レマ
根が明るい病人。どうしてこうなった。
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レマ
需要があるかなんてわからないけど
でも、こんな話が誰かの希望になってくれたら
それはすごく幸せな事だと思って書き残しておきます。
病気との付き合いはなんやかんや10年ほどになります。
20代のほとんどを病気に振り回されました。
1日の大半を天井を見つめて過ごし、すこし歩くだけで心拍が跳ね上がり冷や汗で体がびっしょり。階段は上がれない。
病院では「心拍数だけみたら末期癌の人と同じレベル」と言われ
1日外出したら、動けるようになるのは最低3日後という生活。
人と同じような幸せは諦めなければ辛いだけど思っていた。
心も身体もボロボロだった。
今の病院で治療を受け始めて数年が立ち、30代に入ってから少しずつ改善の兆しが見えた頃
タイミングやいろんなものに恵まれて、名字が変わった。
この頃から世界線がズレたみたいに、見違えるほどの改善が見え
新しい生活も自分のペースでこなせる様になり
パートナーとの話し合いの末
医師の許可を得て、ほどなく妊娠。今年の夏に出産する運びとなりました。
あれだけ何度も絶望して諦めていた幸せがたくさん舞い込んできた。
妊娠がわかった日に、ビタミン剤以外の薬の服薬をやめた。それでもどうにかやっていけてる。
持病があるのに子供を産むなんて…等の厳しい声もあるかもしれない。
確かに家族の協力あっての出産と子育てだと思う。
それでも、この子がお腹にいるとわかった時に
皆んなが祝福してくれた。
それがとても嬉しかった。
そして、この子は検診のたびに「元気だねぇ!」
と言われるくらいに今日もよく動いている。
これからの事はまだわからない。
とにかく無理せず、頑張るしかない。やるしかない。
今はただ、無事この子に会えることを楽しみに
ゆっくり生きていく。
産まれたら、もう、ゆっくりなんてしていられないだろうからね。
そしたら忙しなくも楽しく生きよう。
ここまで生き残った自分よ。生きていてくれてありがとう。
そんな話でした。
レマ
服装が迷子…最高気温22℃はどんなだろう
レマ
正直かなり辛い。恐らく発症は10年前
その時は「アメリカに行って脳の中見たら必ず診断は降りるけど、アメリカ行く?日本ではまだ無理なんだよ」と言われてしまっていた。
ちゃんと治療が日本で受けられたのは3.4年前から
自分なりに小さな幸せをかき集めて大切にしないと朽ちてしまうだろうなって思って生活してる。
レマ

レマ
スーツの男3人に囲まれて人生を切り取ったようなスライドをタブレットで見せられながら
「あなたの死ぬ前にやりたい事だいぶ消化して、今まででほぼ八割叶いましたね。どうでしょう?この辺りで今回の人生を終了とするのもオススメですよ。未練が少しあった方が転生も早いですし」
と説得されていた。
「そう…ですね。確かにそれもありかもしれないです」
と納得しかけた所で起こされて目が覚めた。
いつも起きる時間を10分くらい過ぎていた。
アラームも鳴らなかったし…
なんか、変にリアルで奇妙でじっとりとした夢だった。
レマ
我が家は今日ビールとプリンじゃなくて
レモンサワーとシュークリーム
太っても私のせいじゃないわ
レマ
風が秋すぎる…さわやか
レマ
なぜか私だけ悪化せず。
元々自分の肌が弱いのわかってるので
日焼け止め塗り直したり、肌冷やしたりしてはいたが
持病で飲んでた薬が日焼けに効果があるものが多かったみたい。
一方、「焼きたい」と言っていた夫は日焼け痕の痛痒さで、ずっとご機嫌斜めで「痒くてイライラする」と不機嫌全開。赤ちゃんかな??
レマ
「かわいいパッケージ!蜂蜜の香り?!最高!」って思ったら本物のハチミツでした
レマ
女子高生が入ってきて、青春やなーと微笑ましく見ていたら
「原宿とか渋谷もいいけど、学校の近くのお店の開拓ってなんかすごくいいよね。気に入ったら毎日これるし!文化祭の打ち上げとか出来るし!」って話してて
なんか、すごく、すごく良かった
レマ
歌が上手いとか演奏の技術じゃなくて
自分の心のささくれ立った肌を撫でられて
心地よいかどうかで決まるんじゃないの?
レマ
これラッキー?

レマ
