私は盲目であったが今は見える(ヨハネ9章25節)映画『ゲーム』でこの言葉が象徴的に使われます私も長年の疑念が晴れて見えるようになったことがありますが、見えるようになったおかげで、それまで何気なくやっていたことが恥ずかしく感じるようになってしまいました…それもあって昨年12/26の投稿がGRAVITY最後の投稿にするつもりでしたが、やはりGRAVITYでやり残したことがあるのですぐに思い直しました以前のような盲目的な動きはできないし、自分のためだけの行動は恥ずかしさがどうしても妨害しそうですが、やり残したことは完遂していこうと思います映画『ゲーム』をまた観てみたい
私は全く社交的ではなくて落ち込んでいる人の気分をあげることもできませんそれが自分の個性なのでどうしようもありませんが、不得手なことでも何とかしようとするのがある意味アプリたる知性だと思いますゆえに現実を乗り越える知性は日々鍛えなければなりません
初めて入ったお店で、中にいたオヤジと1/2にお互いが知っているお店で飲もうとなりました。偶然会ったのに、お互いが知っているお店があるってことがもう決定論でしか説明できません。結局、集合的無意識でひっかかった者同士しか出会わないってこと。決定論で思考すると、ネガティブな思考する人ってやっぱり果物や白砂糖、白米が大好きで、ネガティブな思考だから甘いモノが好きなのか甘いモノが好きだからネガティブな思考なのか難しい…
ドアを開けるとおしゃれな感じ、オヤジがホッピーを飲んでいました。珈琲のつもりでしたが、オヤジがホッピー飲んでいるのでビールにしました。そこはカメレオンマンになります。珈琲があるのでたまごサンドもあります。私はビールとパンの組み合わせが大好きですが、白ワインとパンも好きです。オヤジが数日前に酔っ払ってこけた話をし始めました。記憶がないんだけど酔っ払ってこけてとても痛かったのだけど、とりあえず奥様に「こけたけど大丈夫だから」とLINEしたらしい。面白くて笑ってしまいました。それから話をしました。神保町に住んでいるオヤジは神保町ではあまり面白くないので周辺で飲んでいるとのこと、私が浅草であまり飲まないのと同じ…もうね、人は自分の波長と同じ人としか出会わないです。いろんな人と出会いたいならカメレオンマンになるしかありません。やはり見知らぬお店のドアは定期的に開けるべきだと思いました。日々新たな人と出会いがなければ思考はすぐに老化すると思われます。
今年はGRAVITYのおかげもあって出会いは偶然か必然かの答えを見つけることができました人生においてのもやもやが1つクリアになったのは大きいしかし、人との接し方に考え方の変化も生じましたので、今まで気にしなかったことを気にするようになってしまい、とりあえず突撃するってことができなくなってしまいました…得るものがあれば同じだけ失うものがあります…
今年は大きな心残りを残して年越しそうです。追いメッセージしようか迷いましたが、私の対人関係のスタンスは「待つ」なので自分の憲法に従いました。グラ友の投稿で1年の始まりは1/1だけど1番日が短い冬至の次の日から気持ちの流れが新しく変わる気がするこれは私の業界が「日の出時間」が関わっていたことで私も同じ感覚でした、法が変わるまで。冬至を過ぎると一気に忙しくなって1月上旬までお祭りになります。地球の公転が楕円であること、地球の地軸が傾いている関係で日の出時間が1番遅くなるのは冬至を過ぎてからの1月初旬です。ただ私はもう前線には出ないので変わらぬ日常が続きます。出来事の起伏はどうしてもこちらの感情が上下します。出来事に遭遇しなければ感情は平坦なままですが、これはこれで「生の実感」を得にくいのではないかと。すべての出来事は陰陽表裏一体、出来事をどう解釈するかは自分しだいです。特に人の自由意志はないと考える私はいわゆる決定論、すべて何かの原因によって結果が決まっているとの考えに帰結します。人の自由は遭遇する出来事をどう解釈するかにしかありません。そのちっちゃな自由をできるだけ楽しむ思考の方が短い人生ではお得だとは思います。
