
あき
ビール、珈琲、人の心
海外行けないので東京旅行中
旅行
英会話‥頑張りたい
料理できるようになりたい

あき
あきさん
ここぞって時に頼れる人いますか?
と聞かれて
私は自分のことは自分でしますと答えましたが、ふとふりかえってみると多くの人に手助けしてもらったな…と
私の道は決して私1人の歩みではありません
頼ろうと思ったことはありませんが手助けをいただいています



あき
夕食の1杯やるかと思ったらポツンと佇む喫茶店がありました
トーストを頼んだらマジックソルトとりんごジャムが添えてありました
どちらも美味しい
そういえばここは来たことあるかと思ったら
「初めてじゃないですよね」
「トーストに塩を添えてあるのを見て来たことあるなと思いました」
「思い出してくれてありがとうございます」
ビールより身体が温まった気がします




あき
東京に来てご飯にシチューをかけるのを見てびっくりしましたが、今ではふつーになりました
統計では大阪でも1/3くらいはご飯にかけるのか、見たことなかったな



あき
かつては営利活動はやむなくやっていた感がありましたが、最近は楽に感じるかも
そこにぼんやりとした危機感を感じます…
営利活動の対人関係では充足感を得ることは無いから

あき
他にお客さんが女性1人でした
その女性が突然
「あっあっあっ○▼※△☆▲※」
とつぶやきました
女性を見るとスマホに夢中で独りごとが出たのかなと
しばらくして
「あっあっあっふぃーるそー△☆▲※」
歌詞を口ずさんでいるのかな
さらにもう一度言われたので耳をダンボにして聞きました
「あっあっあっふぃーるそーぶれすふる」
最近の検索はすごいこれで曲名がわかりました
ちなみにこの部分の正確な歌詞は
I, I, I feel so blissful
Blissful

あき
たまにはサンドイッチもいい


あき
このグラ友とも4年くらいか
4年も観ていると
変化する人と変わらない人に大きくわかれます
もちろんどちらが優れているとかはありません
このグラ友は「自分と違う人」ととても共同生活できそうにないとかつて言われていましたが、変化があったのでしょう
今朝は結婚式を直前にした葛藤と決意の投稿がありました
こういうリアルタイムの心情を知られるのがSNSの良いところだと思います
今頃いっぱい泣いているだろうな
結婚ははじまりより継続の方が大変なのですが、そんな野暮なことは言ってはいけない
新たな一歩をシンプルに祝福したい

あき
最近の銭湯の男湯は若者だらけです。1人で来ているのは少数派で2人か3人で来ているのが多い。
で、だいたいずぅっと話している。ゆっくりつかる炭酸泉で隣りに学生っぽい2人がいたので話を聞いてみました。
「サッカーの選手で今まで一番すごい人って誰?」
「メッシかマラドーナかな、マラドーナ」
「マラドーナって現役?」
「いやレジェンド、マラドーナって俺と同じ身長なのにめっちゃうまい」
「野球だと大谷翔平かな、過去にも大谷翔平みたいなのはいない」
「大谷はミランの10番だね、たとえると」
「メジャーは一番いいバッターを1番にするらしい」
サッカー好きと野球好きでとめどなく話しています。
私の会話ってどうしても「なぜ」「どうして」が入りますが2人の会話には「なぜ」がありません。
かといって相手の話を聞いてないわけではないのですが、自分の言いたいことをタイミングをみて話す感じ。話題もけっこう突然変わったりします。
これが今時の若者男性のおしゃべり。


あき
三国志の話では諸葛亮の「七縦七擒」の話が大好きでした。
「そちの罪はすべて孔明が負う
孔明の功はすべて譲ってやろう」
20代の頃は議論を得意とし好んでしていたように思います。
結局、議論になってしまったら相手に心の壁を作ってしまいます。
相手を味方にしようとしてますます遠ざけるのが議論です。
いかに議論にならないように相手の心を攻めるかが相手を味方につける極意でしょう。
七縦七擒はフィクションだと後に知ります。
がっかりしましたが、諸葛亮が書いた「出師の表」は全文残っており、この文章の根底には七縦七擒の精神があります。
相手の発する言葉にではなくその心を攻める、諸葛亮から学んだ私の変わらぬ指針です。



