わたし日記~徒然帖2~
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らかん
この時間から執筆2時間コースは嫌なので、今日は短く
毎日、気付きがたくさんあります
ことばりうむの星を始めた頃から、考えてたことも書きたいし
ぼちぼち進めます


らかん
タイムラインを追ってみると、8年も大好きな湘南の海に行っていない
山手線からほんの少し見える海を見たのも3年以上前か
できれば晴れていると良い
波の音、潮の香り、ゆっくりと流れる時間
いつも海辺に住んでいたわけでは無いけれど、求めれば海はいつもそこにあった
次の人生の目標は、見ようと思えばいつでも海を見ることができる生活かな


ゆう@遊歩道🐤
実際、近所では何人も知り合いと会うからね。
ただし、確認は、昨日まで、大人だけだった。
昨日、自転車に乗って考えごとをしながら小学生の男の子の集団をやり過ごした直後、「あ!無視された〜。今挨拶したのに…。知ってる人だったから挨拶したのに[目が開いている]」って声が聞こえてきて。
ご、ごめーーーん[大泣き]近所の子だ。戻ってごめん言うには、恥ずかしすぎた。
もう、これからは、年齢性別問わず、顔確認するよ[泣き笑い]
挨拶は好きなんだけどね。
昨日はうっかり挨拶できなくて、人を傷つけて、それで私もけっこう傷ついたよ。
朝散歩して、この気持ちをとばしてこようかなー[泣き笑い]


らかん
iPhone16 Pro
#イマソラ #月食 #皆既月食


らかん


ゆう@遊歩道🐤
準備できていれば、それでよしという形になった。
少しずつ積み重ねてきたことが、形になるうれしさ。
うまくなくてもいい、好きだから、楽しいからと続けていたら、ふと気づいたらずいぶん上達していたりすることってある。
誰にもそういうものがひとつふたつ、あるんじゃないかな。
今日は改めてそう思えた日だった。
※文と写真は関係ないと思います[笑う]


あお🫧
そっと手水鉢に手を伸ばす。
水の冷たさが、心のざわめきを洗い流してゆく。
身をかがめ、頭を下げ、
畳の上を静かに膝で進む。
一歩ごとに、空気が澄んでいくようで、
茶室は私を迎え入れてくれる。
掛けられた軸は「和敬清寂」。
利休の言葉が、
今日という節目の空気をさらに引き締める。
入門、小習、茶箱──
許状をいただくこの日、
いつもの稽古とは違う、
張り詰めた静けさの中で、
私はただ、まっすぐな心で座していた。
緊張の奥にあるのは、
静かな喜び。
これからも、
この道のひとしずくひとしずくを
深く味わい、学び続けていきたい。
#和敬清寂#お稽古日和#茶道のある暮らし
#わたし日記#ことばりうむの星


あお🫧
前はもっと冷酷に、他人と線引きできた。
もちろん、正義の定義の上で。
間違っていると思う行動は、恋前もしていなかった。
でも今は、線を引くのにすごく力がいる。
弱くなったのか。そうではないのか。
恋前の自分を維持しようとすれば、ひどく疲れる。
恋後の変化。
痛みとの共存。
変わってしまった世界。
五年経っても、いま別れたばかりのように泣く。
完全に狂気の域。
ただ、恋が実らなかった――それだけなのに。
生に影響を与えるほど、きつかった。
私の変わった正義感や“ねばならぬ”の考え方。
そのストイックさがあったからこそ、かろうじて死を免れた。
そんなリスクのある恋を、もう一度したいとは思わなかった。
けれど、気づいたら考えていた。いつもいつも、考えていた。
その心の動きは恋のそれに似ていて、彼を想うたび、痛みもつれてくる。
私の赤色オーラは風前の灯。私は知っていた。
今度は本当に死ぬかもしれない、と。動物的な勘が、直感的に警告を出した。
なのに、私はその警告を振り切った。
死にたかったのか。生きたかったのか。今もわからない。
彼をすきだと思うたび、必ず終わりの激痛がある。
好きなところがひとつ増えるたび、失った痛みが顔を出す。
逃げたいのに、そばにいたい。うれしくて、かなしい。
覚悟はできている。彼がいなくなれば、自分は壊れる。
それを知って、飛び込んだ。永遠なんてない。ならば今。
寝落ち寸前の彼が、「あおさん。。すきやで」
そのことばだけを、ただ喜びたい。……なのに、体は反応してしまう。
あぁ、いつかはなくなる――。
恋とはこういうものか。失恋の後遺症なのか。
わからないまま、私は二度目の恋に落ちている。

らかん
反省中です
落ち込んでてもしょうがないので、早く浮上したいのですが…


あお🫧
私は、自己肯定感が低く、
部分的にものすごく高くて、
とてもやっかいな生き物です。
ある人が言いました。
「あおさんの自己肯定感は、こんぺいとうみたいだね」って。
いていいよ——そう言われたようで、
うれしかったです。
私はどこか人がこわくて、きらいなのに、
人がすきでもあります。
ひとりを好むのに、さみしくもなります。
「やほー」と声をかけると、おしゃべりしてくれる人がいます。
たくさん笑って、泣きます。
ふと、「私なんかに時間使わせてごめんね」と思う瞬間があります。
でも、それを伝えるよりも
「時間、ありがとう」のほうがいいなと感じるから、
私は「ありがとう」と言います。
気にかけてくれる人がいます。
それが、うれしいです。
でも同時に、「私は何を返せるかな? 何も持っていないな」と思ってしまいます。
申し訳ない気持ちにもなります。
それでも、「ごめんね」よりも
「気にかけてくれて、うれしい」と言いたい。
だから、私は「うれしい」と言います。
そうやって重ねた「ありがとう」や「うれしい」は、
時間とともに大きくなって、心を満たしていきます。
うれしくて、ちょっと切ないような気持ちです。
当たり前だと思わずに、有り難いと思える。
だから、自己肯定感が低いのも、悪くないなと思えます。
ありがとうが、涙になってあふれます。
いろんな涙がありますね。
#こんぺいとうの涙 #自己肯定感 #ありがとう #徒然帖 #ことばりうむの星

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