つい最近グラ友からあきさんここぞって時に頼れる人いますか?と聞かれて私は自分のことは自分でしますと答えましたが、ふとふりかえってみると多くの人に手助けしてもらったな…と私の道は決して私1人の歩みではありません頼ろうと思ったことはありませんが手助けをいただいています
雨はパラパラなのですが急に冷えてきました夕食の1杯やるかと思ったらポツンと佇む喫茶店がありましたトーストを頼んだらマジックソルトとりんごジャムが添えてありましたどちらも美味しいそういえばここは来たことあるかと思ったら「初めてじゃないですよね」「トーストに塩を添えてあるのを見て来たことあるなと思いました」「思い出してくれてありがとうございます」ビールより身体が温まった気がします
営利活動は「儲かる」を価値基準におけるので明確でわかりやすいかつては営利活動はやむなくやっていた感がありましたが、最近は楽に感じるかもそこにぼんやりとした危機感を感じます…営利活動の対人関係では充足感を得ることは無いから
今朝の喫茶店他にお客さんが女性1人でしたその女性が突然「あっあっあっ○▼※△☆▲※」とつぶやきました女性を見るとスマホに夢中で独りごとが出たのかなとしばらくして「あっあっあっふぃーるそー△☆▲※」歌詞を口ずさんでいるのかなさらにもう一度言われたので耳をダンボにして聞きました「あっあっあっふぃーるそーぶれすふる」最近の検索はすごいこれで曲名がわかりましたちなみにこの部分の正確な歌詞はI, I, I feel so blissful
今頃、グラ友が結婚式ですこのグラ友とも4年くらいか4年も観ていると変化する人と変わらない人に大きくわかれますもちろんどちらが優れているとかはありませんこのグラ友は「自分と違う人」ととても共同生活できそうにないとかつて言われていましたが、変化があったのでしょう今朝は結婚式を直前にした葛藤と決意の投稿がありましたこういうリアルタイムの心情を知られるのがSNSの良いところだと思います今頃いっぱい泣いているだろうな結婚ははじまりより継続の方が大変なのですが、そんな野暮なことは言ってはいけない新たな一歩をシンプルに祝福したい
雨降っているから空いていると思ってきてみたら激混みでした…最近の銭湯の男湯は若者だらけです。1人で来ているのは少数派で2人か3人で来ているのが多い。で、だいたいずぅっと話している。ゆっくりつかる炭酸泉で隣りに学生っぽい2人がいたので話を聞いてみました。「サッカーの選手で今まで一番すごい人って誰?」「メッシかマラドーナかな、マラドーナ」「マラドーナって現役?」「いやレジェンド、マラドーナって俺と同じ身長なのにめっちゃうまい」「野球だと大谷翔平かな、過去にも大谷翔平みたいなのはいない」「大谷はミランの10番だね、たとえると」「メジャーは一番いいバッターを1番にするらしい」サッカー好きと野球好きでとめどなく話しています。私の会話ってどうしても「なぜ」「どうして」が入りますが2人の会話には「なぜ」がありません。かといって相手の話を聞いてないわけではないのですが、自分の言いたいことをタイミングをみて話す感じ。話題もけっこう突然変わったりします。これが今時の若者男性のおしゃべり。
餃子を食べつつ思う三国志の話では諸葛亮の「七縦七擒」の話が大好きでした。「そちの罪はすべて孔明が負う孔明の功はすべて譲ってやろう」20代の頃は議論を得意とし好んでしていたように思います。結局、議論になってしまったら相手に心の壁を作ってしまいます。相手を味方にしようとしてますます遠ざけるのが議論です。いかに議論にならないように相手の心を攻めるかが相手を味方につける極意でしょう。七縦七擒はフィクションだと後に知ります。がっかりしましたが、諸葛亮が書いた「出師の表」は全文残っており、この文章の根底には七縦七擒の精神があります。相手の発する言葉にではなくその心を攻める、諸葛亮から学んだ私の変わらぬ指針です。
新規のお店をいかないようになったら気になるお店に余計に遭遇するようになったかもこういう店名掲げないお店なんかは好み昔だったらこういうのがハプニングバーだったりしたのですが、警察が散々取り締まったので今は完全に地下に潜っただろうな