あき
マイヤーズラムは定番のコーラ割りがほんとおいしい
定番は定番の意味があります



あき


あき
こういう店名掲げないお店なんかは好み
昔だったらこういうのがハプニングバーだったりしたのですが、警察が散々取り締まったので今は完全に地下に潜っただろうな


あき
春先の花粉症が去年は目薬無しで済み、今年はちょっと鼻がむずむずするかなくらいまでに改善されました
そうなってくると、串カツ、コロッケ、天ぷら類は目に留まらなくなってきたのですが、今日はコロッケを見つけてしまいました
1個ぐらいいいか、と
甘くないコロッケでもう1個買おうかと思ってしまいましたが、そこは抑えました



あき
日常で音楽をまったく聞かないのでたいてい気がつかないし、再生ボタンを押すことすらないのですが、「ハンバート ハンバート」という名前が目に入りました。
近年観た映画『ぼくのお日さま』のエンドロールで彼らの歌が流れました。
ポチッと再生してみると
死んだおやじが入ってくる
死んだ妹をつ
で切れます。ちょっと気になってYouTubeで全編再生。
かき氷を食べていると死んだ父親と妹が生前のまま入ってきて3人でかき氷を食べる
しかし、2人には自分は見えない
この世界観はお盆文化がある日本ではすんなり受け入れられるのではないだろうか。
そして、父と妹を亡くした人の心の痛みが伝わってきます。
私は母も父もとうに亡くなりましたが、社会に出て自分が強く関係した人の死はまだ経験がありません。
正確には明確に死の知らせを聞いていない、か。
以前投稿にした、大阪で「今の私」を方向づけてくれたといっていいSMクラブを経営していた女性、私が彼女に一言も話さずに大阪を離れたら激昂した電話をしてきました。その数年後の彼女からの電話、私は電車の中でとったのもあって手短に切ったのでした。
この頃は「死の電話」をまだ受けたことがなかったのです…
後年いくつもの「死の電話」を受けてから、あの電話は彼女が自 殺する前の私へのあいさつだったかもしれないと思うようになりました。
死を決意した相手の心の悲鳴はその時、手を差し伸べなければ「あとで」はありません。
そんなことを思い出した曲でした。
ブラザー軒

あき
さっき雑居ビルのエレベーターに乗ったら、乳母車に乗せられたまるちゃんと遭遇しました
このまるちゃんとはこのビルのエレベーターでよく遭遇するように思います
興奮して私の手を舐めてきます
「ごめんね、挨拶したら落ち着くから、ごめんね」
横の飼い主、このビルのオーナーが言います
まるちゃんはその日初めて会う人は興奮して舐めるらしい
まるちゃんは犬でオスかメスかは知りません
この犬の舐める舌がぬべっとしていて私はいい感じしません
猫の舌はざらざらしていて気持ちいいとは思います

あき
今年会っておくべき人は…
ちゃんと整理しておかないとな


あき
さすがに仕事しなきゃなので今日はもう寄れませんがこの時間で営業している気になるお店
足立区って個性のある個人店が多い印象



あき
今年で閉めるかもって今年の初めに聞いていて
行かなきゃ
行かなきゃ
と思っていたのですがなかなか行けなくて今日ようやく
「あきさんだったっけ?」
全然きてなくて名前を忘れられそうでした…
この老夫婦は喧嘩しているかのような会話なのですが全然そうじゃなくて、お互いこの世で一番合う人同士で夫婦になったと思います


