人を信じれば当然傷付くこともあるがそれから逃げていれば小さな人生しか生きていくことはできない。他人と価値や損得でのみ付き合うということは信じることをしない臆病者で居続けるということであり臆病者に手に入れられる程度のものしか手に入れないということである。
危機が人を強くする。魂は侵されそうになるから輝きを増す。恐れを超えて挑戦する、怖いことに飛び込む、戦い抜く。心の強さは自ら立ち向かった回数理想に向かって行く中で我々は必ず試練に遭う。そのさなかでどのように過ごすかで魂の格が決まって行く。
自分の好きな人が幸せでいてくれる。 好きな人が自分の近くにいてくれる。 本当はそれだけで幸せなこと 好きな人が違う人を好きだったり、毎日辛い思いをしていたりしたら、苦しくなりませんか?? お付き合いするようになると、その原点を忘れ、自分の思いを押し付けるようになってしまいがち。同じ気持ちでいて欲しい。自分をわかって欲しい。 わがままですよね
「言いたいことをいったん、寝かせてみる」のは、人間関係を円滑に保つための賢明な手段のひとつ たとえば友人や仕事相手の言動に対して何か言いたくなったときメールに下書きをしておき、翌日見直してみたら「送らなくてよかった」と思うようなケースは少なからずあるもの
「軽い気持ちで話した、別に何も考えていなかった」。 これが全てなんですよねぇ…… 自分に悪気がないからこそ平気でできてしまうことがあってさらに悪気がないからこそ反省のしようもなく、そんなに怒らなくてもいいじゃん、で終わり。 つまるところ、「相手の気持ちが考えるのが下手(考えられないまではいかなくても)」「ものごとを見る目盛りが自分基準しか持ち合わせていない(そして結構荒い目盛り)」な人かな? 無意識に悪気なく人を傷付けそしてそれに気付かないタイプ。 気付かないから反省しようがない=成長しないけど、なんせ気付いてないし指摘されても悪気がないから深く捉えられずに終わる幸せな人
距離感が近すぎてしまうと、どんな関係でも破綻してしまうんだなって自分がこの人なら信頼できるかも、、と最初は思える人でも、段々と相手の、そして自分の嫌われたくないメッキは剥がれ落ち徐々に嫌なところにしか目が向かなくなっていく。それは相手も同じことを思ってるのかもしれない。こいつ最近なんか嫌だなってそう思うのって、日常からかなり距離が近い相手にしか抱かなくて本当に好きな人、尊敬できる人とは、近すぎたらダメなのかもしれない
親兄弟だって考え方なんか違うのでお付き合い相手と考えがズレたり違ったりするのは当たり前。 だから、嫌だな、って思ったことがあったら話し合う。 でも、そこでやるのは勝ち負け優劣じゃないでしょ。 何がズレる原因だったのか、を話しあうんです。 その為には相手を否定せずまず理解しなければならない。 なんでそういう考えに至ったのか。 どんな経験からそう判断したのか。 そんなところまで相手を知る必要がある
「同じものが好き」という最強の絆は、時間を共有していくほどに「同じものが好きだったのに」に変化していく「同じものが好き」という土台で支え合っていた二人だから、その土台に亀裂が入ってしまえば崩壊することを止める術がない。