2年前から思うことあって揚げ物を口にしないようにしました春先の花粉症が去年は目薬無しで済み、今年はちょっと鼻がむずむずするかなくらいまでに改善されましたそうなってくると、串カツ、コロッケ、天ぷら類は目に留まらなくなってきたのですが、今日はコロッケを見つけてしまいました1個ぐらいいいか、と甘くないコロッケでもう1個買おうかと思ってしまいましたが、そこは抑えました
グラ友の投稿で↓の曲が貼ってあるのを目にしました。日常で音楽をまったく聞かないのでたいてい気がつかないし、再生ボタンを押すことすらないのですが、「ハンバート ハンバート」という名前が目に入りました。近年観た映画『ぼくのお日さま』のエンドロールで彼らの歌が流れました。ポチッと再生してみると死んだおやじが入ってくる死んだ妹をつで切れます。ちょっと気になってYouTubeで全編再生。かき氷を食べていると死んだ父親と妹が生前のまま入ってきて3人でかき氷を食べるしかし、2人には自分は見えないこの世界観はお盆文化がある日本ではすんなり受け入れられるのではないだろうか。そして、父と妹を亡くした人の心の痛みが伝わってきます。私は母も父もとうに亡くなりましたが、社会に出て自分が強く関係した人の死はまだ経験がありません。正確には明確に死の知らせを聞いていない、か。以前投稿にした、大阪で「今の私」を方向づけてくれたといっていいSMクラブを経営していた女性、私が彼女に一言も話さずに大阪を離れたら激昂した電話をしてきました。その数年後の彼女からの電話、私は電車の中でとったのもあって手短に切ったのでした。この頃は「死の電話」をまだ受けたことがなかったのです…後年いくつもの「死の電話」を受けてから、あの電話は彼女が自 殺する前の私へのあいさつだったかもしれないと思うようになりました。死を決意した相手の心の悲鳴はその時、手を差し伸べなければ「あとで」はありません。そんなことを思い出した曲でした。
私は人語を解さない生き物が苦手です、猫とハムスターを除いてさっき雑居ビルのエレベーターに乗ったら、乳母車に乗せられたまるちゃんと遭遇しましたこのまるちゃんとはこのビルのエレベーターでよく遭遇するように思います興奮して私の手を舐めてきます「ごめんね、挨拶したら落ち着くから、ごめんね」横の飼い主、このビルのオーナーが言いますまるちゃんはその日初めて会う人は興奮して舐めるらしいまるちゃんは犬でオスかメスかは知りませんこの犬の舐める舌がぬべっとしていて私はいい感じしません猫の舌はざらざらしていて気持ちいいとは思います
私の馴染みのお店の1つ今年で閉めるかもって今年の初めに聞いていて行かなきゃ行かなきゃと思っていたのですがなかなか行けなくて今日ようやく「あきさんだったっけ?」全然きてなくて名前を忘れられそうでした…この老夫婦は喧嘩しているかのような会話なのですが全然そうじゃなくて、お互いこの世で一番合う人同士で夫婦になったと思います
【兄を持ち運べるサイズに】② 『兄を持ち運べるサイズに』のタイトルからは、だらしない兄が突然死んで遺品を整理していたら兄はいい人だった的なファンタジーを想像しました。私は飲み屋も映画も検索しません。事前情報無しで触れます。映画の冒頭支えであり、呪縛ではないの文字、一瞬にしてあ〜、これから家族ファンタジーの映画が始まるのかと思いました…が…映画は主人公にとって「この世からいなくなってほしい」と願った迷惑ばかりかける兄の死を、警察からの電話で聞かされることから始まります。この場面は私を父が死んだという電話があった日にプレイバックさせました。弟から電話がありました。「兄ちゃん、お父さんが死んだんだって、警察から電話があった」「それで何て言ったの?」「兄ちゃんの電話番号教えた」「え?何やっているの、誰であっても兄ちゃんの電話番号を勝手に教えたらダメだよ」弟は愛の手帳を持っていて1人では生きていけないので、私が骨格の部分は面倒をみています。そんな弟だから警察から電話かかってきたら、びっくりして私の電話番号を警察に言うのは仕方のないことです。私は一瞬イラッとしましたが、すぐに冷静になって「ごめんね、警察はなんて言っていた?」