あき
『兄を持ち運べるサイズに』のタイトルからは、だらしない兄が突然死んで遺品を整理していたら兄はいい人だった的なファンタジーを想像しました。
私は飲み屋も映画も検索しません。事前情報無しで触れます。
映画の冒頭
支えであり、呪縛ではない
の文字、一瞬にしてあ〜、これから家族ファンタジーの映画が始まるのかと思いました…が…
映画は主人公にとって「この世からいなくなってほしい」と願った迷惑ばかりかける兄の死を、警察からの電話で聞かされることから始まります。
この場面は私を父が死んだという電話があった日にプレイバックさせました。
弟から電話がありました。
「兄ちゃん、お父さんが死んだんだって、警察から電話があった」
「それで何て言ったの?」
「兄ちゃんの電話番号教えた」
「え?何やっているの、誰であっても兄ちゃんの電話番号を勝手に教えたらダメだよ」
弟は愛の手帳を持っていて1人では生きていけないので、私が骨格の部分は面倒をみています。
そんな弟だから警察から電話かかってきたら、びっくりして私の電話番号を警察に言うのは仕方のないことです。私は一瞬イラッとしましたが、すぐに冷静になって
「ごめんね、警察はなんて言っていた?」
「お父さんが死んだって」
「事件?事故?」
「わからない」
弟にこれ以上聞いても仕方ありません。電話を切りました。
当時絶賛警察と対決中、私は街中のお巡りさんも含めて警察官になろうとするすべての考え方に嫌悪感を持っていました。
20代の時、父とは2度の裁判を経て、お互いの存在をかけた争いをしました。最終的に父を山に埋める決断をしたほどです。この時もそれくらい追い詰められて相談に行った寝屋川警察署は誰もまったく聞く耳をもってくれませんでした。
これは結果的には実行に移さなかったのですが、以後父は私が隔離するために用意した寝屋川市の文化住宅で生きていくことになります。連絡するでもなく家賃4万4千円を私が払い続けました。
そんな父からショーメッセージがきはじめたのは、今から考えてみると死ぬ1年前くらいからでした。弟を私が飼い殺しにして腐らせているという私を瞬間的に沸騰させる内容でした。このあたりの説明をし始めるとこれまた膨大な文章になるのでカットしますが、これこそが現実とノンフィクションの大きな違いであって、いかに事実に基づいたノンフィクションといっても、やはり現実を簡略化明確化したフィクションであるってことです。
映画の主人公は、めんどくさいと思っていた兄の死後整理を兄の元嫁や兄の子供たちとすることによって、それぞれに自分の知らない「兄の像」をあることを知ります。
父は文化住宅の自分の部屋で死んでいたのですが、それを発見したのは自分で作ったサークル「司馬遼太郎を語る会」に父が来ないのを心配したそのサークルに参加していた人たちでした。
私には迷惑をかける存在でしかなかった父でしたが、父の話を楽しみにしている人が最後までいたのです。
そう私も私がジャッジした面しか父を知らなかった。
人を自分が見た面だけでジャッジしない、私は仕事において意識していることです。でも、父に対してはまったくやっていなかった。
この映画は頭の中で作られたストーリーではなく、誰かの体験がベースになっていることは間違いありません。
なぜなら「本気の悩み」ってのは触れる者の心を揺さぶるからです。
面白い映画でも感動する映画でもありませんが、観てとてもよかったです。
最初から最後までずっと涙がこぼれました…
(終わり)


