
路傍の星屑
本を読み音楽を作る。それ以外のことは霞のようなもの。誰も皆、路傍の星屑。とるに足らずとも、強くささやかに明滅する命。
音楽
猫
散歩
ロック
クラシック
アニソン
ポップ
J-pop
ジャズ
エレクトリック
オルタナティブ
BUMPOFCHICKEN
Official髭男dism
RADIOHEAD
サイクリング
ヨガ
人文・思想・宗教
SF
京アニ
Fate
テレビアニメ
テレビに出たことがある
哲学
読書
温厚
J-Pop
エレクトロニック
ボサノバ
ファンク
テクノ
スガシカオ
Aimer
ブルーノ·マーズ
コールドプレイ
インディーズ
星野源
LiSA
邦楽
洋楽
EDM
ヒップホップ
R&B
KingGnu
KingGnu

路傍の星屑

路傍の星屑
嫌いな食べ物は特にありません。普及している食材にはそれぞれの美味しさがあると感じられます。

路傍の星屑

路傍の星屑

路傍の星屑
バートランド・ラッセル(1872 - 1970 英 分析哲学者 数学者)が著書の中で使っていた言葉です。
邦訳書では「知性の均衡感」と翻訳されていましたが、senseは、感覚、直感の他に判断力という意味もあります。オクスフォード英和辞典によれば、その判断力も感覚性が含まれるもののようです。
proportionは、数学や統計学では割合や比率と訳されますが、全体の中でのバランスという意味合いの強い言葉です。
元々の語義を踏まえると、sense of proportionは、直感的判断力の相対的なバランスと捉えられます。知性の均衡感という訳者の翻訳は上手いと思いますが、直感を伴うという視点に気づくことが重要です。
つまり、直感的に大体妥当な判断が出来るという状態を目指すわけですが、最初から何でも勘で当てずっぽうではそこには至らないわけです。物事への広い知見を得て思考と行動を伴いながら深める過程で、感覚を意識することで養われる、知を備えたバランスに優れた感性、それがsense of proportionだと思います。
ラッセルは、自己の外側から得て咀嚼した知を伴わない、狭い了見に基づく感性はバランスを欠いているので、誤った判断をしてしまうリスクが高く、人が幸福に近づくために望ましくないとも言っているわけです。
意識のパースペクティヴには、素粒子のミクロから宇宙の果てのマクロまで自在に視点を配置できる可能性を感じます。
その中に個人の関係性や社会も含まれているという感覚があり、その相対性の中で日々暮らしている……ことを忘れないようにしたいです。

路傍の星屑

路傍の星屑
物凄く好きという程ではないですが、印象的なサビのミームと、ラップパート、ミニマルなサウンド、特徴的な声、どれもセンス良いと思います。

路傍の星屑
尻尾のフワフワ感がもう。

路傍の星屑
それである程度満たされてしまうのはどうかと思いますが……きっとまたご縁もあるでしょう。無くてもそれはそれで。

路傍の星屑
以前、撮影の衣装決めの際にカラー診断士によるパーソナルカラー診断を受けたことが2回ありますが、2回ともロイヤルパープルが最も似合うカラーだと診断されました。それなりに時間と費用の掛かる診断で、1stカラーが同じ結果になることも、またロイヤルパープルも珍しいそうです。
それとの関連性は分かりませんが、僕にとって紫色は子供の頃から感覚的に特別な色で、ここぞというときに使う、簡単に好きな色として挙げない、そういうどこか秘めた存在感がある色です。

路傍の星屑

路傍の星屑
結果的に疎遠になった物事もあるけれど、それらは距離感の問題で、内的、或いは外的な蓋然性が変化すれば再び近づくことはあると思う。

路傍の星屑

路傍の星屑

路傍の星屑
国々を旅して、懐かしいある国へ帰って来たら、街の様子がいろいろと変わっていて、時の流れが聴こえるようで。
過去の投稿を少し辿ってみて、ああ、確かに僕はここに居たんだと。
また少し止まり木のように、ここでくつろいでゆこう。

路傍の星屑
まあ、そんな日もある。性急に決めない方が良さそうなことが複数重なる日。
明日か明後日には幾つかは明瞭になるだろうから、そこを逃さずに押さえよう。
元々はわりと何でもパッと決断する方だったのだけれど、不確定要素の多いことに対してパッと決めると、後で変更を余儀なくされることが多く、他人の都合も含めて、状況の変化に振り回されることになりがち。物事には決めるに相応しいタイミングがあることを学んだように思う。
線形的思考と非線形的思考、どちらも必要だと感じる。

路傍の星屑
今月2本あるライブの1本目を日曜に終えて、曲の制作もまずまず順調。スケジュールが先月ほどタイトではないので、今月はそれなりに自分のペースで行けそうだ。
個人的にライブと制作とでは、モチベーションの種類が違う。ライブはセットを決めて練習を積んで本番に臨む。制作は創作のモード。この心のモードの切り替えが意外と難しい。日曜はライブ本番が始まるまでテンションが上がり切らなかった。
けれど、何とか乗り越えたので、今月2本目のライブまでには切り替えが上手く行くイメージを持てた。完璧ではないとしても、改善できそうだ。

路傍の星屑
他者を罰したい、非難したい、攻撃したい、といった情動は他罰性に属すると思う。
これは誰でも少しは持ち得る感情だと思うけれど、多く持ち過ぎてはいけない。
様々な他者の情報に触れると、この他罰性が沸き起こり増幅しやすくなる。
でも、一番大切なことは自分自身について考え、自分自身についてすべきこと、つまり自己課題に取り組むことだと思う。このことを常に心に留め置くことが、このSNS時代にはとても重要だと思う。
今、自分の感情が他罰性に傾いていないかどうか、様々な場面で立ち止まって考えたい。

路傍の星屑
ヤマアラシのジレンマという喩えがあるけれど、ヤマアラシのような人と接すると、自分も心に棘が生えてしまう時がある。
そんな時、自分は心を試されていると感じる。自己課題が露わになり、自分の中に潜んでいる他罰性と向き合うことになる。
他罰性と自責心のバランスを取ったり整理するのは難しいけれど、たぶんずっと僕は諦めない。

路傍の星屑
自己受容(必要なものは全て自分の中に既にあるという観念も含む)だけで成長して行けるなら楽だし、ストレスも掛かりづらい。けれど、実際には内面から外界に向かう心身の動きが創造のエンジンになるし、その心的エネルギー負荷が俗に言う「生みの苦しみ」なのだろうと思う。
これらのことは、自罰性とも他罰性とも次元が異なると思う。何か良いものを創り出そうという思いから始まるものだから。
Change the World

路傍の星屑
いつも上手く行くとは限らないけれど、昨日は上手く自分をアゲられて幸せだった。目下の諸々の課題を上手くクリアできるイメージを持てている。

路傍の星屑
ただ、他者は時間の流れを僕とは逆のベクトルで捉えていて、過去が物理的に存在するという感覚を持っている場合があることに留意はしている。