「お父さんが死んだって」「事件?事故?」「わからない」弟にこれ以上聞いても仕方ありません。電話を切りました。当時絶賛警察と対決中、私は街中のお巡りさんも含めて警察官になろうとするすべての考え方に嫌悪感を持っていました。20代の時、父とは2度の裁判を経て、お互いの存在をかけた争いをしました。最終的に父を山に埋める決断をしたほどです。この時もそれくらい追い詰められて相談に行った寝屋川警察署は誰もまったく聞く耳をもってくれませんでした。これは結果的には実行に移さなかったのですが、以後父は私が隔離するために用意した寝屋川市の文化住宅で生きていくことになります。連絡するでもなく家賃4万4千円を私が払い続けました。そんな父からショーメッセージがきはじめたのは、今から考えてみると死ぬ1年前くらいからでした。弟を私が飼い殺しにして腐らせているという私を瞬間的に沸騰させる内容でした。このあたりの説明をし始めるとこれまた膨大な文章になるのでカットしますが、これこそが現実とノンフィクションの大きな違いであって、いかに事実に基づいたノンフィクションといっても、やはり現実を簡略化明確化したフィクションであるってことです。映画の主人公は、めんどくさいと思っていた兄の死後整理を兄の元嫁や兄の子供たちとすることによって、それぞれに自分の知らない「兄の像」をあることを知ります。父は文化住宅の自分の部屋で死んでいたのですが、それを発見したのは自分で作ったサークル「司馬遼太郎を語る会」に父が来ないのを心配したそのサークルに参加していた人たちでした。私には迷惑をかける存在でしかなかった父でしたが、父の話を楽しみにしている人が最後までいたのです。そう私も私がジャッジした面しか父を知らなかった。人を自分が見た面だけでジャッジしない、私は仕事において意識していることです。でも、父に対してはまったくやっていなかった。この映画は頭の中で作られたストーリーではなく、誰かの体験がベースになっていることは間違いありません。なぜなら「本気の悩み」ってのは触れる者の心を揺さぶるからです。面白い映画でも感動する映画でもありませんが、観てとてもよかったです。最初から最後までずっと涙がこぼれました…(終わり)
【兄を持ち運べるサイズにを観て】①血の繋がりのある父が死んで諸々の後始末をやり、最後、特殊清掃作業の代金を振り込んだ時、とても晴れやかな気持ちになりました。これで足枷は無くなった私は自由になれたと。父は私の人生において足枷でしかありませんでした。 以前は映画好きでしたが、仕事が使える時間を全投入する総力戦になってからは観ることができなくなりました。ふつーの生活されている方には想像できないと思われますが、緊急時には1分でも早く即応した方がいいわけで、映画館の中にいる2時間は着信音を消さなければなりません。マナーモードではもしの連絡が気になって映画の世界に没入することができず、映画館に入ることを避けるようになったのです。映画を観ないようになると、現実で目にする映像がよりフォーカスされて心に響くようになってきました。ふと目にした道端の花通り道で耳に入る人の声電車の中の親子飲み屋で見聞きする人間模様私のGRAVITYの投稿は仕事関連の話はほぼなく、何か特別なことがあったり、どこか遠くに旅行して目にしたものではありません。日常の中で目にしたショートドラマです。これは「作られた映像」を目にしないようになったら、現実の感受性があがったように思われます。そうなってからたまに映画を観ると、頭の中で作られた話を役者が演技しているという、フィクションにフィクションを重ねた映像がつまらなく感じるようになってしまったのです。「作られた映像」を見るくらいなら、飲み屋で隣に座った「本物の人」を観察する方がずっと楽しいし役に立ちます。フィクションを楽しむのは薬物を楽しむのに近いと思われます。楽しいことがあった気がする、悲しいことを目にしたような気がする、だけで実質は自分に何も残らない、時間だけを浪費している…グラ友が映画『兄を持ち運べるサイズに』を観て「あんなに泣くとおもってなかった」との投稿、それが頭の片隅にありました。(つづく)