あき
血の繋がりのある父が死んで諸々の後始末をやり、最後、特殊清掃作業の代金を振り込んだ時、とても晴れやかな気持ちになりました。
これで足枷は無くなった
私は自由になれた
と。
父は私の人生において足枷でしかありませんでした。
以前は映画好きでしたが、仕事が使える時間を全投入する総力戦になってからは観ることができなくなりました。ふつーの生活されている方には想像できないと思われますが、緊急時には1分でも早く即応した方がいいわけで、映画館の中にいる2時間は着信音を消さなければなりません。マナーモードではもしの連絡が気になって映画の世界に没入することができず、映画館に入ることを避けるようになったのです。
映画を観ないようになると、現実で目にする映像がよりフォーカスされて心に響くようになってきました。
ふと目にした道端の花
通り道で耳に入る人の声
電車の中の親子
飲み屋で見聞きする人間模様
私のGRAVITYの投稿は仕事関連の話はほぼなく、何か特別なことがあったり、どこか遠くに旅行して目にしたものではありません。
日常の中で目にしたショートドラマです。
これは「作られた映像」を目にしないようになったら、現実の感受性があがったように思われます。
そうなってからたまに映画を観ると、頭の中で作られた話を役者が演技しているという、フィクションにフィクションを重ねた映像がつまらなく感じるようになってしまったのです。
「作られた映像」を見るくらいなら、飲み屋で隣に座った「本物の人」を観察する方がずっと楽しいし役に立ちます。
フィクションを楽しむのは薬物を楽しむのに近いと思われます。
楽しいことがあった気がする、
悲しいことを目にしたような気がする、
だけで実質は自分に何も残らない、時間だけを浪費している…
グラ友が映画『兄を持ち運べるサイズに』を観て「あんなに泣くとおもってなかった」との投稿、それが頭の片隅にありました。
(つづく)


あき
劇場から出ても1人
スタッフもいない
どこかにいるのでしょうが…
床にはポップコーンが転がっていて生々しい


あき
迷ったのですが…迷ったら進むの自分の定石に従いました


あき
これはベタなテーマではありますがよくよく考えると難しい。
考えると不可知のように思えますが「たしかにある」のは実感できるので不可知ではない。
たぶん「自分」を客観視することが難しいのと、「自分」を客観視する過程で愛はすぅ〜と透明になってしまうからでしょう。
考えるのではなく感じるものの1つなのでしょうが、自分に都合のいい安定や刺激を愛だと錯覚している人は多いとは思われます。
恋人、夫婦関係のトラブルの大きな要因です。

あき
まだ執行猶予中なので、罰金刑以上でぶち込まれる可能性はありますが、私はイラッとするのは年に1回あるかないかなぐらい穏やかですので、どれだけ警察に挑発されてもないと思います


