすることで自分を知れることもある。
自分の言葉に返ってきた言葉で、
知らなかった自分に気づくこともある。
不恰好でも、優れていなくても、美しくなくてもいい。
自分の心を自分の言葉で表現すること。
それはとても大切なことだと思う。

ごんぞう?🤤
辛さや不安を感じなくなる気持ちになってしまうことの方が怖い。

ごんぞう?🤤
深く傷つけられた傷痕が、あなたのものである証拠。

ごんぞう?🤤
無理だと決めつけるのは思い込みにすぎないことが、たぶんきっと、自分が思ってるよりずっと多い。
たぶん、本当は大体のことに対処できるだけの答えは、今までたくさんの人達から少しづつ受け取っているんだと思う。
あとはただ、そのことに自信を持つこと。
きっとね。

ごんぞう?🤤
コーヒー飲んだし、がんばりますか☕️


ごんぞう?🤤
でも絶対食べ切れないから一緒にごんぞうラーメン食べてくれる人いませんか?🥺

ごんぞう?🤤
今更ながら、写真を供養させて頂きます🙏



ごんぞう?🤤


ごんぞう?🤤
今年はティラミスプリンを作りました🍮


ごんぞう?🤤
強くなりながら、心の繊細さを研ぎ澄ませることもきっとできる。
はず。

ごんぞう?🤤


ごんぞう?🤤


ごんぞう?🤤


ごんぞう?🤤


ごんぞう?🤤
かわいくてわふわふしております☺️


ごんぞう?🤤
今年ももう残り2ヶ月を切りましたね。
年を重ねるたびに、一年か早く感じて。
一年という時間の重みを軽く感じるけど。
でも、思い返してみれば、毎年必ず大きな変化がある。
思ってもないようなことが起きる。
環境も変われば、人の縁も。
ずっと切れない縁と思ってた人と、簡単に縁が途切れてしまったり。
自分が変わらなくても、周りが変わっていくこともある。
考え方も、できることも、心と体の状態も。
変化は嫌いじゃない。
むしろ変わらないでいることの方が苦痛だけど。
それでも変わらないでいて欲しいものもある。
もっと強く。変わらないでいる為には、変わらないといけないこともある。

ごんぞう?🤤
たくさんの人にそんなモノを理解してもらう必要なんてない。
都合のいいことも悪いことも含めて理解してくれる人なんて、きっと何人も要らない。
自分の都合の良い側面だけで多くの人と関わることは、不誠実なのか?
きっと、そんなことはない。
あなたが笑顔でいれば、私も笑顔でいられるのなら、本当の自分にこだわる必要なんてないよね?
そもそも、本当の自分なんてもの自体が、掴みようのない曖昧なものなのだから。

ごんぞう?🤤
人をまとめる人に必要な要素はいくつもあると思うけど、様々な個性を持った人を受け入れる度量の広さは、特に重要な要素だと思う。
一人一人の個性を深く理解はしなくても、とりあえずどんな食材でも乗せられる、器のように。
人を選り好みし、排他的に取捨選択するような人物は、本当の意味でのトップにはなり得ないと思う。
でも、一見すると大きくても、少ししか食べ物をのせられない器もある。
でも、そういう器の方が見栄えがいい、というのも人に通じるなと感じる。

ごんぞう?🤤

ごんぞう?🤤


ごんぞう?🤤
自分が人としてありたい人物像が乖離してるなと思う。
何かに似てるなって思ったけど、
ファッションでよくある『好きな服と似合う服は違う』みたいだなって。
なりたい自分となれる自分は違う。
伸び代に賭けれる若さがあれば『なれる自分』をかえりみずに『なりたい自分』だけ見てればいい。
というのも事実と思う反面、大人になったことを盾に『目指すべきものに近づく努力』辛から目を背けているだけだなと思う。
助けてくれる誰かを請うことより、自分の足で地に立って歩く。
両手に抱えられるものは少ないけど、せめて抱えたものを取りこぼさない程度に強くなること。

ごんぞう?🤤
#ごんぞうクッキング


ごんぞう?🤤
よくいう「おふくろの味」。
家族じゃなければなんてことない平凡な料理でも、その人にとっては家族の思い出の詰まった味で特別な意味を持つ。
自然と、感じる「美味しさ」も変わってくる。
「食べる」が行為をさすなら、
「食事」は「食べる」を取り巻く環境や思い入れなど様々な要素を含む「場」。
過度に緊張した状態ではどんなに美味しい料理も十分に味わえないだろう。
でも、それって「美味しい」だけの話じゃないよね。

ごんぞう?🤤
最近、かつての吉村家の修行の動画見てから家系ラーメン熱が高まってたので、近所の気になってた六角家系の家系ラーメンを食べたのだけど。
残してしまった...。
最初の1/3くらいまでは最強に美味しかったのだけれど、い、胃もたれが😭
家系ラーメンが標準でも辛い体になってしまった...。
味濃いめにも、油多めにもしてないのに😭

ごんぞう?🤤
人はみんな消えていく。
長いか、短いか。
それだけの違い。
人はみんな消えていく。
いつ生まれ、いつ消えたのか。
誰も覚えていない。
人はみんな消えていく。
100年経てば、君も僕も。
いつかみんな。
消えてなくなって。
誰からも忘れられて。
それまでの、ほんの少しの間。
私の心にあなたがいて、あなたの心に私がいる。
花弁が散るまでの間、咲く花のように。
ただ、その瞬のために。

ごんぞう?🤤