あき
私はかすかな運命論者です。
既に人生の歩みは筋書きがあるのではないかと感じることがあります。
出会いは偶然か必然かはユング氏の集合的無意識で説明できると思われます。
6年前、そう夕べのと似たような飲みがありました。
コロナ騒動が騒ぎ始めた頃です。
知人と道端で偶然会ったのでした。聞くと彼は業界をあがって地元に帰るとのこと。
「最後一杯やりますか」
「えっ、飲むんでしたか」
その時、初めて飲んだ彼に大阪の『ニ・ド・ワゾォー』のシェフとの歴史の話をして、独りでやられている料理人のお店が好きだと話すと、北関東にあるお店を教えてくれました。
「ここね、絶対あきさん気に入ると思いますよ。まだオープンしたばかりなので行ってみてください」
この時、私は聞いたそのお店のことを事務所のパソコンに転送したのでした。こういうことはなかなかしない私です…
時が流れて、GRAVITYを始めた私は1人の料理人に目をつけました。その方は狩猟もやられて、狩猟の先輩が猪を仕留めたらウリ坊が出てきてその先輩は迷ったけどそのウリ坊も仕留めたとのこと。
でも、その先輩はウリ坊は小さすぎて取れる肉も少ないから後始末に困っていたのをこの方は自分が連れて帰りますと、そのウリ坊を首から足の先まで料理したようです。
死んでいるウリ坊と解体された肉の写真は、初期の頃のGRAVITYでは異彩を放っていました。
今ならつまらぬコメントがきそうです…
この人の料理が食べてみたい
そう思った私はこの方のGRAVITYを読み返し、この方の思考、モノの感じ方を知ってこの方に近づこうとしました。
そうして予想外に早くそのチャンスがきました。この方から東京の川辺でご自身が作ったお弁当を食べる会をしますので来ませんか?と。これは絶好の機会なのですが、その方のグラ友が何人か来るわけで、当時の私は日の当たる世界の人とは会話ができなかったのです。ゆえにGRAVITYを始めたようなもの。しかも、お店ではなく河原ですのでお酒はありません。
お酒無しで一般の人と話す?
当時の私には高いハードルでしたが、「この方の料理を口にする」機会なので行くしかありません。
とても美味しいお弁当でこの方は私と歩んできた道が大きく違うのに、核になる部分は似ていました。これは「集合的無意識」で説明できます。
他に5人、この方のグラ友が来ていましたが、結局この時は他の方々とは二言三言しか会話できませんでした…
さらに時は流れました。
このお弁当の会で知り合った方とはその場でGRAVITYを交換しました。実際に会ってからのGRAVITYです。そのうちの1人が岐阜在住、私は長年行きたいと思っていた関ヶ原に行くにあたって、特に考えることもなく「関ヶ原行くので一杯やりませんか?」とメッセージすると二つ返事、しかも車を持っているので関ヶ原まで案内しますよとのこと。これはありがたいと思いました。
当日、お弁当の会で顔を合わせたとはいえ女性の車の助手席で長時間いることになるので、私は会話できるか不安がありました。お弁当の会ではこのグラ友とは二言ぐらいしか会話していませんでしたし。
しかし、それはまったくの杞憂でした。このグラ友は私の仕事を知っていてご自身も経験があったのです。これも「集合的無意識」で説明できます。
9/15の関ヶ原合戦の日には関ヶ原で大きなイベントがあるので、今年も行きました。岐阜在住のグラ友が再び車を出してくれました。
その会話の中で
お弁当の会を主催してくれたグラ友ともう一度お会いしたい、と
私は双方個別には何度か会っていたのですが、岐阜の方と料理人とはお弁当の会で顔を合わせただけでした。
そうして来年、北関東で3人顔を合わせることにしました。
事務所のパソコンで過去のメモを整理していると、冒頭の北関東のお店のメモを目にしました。
あっと思って検索してみると、今現在も営業しており、しかも3人で待ち合わせにした場所の近くです。
これはこのお店に私が行くことは既に筋書きがあったような気がしてなりせん。
#運命の筋書きはあるのか

あき



あき
「元気?刑務所は行かされたの?」
具体的な話は避けますが、以前は2本柱で仕事をしていましたが、数年前から1本は全然やってなくて相手はこちら側の人です。人として面白いですがいわゆる遊び人ですので、しょっちゅうつき合っていると疲れる感じ。
「最近はどこで飲んでるの?ちょっと行くか」
仕事を理由に断ろうと思ったのですが、遊び人特有の嗅覚で私の迷いを感じとり、私の腕を掴みながら言葉をまくし立てます。
「あきさん言ってた自分が売りたいモノではなくニーズを知る、その通りだよ、だから街中のお客さんを見に行こうよ」
少しだけ行くか、と。
連れて行かれたのは時間外営業の違法キャバクラ、キャバクラって斜陽産業なのですがお客さんいっぱいいました。これは驚きで確かに私には見えてなかった「今」の一場面がそこにありました。
彼はタクシーで帰りましたが、私は始発が始まっていたのと街中を少し歩きたくて電車で。朝5時でも渋谷は遊んでいる人がいます。この時間の新宿とは確かに人の種類が違います。
久しぶりだから楽しかったし勉強になりました。


あき
だから太陽が出ている間の飲み物だと思います


あき
仕事におけるノンストレスを目指す方法論の一場面
組織に新人として所属すると
「自分の思い通りにしたい上長や先輩」
ってよくいます。
私はこういう人ほど得意でした。相手の思い通りにすればいいのですからある意味楽です。その人の前ではその人のクローンになって、その人の思考で応対すると喜びます、わかりやすい。
私には最凶最悪な父が身近にいたせいか、どんな人も父より全然ましに思えました。
こうしたアドバンテージがあったとはいえ多くの本を読んで、人の考え方、方法論には結局優劣がないということを知っていたので、自分の考えと異なるやり方であっても、たとえ非効率そうな方法であっても、相手が喜ぶなら相手のやり方に合わせることができます。
多様な価値観に触れていない人は自分の価値観を優先しがちに思われます。勉強や読書が大事なのはここにあります。
自分の思い通りにしたい人ってのは、相手の反応に敏感で、表面的な「はい」には余計にイライラするようです。中途半端な気持ちで従っている姿勢を見せているとお互い疲れるだろうと思われます。
だからこそできるだけ我を捨て100%寄せていきます。
それを半年も続ければ、その人にとって私は必要な存在になります。
ここがターニングポイントです。私は目の前のことではなく長いビジョンに立っています。
自分の思い通りにしたい人にとって、自分の思い通りに動いてくれる人は心地よさがあると思われます。
最低半年ですが、1年以上寝かせるだけ寝かせ熟成させてから必要なタイミングで、相手に「NO」を突きつけます。
間違いなくびっくりして、怒鳴ってきたりすることもあります。ここでより感情的になるようでしたら、もう主導権は私に移っています。
相手はそれまでの自分が心地よかった状態に戻すべく、再び私が「イエッサー」と言うようにと「私のこと」を初めてよく考え始めます。
ここでようやく相手が双方の考え方を知ろうとする対等なラインに立つことになるのです。
自分の思い通りにしたい人ってのは自分の経験を最優先においているので他者、ましてや新人のことなんて考慮しません。
だからこそ高圧的な態度ができるのでしょう。
この状態から対等になる方法論の1つが上記のやり方かと。
私が求人誌の募集から代議士秘書になった時、しがらみと特有の慣習だらけで、バックもなく何も知らなかった私は多くの人に怒鳴られました。
風邪をひいてしまうと
「バックが無い人間はせめて体調管理はちゃんとして出席日数だけは稼ぎましょう」
真夏、スーツ上着着用で顔から汗が溢れ出すと
「暑苦しいから帰れ」
結局、数年後にはこの2つとも乗り越えました。10代の時の風邪をひいて大雨の中の新聞配達の方がずっと大変でした…
その「自分の思い通りにしたい人」たちは、
1つ目の怒鳴った方は亡くなられた葬式で奥さまから
「あなたがあきさんですか、いつもあいつはダメなやつだとうちで言ってましたけど、あきさん以外の話をわたしにしたことが無かったので主人はあきさんのことが大好きだったと思います」
2つ目の怒鳴った方は後年私が立候補する時の選挙資金にと、土地を遺贈する遺言書を残しました(もちろん相続拒否しました)。
今生で最終的には対等な関係になっていたと思います。

あき
たま〜にモチベーションが上がる時があって
ビール飲まずに仕事頑張ろう
と思ったりするのですが、その途端にビール飲みたくなるのです…
古いグラ友からは私が何か決意すると
ビール飲む前ふりですよね
とつっこまれたりしたものです
そういうつもりはないのですが…
私は天邪鬼なんだろうか
ここのセルフコントロールができればな…
ということでビール飲みたくなってこのお店に入ってしまいました


あき
これはノンストレスと引き換えに裸の王様になりかねない危険な状態であることは認識しています。
手に職が全くない私ですが、他の方より一歩優れているのは「説得」だと思われます。
口八丁手八丁で生きてきましたので(笑)。
口八丁だけでは少し見下した捉え方をされがちではありますが、手八丁を加えていることで、言葉も行動も同じように動かすという点である意味、言行一致だと思っています。
ここのところ得意なはずの「説得」がうまくやれていません…
3度の留置場経験は強制的に社会から隔離され、時間も音も色もない世界でじっくり本を読めて、自分を見つめ直し思索するとてもいい時間だったと今では思います。
最期に留置されてから9年は経ちました…そろそろ一度立ち止まって客観的に自分を見つめ直した方がいいとは思うのですが、社会の中で人との関わりの中で走っていると、自ら停止することはできません…

あき
たまにはおしゃれなカフェのモーニング


あき
ここ最近参加した医興会と町屋句会
で私は対人関係の幅が大きくなったように思います



あき




あき
その後は大阪の友人が上京していて飲みました
とても楽しい
長年の歴史があるからこそです
相手の変化を感じられない短い期間、
3年未満とか?
シビアに言えば10年未満の対人関係はたぶんただの知っている人


あき
母の最後の夜、これが最後かもしれないと思うことができたら違ったのでしょうが、8歳の能天気なおサルさんだった私にはわかりませんでした。
自宅で母が苦しんで父が呼んだ救急車に担架で運ばれる時、救急隊員の
「お母さんの手を握ってあげて」
に緊迫感を感じていなかった私は手を握りませんでした。
運ばれた病室で、今思うとあれだけ母が苦しんでいるのにただの病室でした。
母が叫び声をあげながら暴れ出しました。看護士さん2人と医者の大人3人がかり押さえてもベッドから落ちそうでした。
私はとても怖かったです。母がどうなるかというより声をあげて暴れる母の姿が…看護士さんの
「ぼく、ちょっと外の椅子で待ってて」
の言葉で私はすぐに部屋を出ました。怖かったからです。後年、『サスペリア』のような悪魔が人にのり移る映画を見ましたが、あんなフィクションよりこの時の母の姿の方が怖かったです。
そして「お母さん、なくなったよ」と言われて入った部屋には目を見開いたまま動かない母の姿、傍らで看護士さんが瞼を閉じようとしているのですが閉じませんでした。
私は最後の夜に母の手を握らず、母の最後の瞬間も手を握らず、母は独りこの世を去りました。
これがその後ずっと私を苦しめました…
突然、救急隊員の声が頭の中に響きます。
「お母さんの手を握ってあげて」
そうすると心臓をぎゅーっと締めつけられて苦しくなるのです。救急隊員の声は時ところ選びません。通学中、試験の最中、映画館で。
これを母の苦しみだと思ったのなら、私は霊が存在する方向の思考になったかもしれませんが、母は私が苦しんでいたら自分を捨ててでも絶対に助けてくれる人なので、これを神様か天かの、母の手を握らなかった罰だと考えたのです。だからそのフラッシュバックがあるとより一層勉強を頑張りました。
中学生になって、母の日記を見つけてからはより一層フラッシュバックに苦しめられました。
学校のつまらない授業中は本を読むような中学生でしたので、これは「トラウマ」であって、心臓を締めつけられるのはPTSDではないかと認識しました。
本を読むと要専門医の治療とありますが、中学校の制服代すらくれない父には病院に行きたいとは言えませんでした。
その後成人してもフラッシュバックは突然やってきました。
そして、社会に出て「人の死」に遭遇するようになってから、だんだん死後の世界はないのではないかと思うようになりました。
それまで必ず毎晩
お母さん手を握らなくてごめんなさい、僕の声が聞こえたら何でもいいので合図を下さい
と祈っていたのですが、だんだん何かがあると祈らなくなってきました。
仕事も365日24時間体制で臨んだのもありますが、ふと母への祈りをしていないことに、そしてフラッシュバックもやってこない自分に気づいたのです。20代後半のことでした。母の死のトラウマを乗り越えるのに20年かかったのでした。

あき
8歳の時に亡くなった母に謝りたくて以後毎晩毎晩20年祈りました。
その20年の祈りは母に謝るという結果を得られなかったのですが、まったくの無駄ではありませんでした。
「人は死んだら終わり死後の世界はない」
なので今をめいいっぱい生きるしかない。
「 過去は変えられない」
どうしようもできないことを考えるのは無駄、過ぎたことを後悔するのも無駄。
この2つが身につきました。
ゆえに何度穴ぼこに落ちても這い上がられる私があります。
何事も20年やり続ければ何かが見えてきます。
昨今は、数年いや3ヶ月ぐらい結果でなかったらすぐあきらめる傾向が強いですが…世界は10年20年続けてやらなければ見えないことがたくさんあって、それでも見えてこないことが無数にあります。
ちっぽけな自分の区切りで、できない、無理、無駄、意味ないと思う心が世界を狭くし、自分の心も矮小化させるのでしょう。
霊が見えるっていう、私の考えとは正反対の人とよく出会うのは、かつて死んだ人と交信するということを目指したのはお互い本気だったからではないかと推測しています。
その受けとめ方が違うだけ。

あき
それもあって、帰り終夜営業の大黒湯に寄りました。珍しくガラガラで炭酸泉で1時間ほど寝られました。
私の体感では酸素カプセルなんかより炭酸泉で寝られた方が何倍も身体がすっきりします。もうこのまま明日を始めていいくらい。
5時前でも暗い、冬至が近いな…



あき
ママは77歳、よくよく考えたら私の食事に使うお店のママは軒並み75歳オーバーだった
やはり新規開拓しておかないと



あき
ここはスープがありましたのでミネストローネにしてみました
ベーカリーショップの店内はパンの匂いが心地いい





あき
お兄ちゃん、といってもまだ未就学児
「ママ、月が大きいよ、満月?」
ママはスマホを見ています、弟が
「まんげる?」
「違うよ、ま·ん·げ·つ」
「ま·ん·げ·る?」
「れんはまんげるでいいよ」
やさしいお兄ちゃん…

あき
美味しいって?
かつて「一番美味しいモノ」って何だろうと片っ端から飲食店に行きました。
選ぶのではなく今日は昨日行ったお店の隣って感じで順番に。
和洋中他多国籍、スナックから高級フレンチまでアットランダムに行きました。
その旅で「一番美味しいモノ」を見つけることができました。
その話はこの間の「A子さんとの物語」のような短編にできますが、それをしてしまうと、読んだ人に「一番美味しいモノ」に出会う喜びを失わせてしまうことになりますのでしません。
こればっかりは自分で探し求めた方が人生を楽しめると思います。
大人になると、自分で自分の好みの食べ物を選んでしまうのもあって、だいたい予想通りの味が舌にのっかります。この美味しいはあまり記憶に残らず、翌日には忘れてしまうでしょう。
今朝のような突発的な出来事で予想外の味が舌にのっかると「美味しい」って強く感じます。
大人になってからの美味しいは「意外性」の中にあると思われます。

あき
「生クリームちょっと余ったから入れといたよ、嫌いじゃないよね」
「ありがとうございます」
基本ブラックですが、人の好意はありがたく受けます
ちょびっとウィンナーコーヒー、けっこう久しぶりかも、なんか美味しかったです


あき
ドアを開けるともし裸電球だったら遠い昭和の世界にタイムスリップしたかのような薄暗い感じ。
こういうのは好きです。
店主は高齢で日本語は少し中国っぽいです。でもゆっくり穏やか。
テーブルは1つしかありません。
席に座るとお爺ちゃん
「メニューは外の写真ね」
ビールと枝豆と鶏肉炒めお願いすると
「唐揚げ好きか、これもう終わりだからサービス」
けっこうたっぷり、私的にはこれとビールでお腹いっぱいになりそう。
ドアの中はゆったりとした時間が流れるお店でした。






あき



あき


あき
思えばいつの間にか医興会も私にはなくてはならないものになりました
出会いは予期せぬ意外なところに落ちていたりします
医興会はこの投稿をしている「私」ではなく飲み過ぎて現れた「もう1人の私」が拾いました
やはり相手が門戸を広げてくれている出会いはありがたいことだし、なかなか無いことなのでまずは拾いにいかなければならない、そう新たに決意しました

